ブログの読者が情報提供者に。ロンドン金融街の実態を綴ったベストセラー誕生の秘密とは?

来日中のヨリス・ライエンダイク氏を迎え開催されたトークイベントにて

なんとなく知っていそうであっても多くの人が具体的に知らないこと、或いは大手メディアでもあまり取り上げられていないこと(例えば「ロンドン金融街で働く人びとの実態」)について、約2年間に渡ってブログで描き、読者から匿名での体験談を募ってみたら…

そんな実験に取り組んだオランダ人ジャーナリスト、ヨリス・ライエンダイク氏は、2011年から2013年にかけて合計約200人の金融業界インサイダーからの体験談を100本近いブログ記事として英国ガーディアン紙のオンラインサイトに執筆、「Banking Blog」と題したコラムは金融業界を中心に大きな注目を集めました。

その後2015年に『Swimming with Sharks: My Journey into the World of Bankers(筆者による原題抄訳:サメと泳ぐ:銀行家の世界への僕の旅)』として書籍化されると、オランダでは30万部を超えるベストセラーになり、数々の賞を受賞するに至ります。

先日、書籍の邦訳版『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』(英治出版)が出版されたことを記念し、「ゼロから学ぶジャーナリズム ―英ガーディアン紙Banking Blogから考える、これからのメディアのあり方とは」と題したトークショーイベントが開催されました。訪日中の著者であるライエンダイク氏、そして対談相手としてジャーナリストの佐々木俊尚氏を交えたイベントには60名ほどが参加、出版社から招待を受け私も参加する機会を得ました。

■ありそうでなかった、インターネット的な新しいジャーナリズムの可能性

2008年のリーマン・ショック、世界的な金融危機後の、ロンドンにおける金融業界の実態を探るために始められたプロジェクトはとても興味深い形で生まれたものでした。

ライエンダイク氏が以前から提唱している『学びの曲線』を活用した手法により、金融業界に現在過去に実際に身を置いていた人からの匿名という条件の元で体験を聞き出し、丁寧にブログ記事としてオンラインに投稿していったのです。つまりそうしたオンライン上での読者との相互やり取りを通じて、読者も、著者も、学びを深めていくという手法です。

ライエンダイク氏が言うには、昨今、金融業界がますます複雑になりつつあり、ニュースを見ても専門家が書いた専門家向けの情報が中心なので、正しい理解を獲得することがとても難しくなっている、とのことです。あえて金融の専門知識を持たない「門外漢」としてインタビューを行い、一般の人でも分かるような質問を繰り返すことで真実を突き止めようとする姿勢は、文化人類学者によるフィールドワークを彷彿とさせます。金融業界に身を置くプロフェッショナル達は解雇されるリスクを抱えながらも、インタビューへの協力を申し出る人が多数現れ、自分の体験談も是非、と提供してくれたのです。

正直、書籍を読み進めるにつれて暗い気持ちになってくる記述が多いと感じられました。金融業界で働いている人一人ひとりは、高度に専門化され複雑な眼の前の業務に取り組み、金融業界全体のことは必ずしも皆が理解している訳ではない、と指摘します。

また、映画で描かれるような強欲な悪者ではないとしても、グローバル化、複雑化が進んだシステムの中で、利益を上げるために、時に倫理的な判断を脇に置き、合理的、合法的に判断をしていくことで、2008年の金融危機が引き起こされていった様子が描かれています。

そして、ライエンダイク氏が本書の中で『空っぽのコックピッド』と表現するように、金融業界全体が暗黙の了解に従い、明確に操縦桿を握る人が不在のシステムそのものが、金融危機を経ても構造的に何も変わらず、不安定さは今も現存している、と指摘しています。

オランダにおいて本書が30万部以上の売上を持って熱狂的に受け入れられた、ということをどのように捉えるか、後日改めて興味を抱きました。オランダ、欧州に広がる格差社会の影響、金融業界への不信、ポピュリズムの萌芽などがあるのかもしれないかと感じますが、普通の人でも分かりやすい表現手法も大きく寄与していることと思われます。

■『学びの曲線』を活用した相互対話的な手法は再現が難しいという現実

トークショーイベントの最後のQ&Aの際に質問をした際、残念と感じたことがあります。

『ライエンダイク氏は数年前からこの「学びの学習」のアプローチを提唱し、書籍もベストセラーになった結果、同様の手法を真似た試みは実際に広がっているのでしょうか?』という質問をさせてもらったのです。

回答は、『残念ながら広がっているとはいえない、当時のガーディアンの編集長はとても理解ある人だったが、その後はやはりコントロールの効きにくいこの手法そのものが、特に大手メディアなどでは受け入れられていない。』とのことでした。

世界的なブランド力を持つガーディアンだから可能な手法だったのか、理解のある編集長がいたから可能だったのか、或いはライエンダイク氏のような経験豊富なジャーナリストだから出来たのか…疑問は残ります。ただ、確実に広がっていることとして、ソーシャルメディアの利用が以前より急速に広がりつつある現在、個人による情報発信の可能性は大きく広がっている、と本人からの補足の指摘もあり、そこには希望をつなげたいと思いました。

例え大きな新聞社としての同様な取り組みはすぐには難しいとしても、ある特定のニッチな分野に関するテーマについての情報発信をする人は確実に増えています。そんな過程を通じ、フィードバックを得ながら学びを深めていくという行為事体は今後ますます広がっていくものと思います。

前回の記事で紹介させていただいたトランプ政権についてのeメールニュースレターの事例などもコンセプトとしては近いものがあると思います。

配信3週間で5万人が購読、開封率50%のトランプ政権まとめニュースレターの成功の秘密とは?

必ずしも取材やブログ執筆のプロセスがなくとも、情熱を持った個人による、特定の絞られた、重要性があるテーマについての情報発信活動そのものに関しては、引き続き可能性を感じることを再確認する機会となりました。