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「R−1グランプリ」審査にまで影響を与え始めた「松本人志の採点方式」の功罪

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Splash/アフロ)

R−1R−1R−1R−1の田津原理音は二度嚙んでも優勝した

R−1グランプリ2023の優勝は田津原理音だった。

ファイナルのネタで、初めと終わりに嚙んでいたのが印象的だった。

ついつい応援しながら見ているので、ああ、やっちまったー、あんなにおもしろかったのに、これはけっこう印象わるくなったんじゃないか、と心配していたら、大丈夫だった。

いまのR−1の審査員はそこを重視しないようだ。

たしかに、ファイナルで対決したコットンきょんと、どちらが笑える回数が多かったかというと、田津原のほうだったとおもう。

コットンきょんのネタは、ばかばかしくて感動的な世界を一人芝居で作りあげて、これはこれですごくよかったのだけど、でも小ネタを重ねた田津原理音のほうが笑った回数は多かった。

そこで勝敗が決まるというのはわかりやすくていい。

いまのR−1はそういうものらしい。

審査方法はM−1に寄せられている

R−1の採点方法は、昨年2022年から変わった。

ほぼM−1と同じ形式になった。

M−1に引き寄せられたようである。

最初のステージは審査員がそれぞれ100点満点で採点する。

点数の高い者が最終ステージに進んで、もう一度ネタをやって、今度は審査員が一番いいとおもった演者の名前をあげる。その数の多いほうが優勝となる。

そういう型になった。

M−1と同じ型である。

人数は違う。

M−1は出場10組だが、R−1は8人、最終ステージにいくのはM−1は3組だけれど、R−1は2人。審査員はM−1は7人、R−1は5人。

そこは違うが、審査方法はだいたい一緒になった。

それ以前はブロックごとに戦っていた

2021年まではブロックに分けて、ブロックごとに勝ち抜いて決勝という方式が多かった。

少しわかりにくい、というか運の要素がかなり高い採点方法だったのをM−1式にした。

R−1に夢がないわけではない。

ただM−1のほうが注目度が高いぶん、優勝したときの成功度合いがすこし違うように見えるだけである。

「今日、これからR−1の決勝を見るんだ」ってときと、「これからM−1を見るんだ」という心持ちは、やはり差がある。

M−1は、見る前から高ぶっているが、R−1はそれほどでもない。いや、申し訳ない。今回つくづくそうおもった。

ピン芸と二人(ときに三人)芸の違いでもあるのだろう。

事前に大会を想像すると、漫才は「どんどん喋りがヒートアップしていく熱のある風景」をおもいうかべることができる。一人芸は、「どこか冷めたところがある芸」を予想してしまう。私個人の予想ではあるが、そういう傾向があるとおもう。

R−1とM−1の採点基準の違い

それに一人芸は、いろんな種類がある。採点もむずかしい。

2023年のファイナルも、田津原理音が最初と最後で二度嚙んだのをどう評価されるか、わからなかった。

まあどちらもネタがらみの部分ではなく、つまり笑いに直結しておらず最初と最後の挨拶でのとちりでしかなかったので、スルーしてもらえたのだろうとおもうが、でも、そこに引っ掛かる審査員がいてもおかしくない。

わからない。

M−1だとたぶん減点されたようにおもう。漫才は「喋りの技術」の競い合いでもあるからだ。

R−1だと、「あるあるネタの積み重ね」や「フリップ芸」から「一人コントの不思議な世界」まであって、喋り以外の発想や見せ方や小ネタの繋ぎかたなど、ほかに評価する部分がいくつもある。だからスルーされたのかもしれない。

R−1審査員は多数常識派と独自少数派に分かれている

審査員の採点も分かれる。

R−1の審査員は、2022年から変わってそのまま2年連続で同メンバー、左から、ハリウッドザコシショウ、野田クリスタル、小籔千豊、バカリズム、陣内智則の5人である。

このうち、左の3人が、多数派の採点をする。言ってみればストレートな採点だ。

右の2人が、ちょっとひねった採点をしていた。

そういうふうに分かれている。

まっとうな、というのは、つまり左の3人が採点が、結果に直結しているという意味である。

常識派と言っていいかもしれない。

バカリズムと陣内智則はそれぞれ独自に採点している

たとえば、2023年ファーストラウンドでの採点で、この3人の審査員は、すべて田津原理音に一番いい点をつけている。

そのまま田津原理音がトップで抜けた。

バカリズムと陣内智則は違う。

バカリズムは寺田寛明に最高点、陣内智則はコットンきょんが最高点であった。

それは今年だけではなくて、去年もそうだった。

ザコシ・野田クリ・小籔の常識派3人が2022年R−1ファーストステージで最高点をつけたのは1位通過のZAZYであった。

独自派バカリズムが最高点をつけたのは吉住で、同じく独自派の陣内智則の最高点はkento fukayaと金の国渡部おにぎりであった。

常識派は同じ人を選ぶが、独自派はべつだん連帯しない。そういう差がある。

独自派はつまり少数派である。常識派との視点が違っている。

採点方向と芸風が逆

芸風と逆になっている。

ハリウッドザコシショウや、マヂカルラブリーの野田クリスタルの芸は、コンテストにおいて、ときに問題視されるくらい独自なものである。

正統派ではない。

何をもって正統とするかはむずかしいが、とにかく「しゃべくり」だけの笑いではなく、かなり身体に依存している芸である。

だからこそ、審査員をやると、きちんと真っ当な視点から判断している。

正統派ではない芸人は、正統とは何かというのをいつも考えているからだ。

バカリズムや陣内智則は、常識からいつのまにか非常識エリアに突入するタイプの芸を見せる。

いわば、常識に出発点を置く常識的風貌の芸人であり、彼らのほうが基準点は独自なものになっていく。

これはこれでわかりやすい。

バカリズムと陣内智則だけが80点台をふつうに付けていく

それにバカリズムと陣内智則は、点数が低い。

バカリズムは、真ん中を90点にしていた。

今年は8人の出場者のうち、4人を90点台、4人を80点台で採点している。(2022年は90点台2人、80点台6人ともっと低かった)

陣内智則は、90点台が6人で、80点台が2人という比率で採点している。

必ず80点台を出すのがこの二人だ。

ザコシ、野田クリ、小籔の常識派は90点台採点だけ

いっぽう常識派のハリウッドザコシショウ・野田クリスタル・小籔千豊は、最低点を90点にしている。

つまり全員にすべて90点以上で採点して、そのうえで差をつけている。

だからバカリズムと陣内智則の80点台は、見ていてどきっとする。

ただ、採点についていえば、90点台ばかり付けるのが常識的というわけではない。

バカリズムも陣内智則も、1点刻みで付けているので、基準が低かろうと、8人にしっかり差をつけている。

彼らの採点の影響は、3人と同じである。

80点台が目立つだけで、彼ら採点で順位が決まっているわけではない。

ただ目立つだけである。

おそらく、飛び抜けて素晴らしいパフォーマンスが出たら、いきなり高い点をつけられるよう、そういう準備をしているのではないか。それをやったら彼らが一位を決めることができる。

そういう意志があるのは確かである。

出演者に全員違う点を付ける「松本人志方式」が目立つ

M−1グランプリの審査では松本人志が、出場10組にすべて違う点数をつけて、しかもその順位がファーストラウンド順位と完全に一致している、という神業のような採点をしたことがある。

2018年のことだ。

ちょっとインパクトが強かった。(ただ全員に違う点をつけてそれが順位どおりだったのはこの年だけである)

どうもそれ以来、「なるべく全パフォーマンスに違う点数を付ける」というのが、かっこいいように見られているように感じる。(あくまで個人的感想)

そのスタイルは、何かしらの確固たる意志を示しているように見えるからだ。

そのスタイルを真似る審査員が増えている。

M−1だとサンドウィッチマン富澤。

R−1では、2022年はバカリズム、2023年はバカリズムと、ハリウッドザコシショウ、陣内智則の3人がそれに近い採点をしていた。

松本人志は採点スタイルでも教祖になったか

採点の仕方は、これは各人の芸風と同じで自由である。

ダウンタウンの漫才が出現したとき、その芸風で世の中に衝撃を与えて、彼らのスタイルで漫才を始める人が多かった。

今度はまた、審査員の採点スタイルの教祖になっているのかもしれない。

出演者全員に違う点を付ける作業はじつは簡単である。

メモを用意して99点以下85点くらいまでの数字を書いておいて、使った数字に×をつけていけばいい。残っている数字から選べばできる。

ただ、これはこれでスタイル優先になると、本来なら同点としてよかったものを、無理に差をつけることになる。

なかなかむずかしいところだ。

R−1審査のむずかしさ

とりあえずいまのところ、R−1の審査は、ハリウッドザコシショウと野田クリスタルと小籔千豊が主導していることになる。

バカリズムと陣内智則の採点は、足並みを揃えておらず、そしてそのぶん影響が少ない。

いや、もちろん、審査員5人がみな常識派となって、似たような採点になってしまうのを求めているわけではない。それはそれで変な採点になってしまう。

R−1は同じ一人芸でも、スタンダップコメディと、コントと、フリップ芸が混じっており、どこをどう採点するかによって、みんな違ってくる。圧倒的な勝ち抜けというのが存在しにくい分野なのだ。

採点もそれだけむずかしい。

審査員も、採点も、いまのところ芯がない、というのがR−1グランプリの印象である。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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