Yahoo!ニュース

「あさイチ」華丸・大吉の『ちむどんどん』受け回数がどんどん減っていくさま

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2019 TIFF/アフロ)

『ちむどんどん』放送開始期は博多大吉はお休み

朝ドラ『ちむどんどん』の第1話が放送されたのは4月11日のことで、ずいぶん前のような気がしてしまう。

地上波の放送は8時30分に終わって『あさイチ』が始まって、受けたのは博多華丸と鈴木奈穗子アナだった。

博多大吉は体調不良でお休みだったのだ。

彼が復帰したのは次週の19日火曜からだった。

『ちむどんどん』を見て幸せだったころ

大吉がいなくても、華丸と鈴木アナが毎日、新しい朝ドラについて語っていた。

すごく語る。時間かけて語っていた。

何というか、幸せな時間だったのだとおもう。

『ちむどんどん』の暢子はまだ稲垣来泉で、つまり小学生時代、沖縄は復帰前、『ちむどんどん』も世間も、穏やかな時代だった。

「食いしん坊でお転婆で、足が速い! 定番ですなあ」と華丸はうれしそうに語り、仲間由紀恵さんはしなやかだと感心し、そして、家族で食べた豚の「あばば」について繰り返し語っていた。楽しそうだった。

「あばばの呪い」と博多華丸は唱えていた

『ちむどんどん』の主人公一家、比嘉家では、豚を二頭飼っており、あべべとあばばという名前の二頭だったのだが、和彦くんとお父さんが遊びに来たときに、あばばをつぶしてみんなで食べたのである。

序盤のちょっと衝撃的な(そしていま考えると平和な)シーンであった。

なぜ、あばばだったのか、あべべではなかったのか、というところに華丸はずっとこだわっており、暢子のズックが運動会で脱げてしまったのも「あばばの呪いだ」とまで言い出す始末で、つまりは楽しんで見ていたわけである。

『ちむどんどん』について28話まで毎回語りつづけた

そのまま、毎日、必ず、朝ドラ終わりに、華丸と鈴木アナは語るのである。もちろん復帰してからの大吉も毎日語るのだが、とにかく毎日、しかもけっこう長く語る。1分は超えていた(2分にはなりませんでしたが)。

「あさイチ」の休みをのぞき、かならず「受け」ていた。

ただ、それは28話まで。

29話5月19日になって、はじめて「スタジオでの朝ドラ語り」がなく、取材録画映像がまず流れて、そのまま「あさイチ」に入ることになった。

もともとあるパターンである。

VTR作りに力をいれて、今日はスタジオで朝ドラについて語らせないぞ、というスタッフの意気込みが見える回でもある。

それはそれでいいのだ。そういう回がときどき入って、それでバランスが取れる。

有働さんとイノッチの時代からそうであった。

逆に言えば、5週間そのパターンが1つもなかったのがとても不思議なのだ。

新しい朝ドラが始まってのしばらくの特別措置ということだったのだろうか。

『ちむどんどん』が語られなくなっていく数値

そして、その週から、なぜかスタジオで朝ドラについて語らなくなっていく。

どれぐらいの頻度で「朝ドラについて語る回数」が減っていくのか、数えてみた。

『ちむどんどん』は1週で5話。

そのうち、華丸・大吉&鈴木アナ(プラスときにゲスト)が朝ドラについて触れた回数(5日のうち何回触れたか)を数値にしてみた。

第1週 5回

第2週 5回

第3週 4回(祝日で1回あさイチなし)

第4週 2回(祝日で3回あさイチなし)

第5週 5回

第6週 4回

第7週 2回(うち1回北朝鮮のミサイルニュースのため)

第8週 4回

第9週 4回

第10週 3回

第11週 2回

第12週 1回

第13週 2回(うち台風ニュース1回)

第14週 4回

第15週 2回(大雨ニュース1回および祝日1回)

第16週 3回(うち大雨ニュース1回)

第17週 2回

第18週 0回(高校野球中継で「あさイチ」なし)

第19週 0回(高校野球中継と「あさイチ」特別編のみ)

第20週 3回

(ゲスト紹介のおりに簡単に触れるだけなどの回は入れていません)

7週目から減っていく

7週目から減ってきて、10週目からは、おそらくわざとではないか、という頻度で減らされていく。

10週目、11週目、12週目というのはの6月半ばから後半で、7月は大雨も多く、そのまま8月の高校野球中継に入ってしまった。

暑くなって以降の感覚では、朝ドラ終わりに感想を聞けるかどうかは半々くらい、になったのだ。春は毎日聞けたのに、とたんに少なくなった。

どんどん減っていったのは暢子・和彦・愛の三角関係の時代

たまたまなのか、世評を気にしてのことなのかはわからない。

コメントが減っていた時期は『ちむどんどん』でのヒロインと、やがて結婚する和彦、その時点での和彦の恋人である愛の三人の関係が停滞しつづけているときである。

このチェックのために、毎話の最後の20秒くらいづつを見直しても「でーじ、わじわじする!」と叫びたくなってしまうような、そのあたりである。

たぶんこの朝ドラのもっともまずいところは、あの三角関係だったのではないか、とあらためておもう。

和彦をほとんど風景のような存在にしたから、誰にも届かなくなってしまったのだ。

暢子の「人の言うことを聞かない」というキャラは、まあ、朝ドラのお馴染みのものだから、さほど気にするほどのものではない。

華丸のコメントはほぼ「お叱言」になっていく

そしてこの時期、博多華丸さんの朝ドラへの「お叱言」が厳しくなっていくのである。

なぜそういうことをするのか。それではいけないだろう。もうちょっと考えてもらいたい。

ドラマの登場人物に対してのセリフではあるが、そういう言葉が多くなった。

朝の情報番組の冒頭で発するべきセリフではない。

ツッコミ待ちのドラマにつっこんでしまうと…

おそらく「ツッコミ続けてもらおう」という意図で作られているドラマに、その思惑どおりにまんまとツッコミ入れてしまったわけで、そこにハマってしまえば、止まらなくなる。

少なくともニーニー・比嘉賢秀のだめ男ぶりはあれは確実に制作側の狙いである。

そしてそこにツッコミ出すと、ヒロインにも、その姉妹や母にも何か言い出してくなってしまうのだ。ツッコまなくてすむのは、彼らのお父さんくらいである。

これからの「あさイチ」冒頭は変わるのか

『ちむどんどん』はまだ終わらない。

あと一か月ある。

これから「あさイチ」の冒頭で朝ドラについて話す回数が減るのか、そしてそれはそのままマインちゃんの次作にも続くのか、それとも新しい朝ドラになるとまた戻るのか、そのへんはわからない。

たぶん大事なのは「気楽に見ること」だとおもわれる。

あまり本気に真剣に対峙する質のものではない、と、そう感じる。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事