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『青天を衝け』は明治時代になっても魅力的 大河ドラマ不人気の時代を克服できたわけ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

明治を「わくわくする時代」として描く大河ドラマ

『青天を衝け』は御一新のあとも、まだわくわくする。

ちょっとこれまでにない大河ドラマである。

これまで「明治維新のあと」まで描いた大河ドラマは、あまり受けがよくなかった。近代は大河ドラマの「鬼門」であった。

それは「明治時代はおもしろい」という視点がなかったからだろう。

吉沢亮の渋沢栄一を見ていると、それがよくわかる。

『青天を衝け』で渋沢栄一は、明治になっても「おかしろい」という心持ちを忘れずに、軽やかに突き進んでいく。

見ているほうも、一緒に軽やかに、おおー! と叫びたくなってしまう。

そんな心躍らされる明治初期を眺めているのは、たぶん、大河ドラマを見始めてから初めてのことである。

これまでの明治時代は困っている人ばかり

これまで、大河ドラマで描かれた「明治の世」は、何だか、みんな困ってばかりだった。

その最たる人物は西郷隆盛で、徳川を倒したのに、おもっていたのとまったく違った世になっていてしまって、ほとほと身の置き場がなかったのだろう。ずっと消えてなくなりたいと考えていたかのようで、そんな心情を反映されたドラマを見てもあまりうきうきしない。

それは吉田松陰の妹でも、会津戦争で鶴ヶ城に籠城した女性でも同じで、よし、明治だ、新しいぞ、という弾んだ心持ちで新時代を迎えておらず、ドラマも「派手な幕末の後日談」のような出来上がりになる。

「大河ドラマの明治ものはけっこう退屈である」というイメージが強い。

渋沢栄一を主人公にしている当作も、幕末から始まり明治の世がメイン舞台となる。果たして大丈夫だろうかと、最初は心配していた。

『青天を衝け』の魅惑的な「前へ向かっていく」姿

ところが『青天を衝け』の主人公は躍動している。

演じている吉沢亮が、いつも跳ねているかのようだ。

文久元治のころから躍動的で、そのまま明治になっても動き続けている。

もともと、御一新を起こそうとしたほうではない。

主人公の渋沢栄一は、幕末の最終段階では十五代将軍慶喜の直属の家臣であり、幕府使節の一員としてパリ万博の視察に行っていた。彼が海外にいるあいだに、慶喜は将軍ではなくなり、政権は徳川から離れ、彼らは「日本政府の使節団」ではなくなってしまう。

海外にいるうちに自分たちを派遣した政府がなくなったのだ。

なかなかスリリングな展開である。

それでも渋沢栄一は前に向かって進んでいく。

日本に戻り、武士らしく旧主の徳川家に奉公する。

しかし新政府から呼び出しが掛かる。

それを聞いて、幕府を倒した連中にどうして協力しなきゃいけねんだと腹を立て、断るために東京へ出ていった。

伊藤博文と大隈重信の「わくわく感」

そこで出会うのが伊藤博文と大隈重信だ。

彼らもまたとても躍動的な人物として描かれている。

『青天を衝け』明治編の「わくわく感」は、この山崎育三郎が演じる伊藤博文と、大倉孝二が演じる大隈重信の魅力から始まった。

どちらも何だか軽やかである。

実際の大隈公や伊藤公が、これほど軽やかで風通しがよかったのかは定かではないのだが、それはどうでもいい。

この大河ドラマの主題は、人ではなく「時代の動き」をきちんととらえるところにあるようで、その流れがおもしろいのだ。

それぞれの歴史上の人物は、時代の動きを明確にするため、少しばかり誇張や省略がなされているみたいで、それはそれでいいと、私はおもう。

こういう解釈もありえるという提示は、とてもおもしろい。

新政府廟堂での「焼き打ち自慢」

抗議する意気込みで新政府に乗り込んだ渋沢栄一は、まず伊藤博文と会う。

渋沢栄一は、過去に異人館焼き打ちを計画したことがあり、それを理由に出仕を断ろうとするが、伊藤博文は話の途中で「おっ」と軽やかに反応する。

「どこやった?」と詰め寄ってきた。

「は?」

「焼き打ちじゃ。そうか君もやったんか」と伊藤は抱きかかえんばかりの親密感にあふれている。

「スッとしたじゃろ、どこやった?」

「どこ………横浜を焼き打ちにしてやろうかと……」

「そりゃ豪儀なもんじゃ、わしゃ品川じゃ、御殿山のエゲレス公使館に焼き玉をぶちこんじゃった」

伊藤博文と明治新政府「青春ヤンキー編」

伊藤博文と渋沢栄一の会話が「昔やったワル自慢」のようになっていて、まるでヤンキー高校生どうしのやりとりである。

高杉晋作、久坂玄瑞ら長州藩の連中が「完成しかけた品川のイギリス公使館」を燃やしたのは文久二年の暮れで、伊藤博文、井上馨も加わっていた。

いっぽう渋沢栄一の焼き打ちは、計画したばかりで、実際にはやっていない。

こう見えて、おれもワルだったんだぜ、だから政府の役人なんぞなれん、と言おうとしたら、上役に当たる人物に、異人館の焼き打ちならおれもやったぞ、あれは気持ちいいなと言われて、たじろいでしまっている。

まるで明治新政府・青春ヤンキー編である。

まあ、昔の「やんちゃ」がテロであるところが時代なのだが。

開き直る大隈重信の愛敬

そのあと出会うのが大隈重信だ。

この、大倉孝二が演じる大隈重信もすこぶるいい。

あまり強そうではない。

渋沢栄一の剣幕を見て、最初はびびっていた。

ところが途中で、開き直る。

「おいは、なーも知らん。いっちょんいっちょん、なーも知らん」

幕府を倒したことも、慶喜を追い出したことも、なーも知らんと言い切る。

あれは岩倉公と薩摩と長州がやったことで、そんなこと、なーも知らんと言い放って煙に巻き、相手の話を聞かずにどんどん自分の言いたいことを言う。

この、大倉孝二の大隈重信がいいのは、威圧的ではないところだ。

弁舌さわやかに、朗々と渋沢栄一を口説き、まさに演説家・大隈重信の面目躍如というところである。言い終わったとたんに、ふっと息を吐いて倒れるように椅子に座りこんでしまう姿にも愛敬がある。

渋沢栄一は、この不思議な弁舌に説得され、新政府で働きだす。

「であーる」は大隈重信の口癖

「であーる」が大隈重信の口癖であったという話は、早稲田大学のどこかで聞いた覚えがある。創立者に関する噂として、大学に伝わる逸話として聞いた。

ドラマで実際に演じられているのを見て、ああ、これが大隈公の「であーる」か、とちょっと感心してしまった。

「大隈家御用達」の札をずっと掲げていた早稲田の蕎麦屋は、いまはファミリーマートになっちまったんだよな、と余計なことまでおもいだしてしまった。

2004年大河『新選組!』での大倉孝二

大河ドラマの大倉孝二といえば、2004年の『新選組!』が忘れられない。

新選組勘定方の隊士を演じ、公金流用の疑いで切腹を命じられ、金を返せば腹を切らずにすんだのだが、親元からの送金が遅れ、彼が切腹した直後に飛脚がたどりついた、というとても哀しいエピソードを見せてくれた。

それが17年たって、大蔵卿にまで出世して、ちょっとうれしい。

『青天を衝け』はいつも新しいことが描かれている

大隈重信に説得された渋沢栄一は、その後、明治政府に出仕する。

常に前向きに活動する。

場所を間違って政府の重鎮に意見をしたり、「郵便」制度を発足させて大喜びしたり、世紀の改革「廃藩置県」のために四日で全国の会計処理をこなしたり、どきどき、わくわくが続く。

「新しいこと」がいつも描かれていて、新鮮なのだ。

明治新政府は、いつつぶれるかわからない

このドラマのおもしろいところは「明治新政府」はいつつぶれるかわからない、という当時の心情がきちんと描かれているところにもある。

みんなそうおもっていたようだ。

新政府が軽いのだ。

それに合わせて人物も軽めで、でも必死である。

ユーモラスだが、また一面、ひりつくようなリアルさもある。

そこがおもしろい。

「民」の力を重く考える渋沢栄一たちと対立するのは、「官」に重きを置く大久保利通である。

おそらく政府が軽いからこそ、重くしようと必死だったのだろう。

でも『青天を衝け』では大久保利通は敵役である。

このドラマでは「薩摩は敵」という視点が一貫している。

「明治六年の政変」を乗り越えて

『青天を衝け』のわくわく感は、演じる吉沢亮の力も大きい。

吉沢亮の身体から滲み出る躍動感が尋常ではない。

目の力が強いが、それさえも、常に前を向いてわくわくしているように見える。

どこまでも、おもしろがりながら前に進む姿が描かれ、ああ、こういう人はいいなあ、とおもってしまう。

いちいち自分は何者かとか、自分に何ができるのかとか、そういうことを立ち止まって考えていない。できることをやる。

また、将来できる人になるための努力をする。

考えている時間は無駄だといわんばかりで、朝ドラの主人公とは反対のところにいる。

31話「栄一、最後の変身」では、政府の役人を続けていると、どきどきわくわくが減っていくのではないか、と栄一は考えだしたようだ。

政府高官の権力争いにもほとほと嫌気がさしているようで、それはみんな感じるところである。

やがて起こる「明治六年の政変」をものともせず、渋沢栄一は軽やかに進んでいくのだろう。

楽しみである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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