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『パネルクイズ アタック25』が46年経ってたどりついた土地

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

『パネルクイズ アタック25』の関西テイスト

『パネルクイズ アタック25』には、ずっと関西の風が吹いていた。

46年眺めていて、ずっとそう感じていた。

『パネルクイズ アタック25』は『新婚さんいらっしゃい』からそのまま見ることが多く、どちらも大阪のテレビ局(朝日放送)の制作である。

この二番組のセットには何となく「1970年代の関西の空気」が流れ続けていた。

「アタック25」が終わって、日曜午後のその流れが少し変わっていく。

1970年代の『新婚さんいらっしゃい』の異様な人気

1970年代の前半は、私は中学生・高校生として京都で暮らしていた。

『新婚さんいらっしゃい』が始まったのは1971年、『パネルクイズ アタック25』はそれから4年遅れて1975年から始まっている。

『新婚さんいらっしゃい』の人気は、『パネルクイズ アタック25』が放送されるころからどんどん高くなっていった。

日曜の昼下がり、桂三枝(現在・桂文枝)と新婚さんのやりとりを眺め、そのままの流れでパネルクイズを眺めていた。

『パネルクイズ アタック25』をほぼ46年ずっと視聴しつづけていたのだが、それは『新婚さんいらっしゃい』の続きだったからだと言える。

1970年代、三枝のトークが見たくて、毎週「新婚さん」を見ていたのだ。

そういう若者も多かったはずである。

故郷の風に触れる感覚

その後、1970年代後半から東京で一人暮らしを始めたとき、この日曜午後の朝日放送系の二番組を続けて見られることが「関西と同じやなあ」と感慨深かった。

いわば故郷の風に触れるような感覚で「新婚さんからアタック25」を見ていたのだ。

そのころからすでに懐かしい感じがしていた。

『アタック25』の司会は児玉清で関西弁ではないが、流れや作りにどうしても「関西もの」を感じる。

それは1970年代に関西発から全国人気になった『ヤングおー!おー!』や『パンチDEデート』、『プロポーズ大作戦』なんかに通じる空気である。

どれだけ隠していても「自分、関西やろ」と声をかけたくなる雰囲気があるのだ。

それは谷原章介に変わっても残っていた。

『パネルクイズアタック25』は変則のクイズ番組だった

『パネルクイズ アタック25』は王道のクイズ番組ではない。

もっとも多く正答した者が勝つわけではなく、正答数が少なくてもタイミング良くパネルが取れれば、優勝することができる。

そのへんがテレビ番組としてのおもしろさであり、人の懐に入りこもうとする関西らしい工夫を感じる部分である。

バラエティ番組でその基本の形を40年変えないというのは、なかなかできることではない。そもそも46年続いたということがすごい。

バラエティはふつう、10年続く前に壁が来る。

数年同じことをやっていると、もう古いだろう、と必ず言われる。

そこを乗り越えて20年続けられれば、もう古いとは言われなくなる。

そこまで耐えられるかどうかということであり、ほとんどの番組にはそれができない。

『パネルクイズ アタック25』が46年続いた土壌

その部分でも東京ではなく大阪制作というのが大きかったのかもしれない。

もちろん大阪であっても、新しいものに変えようという動きは常にあるはずだが、関西エリアというのはなんか本筋とは別の論理がときどき入ってくる不思議なエリアで、それが歴史の長い土地ということでもあるのだが、それが何ともいえない味わいになり、いろんなものの壁にもなっている。

それが「アタック25」では継続の力になっていたのではないだろうか。

やはり東京に対して、第二の都会としての大阪という存在は大事なのだとおもう。

日本社会そのものの中にカウンターカルチャー的なものがあることによって、何かしらの強度を保てるだろう。

大阪は何とか独自の文化を保とうとしている「大都市」であり、大人数で別文化を保持するというのは、なかなかすごいことだとおもう。

大阪文化が日本の何かを守る

それはたとえば、駅エスカレーターで「大阪では右立ちです」と強く主張するところにもあらわれている。

あれには大阪に行くたびに困惑するが、ただ「東京式に従う必要はなし」という大阪らしい矜持だとおもって、微笑ましく見守るのがいいのだろう。

たぶん右立ちによって日本の何かを守ってくれているのだ。

阪神地区以外に広めて欲しくはないが(京都人の私の感覚としては、京都はあの文化に参加していない)独自文化の保持としては頑張ってもらえればいいとおもう。

「新婚さんからアタック25」は関西文化らしい一翼を担っている。

クイズ番組が終了しても,大阪制作は続くから、そのテイストは守っていって欲しい。

白黒テレビでもパネルの違いは認識できる

おもいだしたので書いておく。

東京で一人暮らしを始めたころ、見るテレビはだいたい白黒のテレビだったけれど、それでも「アタック25」のパネルの色の違いは認識できた。

白黒テレビ「アタック25」を見たらパネルの違いがわからなかったという証言を見たことがあるが、それは私の記憶とはまったく違う。

私に言わせれば、それは真剣に見ていないだけである。

遠くから、ないしは見るともなしに見ていたら、判別はつかないだろう。別にどの色が増えていようがどうでもいいとおもって眺めていたら、区別は必要がない。

でも真剣に見ていれば白黒テレビでもパネルの違いはわかる。

濃淡がついている。

そもそも番組が始まったころ、つまり1970年代には白黒テレビしかない家も一定数あったはずで、制作側がそのことに配慮していないわけがない。

パネルは、白黒テレビでも区別のつく濃淡があった。

それが1980年ごろの記憶である。

海外旅行がなくなった衝撃

今年に入って驚いたのは、最後のパネルクイズに正解しても「海外旅行」に行けなくなったことである。

1975年からずっと「獲得したパネル部分から見えるものを当てる動画クイズ」に正解すれば、海外旅行に招待された。

最初のころはパリ、そのあともヨーロッパが多く、ドイツロマンチック街道の旅や地中海クルーズ、ときにアメリカ・フロリダのディズニーへの旅もあった。

とにかく日本人憧れの欧米への豪華旅行へ行けるのが「アタック25」であった。

昭和の夢でもあった。 

それが、平成を越え、令和になって三年め、この春から、豪華旅行は「宮古島」になったのだ。

いや、宮古島もいいところだとおもうし、行きたい人も多いだろう。

でも、カタカナではない。漢字だ。国内である。

谷原章介が、宮古島の旅と言ったときはかなり驚いた。

46年経ってたどり着ける土地は「宮古島」

1975年にはフランスのパリに行けたが、2021年には沖縄になった。

46年経って、たどりつく地はかなり近くなったのだ。

46年かけて「青い鳥」は身近にいることがわかった、というアナロジーのようである。

一瞬、もはや若い人にとって、パリやドイツロマンチック街道やハワイはみんなの憧れの地ではなくなったのかもしれない、とおもってしまったが、どう考えても新型コロナの影響である。

でも2021年春、熾烈な戦いを勝ち抜いても、海外に行けなくなった。

何かが大きく変わった瞬間だった。

それからしばらくして、番組が終了すると聞いたのだが、妙に納得した。

終了そのものにはいろんな要因があるのだろうけれど、46年間ただ見ていた者としては「海外に行けなくなったらしかたないねえ」とおもったばかりである。

2020年代はいろんなものが変わっていく時代なのだろう。

『パネルクイズ アタック25』の終了はそれのひとつの象徴である。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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