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ドラマ『イチケイのカラス』で竹野内豊が教えてくれた「人生にとってとても大事なこと」

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

「職権発動」して事件を調査しなおす型破りな裁判官の物語

竹野内豊の『イチケイのカラス』は、最初から最後まで視聴率10%を超えて、しっかりと受け入れられたドラマだった。

竹野内豊が演じる型破りな裁判官が、毎回、手間をかけて心の通じた判決を下す。

そういう裁判ドラマである。

このドラマの見どころは、裁判官の入間みちお(竹野内豊)が「職権を発動します」と宣言して、みずから、事件の真相を見つけるために現場に調査に出向くところにある。

しかも、それまでの捜査では見つからなかった事実に気がつき、あたらな展開を見せる。

犯罪を犯した被告も納得のできる判決を言い渡す。そういうお話。

ファンタジーな「裁判ドラマ」の魅力

すでに警察が調べた現場に行って、裁判官とその助手的な書記官と、ときに検事たちが一緒になって調査して、あらたな証拠を見つけるというのは、まあたぶん、現実ではあまり起こらないのだろう。そういう想像はつく。

そこは「事件ものながら、ファンタジー色の強いフィクションなのだろうな」とおもって見るしかない。

でも、ドラマだから、それでいいんである。

実際の裁判官はそんなことをしないのだろう。

ただドラマが伝えようとしているのは、裁判官の業務ではなく、それを超えた人としてやるべきことであり、それをわかりやすく示してくれていたとおもう。

そこにこのドラマの大きな価値があった。

疑問を感じたらあきらめない。

自分たちが正しいとおもえる判決をくだせるまで、最大の努力を払いつづける。

そうすることによって被告もまた納得してくれる可能性が高まる。

そういう「人生にとって大事なこと」を教えてくれるドラマだった。

それはまた飄々とした竹野内豊だからこそ、説得力があったとおもわれる。

とてもとても素敵なドラマだったとおもう

圧力に屈せずに正しいことを証言する弱者に寄り添う

イチケイというのは第一刑事部の略称で、つまり、刑事事件を扱っている。 

殺人や窃盗、傷害などの判決を下している。

ドラマで繰り返し描かれていたのは、圧力に屈さずに、正しい証言をする弱者の姿である。

最初は、力をもった存在(社長とか、議員とか、判事とか)におさえつけられ、懐柔され、彼らに都合のよいように事実を曲げた「嘘の証言」をする人たちがいる。

でも、入間みちお(竹野内豊)らのまっすぐな説得によって、勇気を持って「正しい証言」をしなおす。逆転の姿である。

そういう証言をしたら、何かしらの報復を受ける可能性が高い。

たとえば、会社をクビになるとか飛ばされるとか、下請け会社なら仕事がもらえなくなるとか、そういう不利益があることが予想されるのだが、勇気を持って、自分の誇りのために、「正しいこと」を証言する姿が何度も描かれた。

たぶん、これも現実には、なかなか起こりにくいことだとおもわれる。

じっさいに勇気を出して一人真実を告発しても、続く者がいなければ、「この人はうそつきですから」とまわりを固められ、証言さえも無意味にされることがある。孤立して、仕事や立場を失うということはふつうに起こるだろう。なかなか現実ではむずかしい。

でもこういう物語は、見てる者の心を揺さぶる。

彼らの勇気ある告発が、事態を動かすのを見ると、心洗われるおもいがする。

それがまた「本当はありえないことをリアルに見せる」ドラマの力であり、存在意義でもある。

型破りの裁判官がとても似合う竹野内豊の魅力

弱者の勇気を引き起こすのが、「型破りの裁判官」入間みちお(竹野内豊)の存在である。

いつも飄々としていて、格式ばらず、ふるさと納税の返礼品を集めるのが趣味で、仕事机のまわりはものがちらかっている。

やさしそうで、ニコニコしているが、底には信念があって、ひとすじ縄ではつかめないキャラクターである。

竹野内豊ならではのキャラクターだろう。

彼だから、とても味わい深い役になっている。

『ロングバケーション』『ビーチボーイズ』のむかしからの竹野内豊

竹野内豊は、若いころは鋭い性格の役も演じていたことはあるが、でも、あの風貌と雰囲気から、いつもやさしげな印象になることが多い。

近いところでは『義母と娘のブルース』での父の役、少し古いところで『BOSS』での警察での責任者の役。

人当たりはいいし、気持ちのいい人だけど、奥には何か秘めてそうな役どころだった。

ふるく1996年の『ロングバケーション』でのヒロイン南(山口智子)の弟役でも、飄々として、つかみどころのない存在だったし、1997年の『ビーチボーイズ』では軟派な反町隆史に対して、お堅い役どころで、それは芯の部分では反町が剛であり、竹野内が人と合わせる柔なキャラだったから割り振られていたキャラクターであった。

考えてみればそのころからずっと(厳密にいえば1995年の『星の金貨』からずっと)、竹野内豊のドラマを見続けている。

竹野内豊が感じさせる「飄々としたあったかさ」

印象に残っているものだけでも、1999年の『氷の世界』、2001年『できちゃった結婚』、2003年『ヤンキー、母校に帰る』、2004年『人間の証明』、2006年『輪舞曲』、2010年『流れ星』、2014年『素敵な選TAXI』、2016年『グッドパートナー』と、枚挙にいとまがない。

そして、どれをおもいだしても(たとえばかなりハードな刑事役だった『人間の証明』でさえも)おもいかえすたびに、竹野内豊のあたたかさも一緒におもいだしてしまう。

そういう存在である。

年を経て、2010年代以降、竹野内豊の「飄々としたあったかさ」はより増しているようにおもう。『義母と娘のブルース』でもそれは十全に現れていたがあれはやはり義母と娘(綾瀬はるかと上白石萌歌)の物語であって、竹野内豊は背景のふんわりした存在だった。

『イチケイのカラス』はその竹野内豊が前面に出てきて、彼の魅力で包まれていくお話である。

若い裁判官を演じる黒木華の素敵な変貌ぶり

本来の裁判官ならぜったいにしないだろうことを、竹野内豊は、軽々と、力を抜いた感じで、おこなっていく。

それを四角四面に注意する役が黒木華の「坂間千鶴」裁判官である。

彼女もまた実に味わい深い役どころだった。

彼女は規則どおりにきちきちと物事を進めようとするのだが、いつのまにか入間みちお(竹野内豊)のペースに巻き込まれ、感化され、彼と同じ「手間をかけ、悩み、よく考え抜いた判決」を大事にする裁判官に変わっていく。

その変貌ぶりが素敵である。

『イチケイのカラス』は彼女のその変貌の物語でもある。

また彼女は「入間みちお(竹野内豊)」の独特の考え方は法曹界では異端であっても、人間としては正しい行いなのではないか、と身をもってを伝える役でもあった。

異端であるがゆえ、人としての道を正しく示す、という部分がこのドラマのスリリングなところだ。

『イチケイのカラス』は、裁判もの・事件ものであることや、異例の裁判官のキャラが楽しいという部分を超えて、「人生にとって大事なこと」を飄々と教えてくれるドラマだったのだ。

この「飄々と」人生を教えてくれるというのが、とてもいい。

それは竹野内豊の力でもある。

「何のため、誰のために働くのか」と問いかける裁判官

最終話、建築現場で違法労働があったかどうか、という問題で「勇気ある証言」を求め、「入間みちお(竹野内豊)」は法壇を降り、証人や傍聴席に語りかける。

「何のために、誰のために働くのか」

勇気を出して一歩ふみだせば、少なくとも自分の人生に誇りを持って生きていけるのではないでしょうかと彼は語りかける。

これはドラマを見ている私たちも、傍聴席にいた「圧力に屈して偽証していた人たち」の心も動かされる言葉だった。

自分の人生と、自分の誇りを大事にして、生きていかなければいけない。

そう「入間みちお(竹野内豊)」は語りかけてくる。

「何のため、誰のために働くのか」に対する答え

「何のために、誰のために働くのか」という問いはとても重要な問いだとおもう。

そして、ドラマの中で、彼はその答えを直接口にはしていない。

でもちゃんと見ている人にはわかったとおもう。

どんな仕事であれ、その仕事に対して、どこまでもどこまでも、可能なかぎり誠実でなければいけない。

あきらめずに自分のできることをみんなやらなければいけない。

それは「自分の人生と自分の誇り」を大事にすることであり、そしてそれは周りにいる人たちみんなを大切にしていることである。

そういうメッセージである。

人生にとってとても大事なメッセージである。

人生にとって大事なことを言葉にして渡してくれたドラマ

アルバイトの若者であろうと、人を束ねる責任者であろうと、働く人であるかぎり、そのことを忘れてはいけない。

ドラマから強く訴えられてきた。

そしてそれはきちんと届いた。

自分の心のなかに、この入間みちお、それは竹野内豊の姿だけど、それが埋め込まれ、この後の人生において、何かあったときに、彼のこの言葉をおもいだしたほうがいい、そう決意させたセリフでもあった。

それは第一話から繰り返されてきた主張であり、黒木華の「坂間千鶴」裁判官が突き動かされてきた言葉であった。

“自分で、できるかぎりでいいから、でも精一杯、誠実に、働こう”

見たあとに、そう自分で言葉にして自分に刻むことができた。

人生にとって大事なそういう言葉を渡してくれたドラマだった。

とてもとても、いいドラマだったとおもう。

名作なのか、おもしろいのかとか、そういうレベルを超越して、そんな話ではなくて、未見の人はぜったい見たほうがいい。

そういうドラマでもある。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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