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「実家」は親の家のことではない 『鬼滅の刃』煉獄杏寿郎と『おちょやん』に見る用法の差

堀井憲一郎コラムニスト
(著者制作)

「実家」という言葉の本来の意味

実家、という言葉がある。

いまは「親の住んでいる家」という意味で使われている。

そこそこ大きくなった人間が、「自分の親」の住んでいる家を指す言葉である。

親と同居しているときでも使う。

「実家住まい」という言い方は、いまではふつうだろう。

ただ、本来はそういう意味ではない。

辞書を見ればわかる。

「入り婿・嫁・養子から見て、自分の生まれた家」

これがもともとの意味である。

つまり「婿に行った」「嫁に行った」「養子に行った」者が、自分が生まれ育った家を指して使う言葉だったのだ。

大雑把に言えば、姓が変わった人が、旧姓の家のことを「実家」と呼んだわけである。

(もちろん「夏目家の分家」から「夏目家の本家」へ養子に行くような姓が変わらないこともある)

嫁、婿、養子だとおそらく嫁に行く人の数がもっとも多く、「結婚して家を出た女性が、かつて自分が育った家」のことを指して「実家」という場合が以前は多かった。

実家は、和語でいうなら「さと(里)」である。

明治時代の夫婦が喧嘩して、嫁が怒って飛び出すときに言うセリフは「さとに帰らせていただきます」だった。(昭和時代も使ってました)。

「家」システムが大事にされていた時代の用語

まあ、「家」という概念がすごく強かった時代の用語である。

かつて「家」を守ることでなるべく多くの人が生きていけるようなシステムが構築され(たぶん数百年以上前のことです)、それをみんなで守っていたのだ。

20世紀後半になって、日本全体がかなり豊かになり(15世紀や17世紀に比べて、餓死する人がかなり減ったというレベルで豊かにはなったので)、「家システム」によっかからなくても生きていける人が多くなり、いろんなことが変わった。

「実家」という言葉の用法も変化した。

高島俊男「お言葉ですが…」での指摘

先だって亡くなった高島俊男という先生(中国文学者、エッセイスト)がかつて週刊誌のエッセイに「実家という言葉」について書いていた。

いまから22年前(平成十一年)の文章である。

まず読者からの手紙を紹介している。

「最近男でも「実家に帰る」という言い方をしますが、これはどういうことでしょうか。家を出て他郷で仕事をすることが多いからなのか、聊か疑問であります」

「ちかごろの学生は休みに家へ帰るのを「実家へ帰る」と言う。どういう料簡か」

そういう二通が紹介されている。

昭和十二年生まれの高島先生も同じ感覚であり、いまどきのそういう誤用に驚いている。そのあとに解説が入る。

「実家というのは本来は法律用語で、「もと所属していた家」ということである。結婚してよその家へ行ったら、行った先が婚家、もといた家が実家。養子に行ったばあいは行った先が養家、もといた家が実家だ。しかし婿や養子に行く人は比較的すくなく、お嫁に行く人が圧倒的に多いから、事実上、実家というのは結婚した女がもとの家を言う語、ということになっていた」

と記している。当時、雑誌でこの記事を読んで深く納得した覚えがある。

(高島俊男『お言葉ですが…5 キライなことば勢揃い』より)

「「もと所属していた家」という原義が生きているなら、学生が使うのは誤用ということにもなる」という指摘もしている。

でももう二十年以上前の話である。

いまだとこの指摘じたいが理解しにくくなっているだろう。

一九七○年ごろからいまの用法になっていった

高島先生のこのエッセイの後半では、岩波国語辞典の表記も引用し、本来の意味のあとに「▽成人した子と親との別居がごく普通になった一九七○年ごろから、生家・父母の家の意でも使う」と紹介されている。

昭和の後半(昭和全体の七割が経過したころ)から使い方が変わってきたということのようだ。

それまでに大人になっていた世代は、「実家」という言葉は「婚家」と対で使うものだったのだ。

私は一九七○年に中学生だった年齢なので微妙なところだが、まあ、古い言葉が多く残っていた京都育ちであるので、この高島先生の感覚が何となくわかる。

違和感というほどでもないが、本来の使いかたとは違うんだよな、とあくまで心の中ではときどきおもいだしている。

でもそれも心の中だけであって、いちいち訂正することはない。「実家住まい」という言葉もふつうに使っている。

先だって、NHKの五十代の男性アナウンサーが「熊本の実家の近くで」とふつうに語っていたので「実家とは親の家のこと」という用法は、広くふつうに使われているとおもっていいだろう。もはや誤用ともいえない。

「実家」という用語のさらなる可能性

もっと広い意味に使っている若者もいた。

「世田谷区生まれの狛江育ち」(狛江は世田谷区と隣接している東京の市)だという現役三年の大学生が、「こないだ実家の長野に行ってきまして」と話しだしたので、さすがに「その実家って、どういう意味なの」と問いただしたことがある。つい最近の話だ。

「ああ、父の育った家です、祖父母がいます」と答えてくれたので、ちょっと感心してしまった。

つまり彼は、父の生家であり「おじいじゃん、おばあちゃんのいる田舎の家」のことを「実家」と呼んでいるのだ。

おそらく東京生まれの東京育ちだから使っていたのだとおもうが、「実家」という言葉はそこまで広がる可能性を持ち始めている。

まあ、誤用といえば誤用だけれど、これはこれで言葉の可能性を示していて、おもしろい。

明治生まれの人に使わせてしまった『おちょやん』の誤用

ただ、個人的な感覚として、「それはちがう」とおもうのは、昔の人にそういう使いかたをさせているときである。

たとえば明治生まれの男性が、まだ結婚前に、自分の親の家のことを「実家」と呼んでいたりすると、強く違和感を持ってしまう。

その時代、そういう用法はなかったはずだ。

朝ドラで起こりやすい。

いま放送中の『おちょやん』でもあった。

1月28日放送の第39話。

舞台は昭和三年。主人公の竹井千代は二十歳を過ぎたころで、京都の「鶴亀」撮影所所属の女優として活動していたときである。

彼女が淡い恋心を抱いていた相手が助監督の小暮で、彼は東京の医者の息子で、五年間という期限で撮影所勤めを許されていた。

自分の企画を通して監督になるのが夢だったのだが、かなわず、東京へ帰ることになる。それを、千代が住み込みで働いているカフェーの前で告げる。

「ごめん、千代ちゃんを主役にするっていう約束、守れなかった……今月いっぱいで実家に帰ることにした」

そう言った。

彼はこのあと「千代ちゃん、僕と一緒に東京に来てくれないか、僕と結婚してください」と申し込むから、当然、独身である(残念ながら断られる)。

昭和三年、独身でおそらく京都で一人暮らしをしている男性が、東京の親の家のことを「実家」とは言わないだろう。無理がある。

彼は三十歳くらいだから、明治生まれである。

(昭和三年世界では十六歳から六十歳までが明治生まれ)

カフェーのボウイも「実家」と言ってしまう

明治生まれの独身の男性が、自分の親の家のことを「実家」というのは、ちょっと考えられない。

彼だけではない。

前々話、37話では、カフェーのボウイ(平田くん)もまた「どうせ“実家“帰ったかて親父さんの大きな病院つげるねんし」と話をして、このドラマ世界の昭和三年では「実家」はいまと同じ用法で使われている。

でもありえない。

明治生まれの日本の男性は、おそらく全員「家」を背負わされていたはずだ。

兄弟が背負ってくれる場合は、自分のあらたな「家」のことを考えないといけなかった。(前作『エール』の前半は主人公はそのことで大いに悩んでいた)。

その時代の人たちが、自分の親元の家のことを「実家」ということはまず、ありえない。

大正から昭和時代の考証の抜け落ち

ちょっと言葉に対する時代考証が甘い。

戦国時代や徳川時代にこんな言葉は使われていたかどうか、というのはけっこう調べているのだとおもうが(そのうえで敢えてわかり安い言葉に変えてあったりするが)、おそらく大正年間から昭和初期あたりが、現代感があるぶん、抜け落ちが起こりやすいのではないか。

明治生まれの日本の男性は、少なくとも結婚前は、自分の親の家のことを「実家」とは呼ばないはずだ。

桂米朝の落語から当時の呼称を見る

この時代の働く男性がどういう言葉を使っていたのか、というのは、たとえば落語を聞くと残っている。

昔の言葉を残そうとかなり懸命だった桂米朝のテキストを聞けばわかる。

『質屋蔵』という質屋を舞台にした落語がある。

三番蔵に幽霊が出るという噂を聞いた主人が、店の番頭に、夜通しその蔵を見張ってくれと頼む。幽霊が苦手な番頭は尻込みする。

「今晩どうでも、これを一人で見届けならんようなことでおましたら、ひとまずお暇をもろうて、大和の親元のほうへ帰らせてもらいます」

ちょっと待ちいな、おまええらい臆病やなと旦那は呆れるのだが、番頭は必死である。

番頭は大和の、つまり奈良の出らしく、その「親元」へ帰らせてもらいますと願いでている。大和の「実家」とは言わない。そりゃまあ、言いません。

桂米朝がそんな言葉を許すはずがない。

あらためて桂米朝の言葉遣いは、昔ながらの商家の言葉をきちんと伝えて、すごいとおもう。『おちょやん』でも主人公の千代のセリフは、昔のきれいな大阪ことばがきれいに使われていて、聞き惚れてしまう。

『鬼滅の刃 無限列車編』での煉獄杏寿郎の言葉

もうひとつ、明治生まれの男性が、自分の家のことを「実家」とは呼んでいなかった例がある。

『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎だ。

映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』で見られる。

煉獄杏寿郎が、上弦の鬼・猗窩座との戦いのあと、竈門炭治郎を呼び寄せて「思い出したことがあるんだ」と語りだすところだ。

「俺の生家、煉獄家に行ってみるといい。歴代の“炎柱”が残した手記があるはずだ」

そう静かに語ってくれる。

単行本でいえば8巻、第66話の冒頭である。

胸迫るシーンである。

煉獄さんは、「実家」などとは言わない。

「生家」と言う。

さすが煉獄さんだ。

俺の生家、煉獄家に行ってみるといい、と言ってくれている。

書いてるだけで泣きそうですが、やはり、きちんとした人はきちんとした言葉で喋るのだと、ひとり納得している。

煉獄さんがきちんとした言葉で喋る人であって、とてもうれしい。

明治生まれの正しい男 煉獄杏寿郎

無限列車編の舞台は大正の初めのころのはずだ。

となると煉獄さんも明治生まれということになる。

たぶん明治二十年代生まれで、『おちょやん』の主人公たちよりは少し上だが、だいた同時代の人である。

彼は、自分が育った家のことを「生家」と言った。

煉獄杏寿郎は、やはり正しく生きているんだなと、言葉遣いから、あらためておもう。

まあ、作者の意識の問題でしかないが、ドラマ制作より、漫画制作のほうが、そのへんが丁寧なことが多い気がする。

あらためて、明治生まれの男は、自分の育った家を「実家」とは言わない。

煉獄さんは言わなかった。

そう噛みしめるばかりである。

いや、現代ではどんどん使っていいとおもう。

21世紀はもう「実家」といえば親の家のことである。

まもなくおじいちゃんの家まで含むかもしれない。

ただ、明治生まれ、大正生まれを扱うときは、気をつけてもらいたい、という話である。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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