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井伊直弼さえもチャカポンな弱者として描く 大河『青天を衝け』のもたらす衝撃

堀井憲一郎コラムニスト
桜田門(提供:MeijiShowa/アフロ)

桜田門外で斃れる井伊直弼が、弱者であった驚き

『青天を衝け』第9回で桜田門外の変が描かれた。

万延元年三月三日、井伊直弼が登城中に水戸浪士らによって討たれてしまう。

渋沢栄一を主人公としたドラマだから、ドラマの舞台は昭和まで続くはずで、そのぶん幕末の出来事はやや駆け足で紹介される。

それがとても見やすい。すっきりしている。

また「青」を基調としたドラマだからなのだろう、ずっと若々しさと瑞々しさを湛えて展開している。

幕末を駆け抜ける青春群像が描かれていて、爽やかな風のように映し出される。

井伊直弼までも、そういう、爽やかな基調のなかで軽く描かれていた。

驚いたし、ある意味、見事でもある。

もっとも驚いたのは、大老井伊直弼を「弱者」として描いていたところだ。

かつて見たことがない。

爽やかな大河ドラマだからこそ成し遂げた描写だろう。

お菓子を食べていきなり大老に就いた「チャカポン」井伊直弼の軽さ

『青天を衝け』の井伊直弼は、あまり自信を持っておらず、周りの評価を必要以上に気にしているタイプの人物だった。

まず気弱さが目立ち、それを押し隠すためにかえって強圧的な態度に出ているようだった。それを岸谷五朗が演じて、きわめて説得力があった。

井伊直弼が登場したのは前々話(7話)からである。

十三代将軍家定のお茶会で、家定お手製の菓子を褒めたことから懇意となり、そしていきなり、大老になった。

茶菓子から大老。

とても軽い描写だった。

8話の冒頭に家康が登場して、井伊直弼は若いころは、跡継ぎではなかったので遊んでばかりで、あだ名は「茶歌ポン(チャカポン)」だったと教えてくれた。

あだ名まで軽い。

ガチャポンで「大老職」を引いたかのような奇妙な連想までしてしまう。

軽くて、そのぶん弱い。

歴史上の有名な人物といえど、もっと人間らしいところがあったはずだという描写が近年の流行りではあるが、ここでもその例に洩れない。

恐れられていた井伊直弼像をあっさりひっくり返す

幕末ドラマでは、井伊直弼はもっと重々しい存在である。

幕末ドラマはだいたい倒幕側から描かれる物語が多く、幕府側の物語だとしても井伊直弼は政敵として登場する。

歴史から見れば彼は「果断の人」である。

我が国の祖法だと信じられていた鎖国を廃して開国、外国との通商を始めた大政治家だとされる。いわば千年に一度(それぐらいだと当時は信じられていた)の大英断を、朝廷の許可も得ずに下した政治家であった。

またその政治判断を根付かせるため、反対した勢力を根こそぎ弾圧する、という「力の政治家」でもある。

政敵からは「おそろしく強く怖い人」と見えていたのだ。

大河ドラマの幕末ものでは、『竜馬がゆく』でも『八重の桜』でも『花燃ゆ』でも、そういう重々しい人物として描かれていた。

果断で冷酷、力の政治家であり、大きな判断ができる人物である。

それが、幕末ドラマでの井伊直弼イメージのお約束であった。

でも、お約束でしかない。だれかがひっくり返してもいい。

『青天を衝け』がその青さによって、あっさりひっくり返した。見事である。

58年前の大河ドラマ第一作は井伊直弼が主人公であった

大河ドラマ第一作『花の生涯』の主人公は井伊直弼である。

昭和38年、つまり1963年の放送だから58年前のドラマである。

歌舞伎役者の尾上松禄(二代目)が主役を演じた。

井伊直弼を中心に据えた大河ドラマはこの1本だけである。

あまりに古く、私は見た記憶がまったくない。映像も残っていない。

舟橋聖一の原作小説はいまでも手に入るので、『花の生涯』の井伊直弼像はこれで確かめられる。

いかにも昭和半ばらしい歴史小説で、いま読むとかなり新鮮である。時代小説と歴史小説のあいだくらいというか、男女の関係が物語の真ん中に大きくおかれている。

村山たか、長野主膳と、主人公の井伊直弼の男女関係を軸に展開する。いちおうそれに似た史実もあったことはあったらしいのだが、何というか、昔の小説らしく、勢いがあって艶があって、そして大雑把である。

ドラマで長野主膳を演じたのは佐田啓二(中井貴一の父)、村山たかを演じたのは淡島千景であった。当時20歳の田村正和が、けっこう重要な役で出ている。

どうでもいいことながら、駐日公使ハリスを演じているのが久米明で、通訳のヒュースケンは岡田眞澄がやっている。昭和38年というのは、外国人役を日本人役者がやる時代だったのだ。(岡田眞澄はハーフだが、久米明はどう見ても平べったい顔族の人である)

鎖国を強く憎んでいた時代

『花の生涯』という小説では、井伊直弼は覚悟を決めて「開国せずばなるまい」と決めた意志の人として描かれている。

敗戦後しばらくの日本では、「鎖国こそ敗戦のおおもとの原因である」という論考が主流にあった。(和辻哲郎の著作『鎖国 日本の悲劇』など)昭和27年から新聞連載された『花の生涯』は、開国を断行した井伊直弼を評価しようという空気のもとで書かれた小説だったのだろう。

小説は若き井伊直弼の姿を生き生きと描き、幕閣に入り大老となるのは物語のかなり終盤に入ってからである。そのぶん、大老となった井伊直弼は、とても強い人として行動している。首級を狙われてもそれも当然、と腹の太さも見せている。

重々しさを感じさせる存在であった。

いわば「斃されるべき強者」として井伊直弼は登場していた。

軽く描ききる大河ドラマだからこそ期待できる

しかるに今年の大河『青天を衝け』では、チャカポンである。

軽い。

岸谷五朗の井伊は、城中で自分の悪口が聞こえると、こそこそと隠れてしまう。またみなが自分をまったく信じていないのではないかという妄想に悩んでいた。

小心な人である。

ただ、小心ゆえに政敵を粛清するときには徹底的におこなうという姿が描かれ、これは大いに説得力がある。たしかにそういうものだろう。

『青天を衝け』では、安政の大獄も、いきがかり上、無理しておこなっているように見えた。

そもそも将軍の言葉を受けて始めており、それを守ろうとして処断を繰り返しているようだった。政治家的な決断というより、何だか事務処理的におこなっているみたいだった。

なかなか衝撃的な描写である。

でも実際、そうだったかもしれない。

開国の決断も、反対派の弾圧も、さほど深く考えた大きな決断ではなかったかもしれない。そういう新たな可能性を示されて驚くのが、ここのところの大河ドラマの楽しみになっている。

しかたなく事務処理的に処断を繰り返し、その見返りとして、桜田門外でテロに遭ってしまう。

いままでと違う悲哀が漂っていた。それを演じて、岸谷五朗が見事だった。

これは強者ではなかった。どっちかといえば弱者として描かれていた。

歴史はもっと人間くさい判断の繰り返しではないかという示唆

前作の『麒麟がくる』に続いて、『青天を衝け』は「歴史はもっと人間くさい判断の繰り返しではないか」という可能性を示しているドラマである。

展開が早いのも含めて、とても楽しい。

このあと、幕末の錯綜するいろんな政治的立場をも、あっさり見せてくれるのではないか。

その青く瑞々しい感覚にとても期待している。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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