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『天国と地獄』はやはり逆転のドラマだった 最終話に秘められた意味

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

ミステリードラマではなかった『天国と地獄〜サイコな2人〜』

ドラマ『天国と地獄〜サイコな2人〜』はミステリードラマではなかったようだ。

少なくとも最後はミステリーではなかった。

最終10話は、9話でわかった事実をひっくり返すようなものはでてこなかった。

真犯人は9話で明らかになり、新しい事実は出てきていない。

(以下、犯人に関してネタバレして書きます)。

最終的には、「猟奇的な連続殺人犯の犯人は誰か」を見せるミステリーではなかったということだ。

最終話で見せたのは、ある種の逆転だったのだ。

TBS日曜9時「日曜劇場」お得意の展開だ。

最終話で「逆転」を見せてくれるのが、この日曜9時ドラマの醍醐味である。

納得させられ、カタルシスを感じられる最後を見せてくれる。それが日曜劇場である。

『半沢直樹』がそうだった。『危険なビーナス』もそうだった。

真犯人捜しでの逆転はおこらない

『天国と地獄〜サイコな2人〜』の逆転は、犯人探しでは描かれていない。

猟奇殺人が起こり、連続殺人として、刑事(綾瀬はるか)らは犯人探しに動く。最初から容疑者として怪しまれたのがベンチャー企業の社長・日高(高橋一生)だった。ドラマの展開としては、どうみても彼(高橋一生)が犯人だとしかおもえない仕立てになっていた。でも途中から、彼はどうやら犯人ではないようだ、と急転していく。後半になってすんなりと別の真犯人が現れ、そのいきさつもあきらかになっていく。そのあとどんでん返しはない。

『天国と地獄〜サイコな2人〜』が最終話で見せてくれた逆転

では、最終話で、なにが逆転したのか。

ひとつは、主人公が「セクハラ」とあだ名してる刑事・河原(北村一輝)が、じつは、主人公とまったく同じ目論見で動いていた、というところだ。

彼とは一話から対立し、最終話の冒頭では主人公に手錠までかけた明確な「部内の敵」であった。それが、最終話、最後の最後で、主人公とまったく同じことを考え、同じ方向で行動したのがわかった。見ていて、とても嬉しくなった。

「敵だとおもってた男が最後は協力してくれた」

それが最終話の逆転のひとつである。

ついでに、いつも日和見で頼りなさそうだった管理官(野間口徹)も、主人公のバディにむかって「黙ってみてろ、目指すところは同じだ」と立ちはだかるところが頼もしかった。彼も味方だったのだ。

調書を読み上げて犯人の半生を振り返る『砂の器』のようなシーン

9話で、真犯人は日高(高橋一生)の生き別れていた双子の兄(迫田孝也)だとわかった。その動機も明確になったうえで、兄は病気で死んでしまう。真犯人を追うだけのミステリードラマなら、ここで終わりである。

でも10話で、日高(高橋一生)は主人公(綾瀬はるか)をかばうため、兄の罪をかぶり、連続殺人は自分がやったというウソの供述をする。もしそれが認められたら死刑になるのは確実なのだが、その覚悟で日高(高橋一生)は自白する。

最終話の見どころは、この日高(高橋一生)の奇妙な決意をひっくり返すところにあった。

まず河原(北村一輝)が揺さぶり、代わった主人公望月(綾瀬はるか)がひっくり返した。

見どころは、河原(北村一輝)の揺さぶりだった。

まず兄の経歴を読み上げ、殺人に至った哀しい経緯に触れる。

その間、望月刑事〔綾瀬はるか〕はずっと外を走っている。途中で階段落ちまで見せる。(取調室へ向かって走っていたようだ)。

淡々と調書を読むだけで哀しい半生と犯罪を語り、同時に動きつづける人間(裸足になって走る綾瀬はるか)を描いてるシーンを眺めて、映画『砂の器』を少しおもいだしてしまった。

「この殺人はお兄ちゃんの声じゃないのか」

調書を読み終え、河原(北村一輝)は日高(高橋一生)に正面から向き直る。

兄がやった連続殺人を、自分がやったと罪をかぶることは、それが正義なのかと糺す。

その言葉が突き刺さる。

「この殺人はお兄ちゃんの声じゃないのか」

「やってることは人殺しだ、汚ねえ嗄れた聞くに耐えない声だ、でも、それでも……声は声だ。おまえにその声を奪う正義はあんのか」

刑事のくせに、殺人犯の心情を汲もうとしている、その言葉が、強く心をつかむ。

やってることは許せないにしても、でもなぜそんなことをやったのか、そこの声を聞かないといけないんじゃないか。

このセリフは、ドラマを越えて突き刺さる力を持った言葉だった。

最終話でいきなり主人公サイドに立った「敵対する刑事」が、響く言葉を放ったところがもっとも見どころだったとおもう。

主人公サイドから見ると、たった一人で戦っているとおもっていたら、じつは、みなも同じように戦ってくれていた、ただ見えなかっただけで、みんな仲間だったんだ、という不思議なカタルシスを味わわせてくれた。

「刑事もの」として、真犯人をみつける部分にカタルシスを求めず、仲間が力を合わせるという部分に焦点を当てたのが、じわりと響く「逆転」だったとおもう。

「とりあえずいまお勤め、どちらですか」というラスト

ただ、『天国と地獄〜サイコな2人〜』の魅力はコミカルさにもあった。

1話の終わりに、女刑事(綾瀬はるか)と容疑者(高橋一生)の魂が入れ替わってしまって、そのまま8話まで入れ替わっていた。

入れ替わりは、基本、コメディドラマの題材である。男女が入れ替わったら、だいたいコミカルなことが起こる。(実際このドラマでも起こっていた)。

そこを「連続猟奇殺人事件」に織り込んだのが、このドラマの秀逸さである。

入れ替わりには理屈はない。論理的説明もない。

そういう非論理的展開を前提としたドラマだから、やはり犯人探しや、事件の説明も理詰めでは展開していなかった。

このドラマの魅力は理不尽なコミカルさにあったとおもう。

しかも、最終話のラストは、「ひょっとしたら二人はまた入れ替わったのか」というシーンで終わっていた。

最後の最後、「とりあえずいまお勤め、どちらですか」と聞いたのは望月(綾瀬はるか)の声だった。

まさにこれは落語的なオチなのだろう。どっちとも取れる終わり方である。この先を詮索しても意味がない。(旦那、野暮でげすよ、と言われそうだ)。

私は、入れ替わったような遊びを一瞬二人でしていた、というふうに見えていた。

そのへんの解釈は自由だとおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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