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三浦春馬のいない最終話 『おカネの切れ目が恋のはじまり』が発した表と裏のメッセージ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

ドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』は楽しいドラマだった。

恋愛要素の少し入った軽いコメディだった。

松岡茉優と三浦春馬の二人のキャラが際立っておもしろく、見ていて何度も笑ってしまった。

3話まではそういうドラマだった。

『おカネの切れ目が恋のはじまり』は松岡茉優のドラマだった

三浦春馬演じる「猿渡慶太」はお金持ちのぼんぼんで、浪費がはんぱではない。

アメリカ出張で776万円使ったり、ランチの買い出しでひとり5800円ぶん買ってしまったり、底抜けの浪費家で、底抜けに明るくて、あきれつつも見ていて楽しくなるキャラだった。

それに対して松岡茉優が演じる「九鬼玲子」は節約家で、鴨長明の「方丈記」を愛読し、清貧の生活を楽しみ、同僚からは世捨て人と呼ばれていた。

この「キャラの立ちまくった明るい浪費男」と「もの静かで波風を立てない清貧女」の対決かとおもいきや、じつはこの清貧女は好きな男に、とほうもなく貢いでいる、というどんでん返しがある(1話の最後に明かされる)。

しかもその貢ぎ方は何の効果もないだろうという無茶なプレゼントなので、穏やかそうに見えるが、じつはとんでもないものを抱えている女だとわかって、俄然、彼女の存在が気になるというドラマだった。

つまり、もともと松岡茉優のドラマだったのだ。

主演が松岡茉優、相手役が三浦春馬。そういう配役である。

「饅頭の下に札束」という時代劇なギャグ

細かいギャグも楽しい。

過保護なママが浪費息子の職場に饅頭を差し入れしたかとおもうと、その底には札束がぎっしり詰まっていて、おもわず「越後屋!?」と言われていたり、あまり運動しないだろうとおもわれた清貧女がテニスラケットを握ったら本格的で「セリーナ・ウィリアムズみたいな構えしてます」と驚かれいてるうちに、スマッシュを決めて「っしゃあ!」と叫んでガッツポーズしたり、とにかく3話まではずっと楽しい雰囲気だった。

また、登場人物が多彩で魅力的だった。

特に若い女優陣が多様で、冷徹な秘書役の大友花恋、もと恋人役の星蘭ひとみ、妹だとおもいこまれている八木優希、経理部の若手の中村里帆、あと経理部のドンであるファーストサマーウイカ、それぞれいろんなバックボーンを背負っていそうな魅力的な人物がそろっていた。(お笑いのモンスターエンジンまで出ていて驚いた)。

3話の終わりで、それまで恋仲でも何でもなかった猿渡(三浦春馬)と玲子(松岡茉優)が雷に驚いて、キスをしてしまう。顔が近くにあったので猿渡はついキスしてしまったようで、驚いた玲子はそのまま固まって、そこで3話は終わった。

とても楽しい3話だった。

『おカネの切れ目が恋のはじまり』の最終話の違った気配

でも4話はちがっていた。

最終話の4話。

いきなりキスされ、わりとウブな玲子(松岡茉優)は混乱したまま朝を迎え、気づくと猿渡(三浦春馬)は朝早くに出かけていた。(彼は民泊をやっている玲子の家に無料で住まわせてもらっている)

4話は、三浦春馬の猿渡は、朝、寝床のなかでモンモンとしている20秒ほどのシーンに登場したのだが、「6時ころ出て行ったわよ」という九鬼ママの説明があり、ほんとに出かけてしまったようで、戻ってこない。

会社も無断欠勤である。

勤め先の経理部で彼だけいないまま「いるとジャマだけど、いないと寂しいねえ」と経理部員で言い合っているあたりから、不思議な気配が漂ってくる。

これは三浦春馬がほんとにいなくなってから撮影したシーンじゃないのかと気になりだして、そんなことはドラマ内では明かされるわけもなく、でもそうだとしか考えられない「三浦春馬不在」のシーンが続くのである。

「なんで猿渡くんがいないんだ」と登場人物が言っているのは、そのまま「なんで三浦春馬がいないんだ」という意味で言ってるように聞こえてきて、そうなるとすべてのシーンがダブルミーニングになっていく。

「たまたま出かけている猿渡慶太」の話題は、それは「いまは何だかいなくなっちゃった三浦春馬」のことをみんなで話しているようにしか見えてこない。

表ではドラマが進行していくが、裏メッセージも聞こえてくる

それはまた、いまいないけど、またそのうち戻ってくるだろう、というトーンでずっと語られる。

「何だろうね、何で三浦春馬はいないんだろうねえ」という雰囲気がずっと守られていて、だからこそ喪失感がとても深い。

4話は特別な仕立てになっていたようにおもう。

これは見る人によって感じ方が違うかもしれないが、表ではドラマを進行させ、裏では「三浦春馬の不在」について、出演者みんなで何らかのメッセージを発しつづけていたように見えてくるのだ。

4話は、ドラマとしては、ヒロイン(松岡茉優)が十年余り会っていない父(石丸幹二)と再会するシーンが中心にあった。

22時から始まったドラマは「父と娘の再会」シーンが終わったところで22時45分を過ぎ、冒頭の寝床シーン以降、まったく三浦春馬の新撮シーンがないままである。

ひょっとして、もう、私たちは二度と「猿渡慶太」に、つまり「三浦春馬」に会えないのではないかと気がつき、そうかもしれないけど、でも一瞬でもいいから、元気そうな彼を見てみたいとずっとおもい続けて見ている自分に気がつく。

でも無理か、そうなのか、しかたないな、というおもいにとらわれて、もはやドラマの筋がわからなくなっている。

「猿渡慶太」は理由も言わずにふらっと出て行ったままなので、どうしようもない。

演者たちの気配がふつうではないと感じてしまう。

三浦くんと会えなくなってから撮ったんだな、ということがひしひしと伝わってくる。

猿渡慶太はすでに「思い出される」存在になっている

みんなの記憶のなかにある「猿渡慶太」が繰り返し映し出される。

1話から3話まで明るく陽気に騒いでいた彼が何度もおもいだされている。

第1話が9月15日に始まって、先週の第3話まで、見たことなかった三浦春馬を存分に見られたのに、4話になって、まったく見られなくなった。

22時50分をすぎ、もはやあきらかに終盤になり、猿渡慶太の父(草刈正雄)と母(キムラ緑子)は「留守にしている息子の部屋」に入って、息子のことを語りだす。

(4話は15分拡大だったので本編は23時10分まで)

ドラマではなくて、三浦春馬のことを語ってるようにしか見えなくなる。

そういう裏のメッセージばかりを感じ取ってしまうようになる。これは三浦春馬にもう一度会いたいというおもいが強く、勝手にそう見えてるだけなのかもしれない。本当のところはわからない。

草刈正雄「あいつは、あいつのままでいい」

キムラ緑子「ママはいつだって慶ちゃんの一番のファンだからね……」

そのあと玲子(松岡茉優)と板垣(北村匠海)が電車の中で語りだす。そもそもこの2人で伊豆に出かけるという設定が、慶太(三浦春馬)不在がもたらした変則だとしかおもえない。

北村匠海「猿渡さん、いいかげん、帰ってきましたかね」

松岡茉優「どうでしょうかね。もともと、住むところが決まるまでとおっしゃってましたから、新しい居候先でも見つけたんじゃないですか」

北村匠海「ほんと、迷惑な人だけど、でもなんか嫌いになれないんですよね、あの人って。すぐへらっと笑って、ひょっこり帰ってきますから」

帰ってきますから、と北村匠海は言うのだけれど、松岡茉優はただ流れゆく景色をみているばかりで返事をしない。その表情から何かを読み取りそうになってしまうが、でも本当のところは何もわからない。

松岡茉優の発するドラマ最後のメッセージ

玲子(松岡茉優)は家に帰り、一人、猿渡慶太(三浦春馬)のことをおもっている。

出会ってからいままでのシーンをおもいだしている。

猿渡慶太はまだ元気なはずなのだが、もはや二度と会えない人であるかのように追憶する。

「迷惑だったけど、いつもやさしかった」とおもいだしている。

「隣にいると気づかないけど、隣にいないと、正直、腹も立っていますよ、心配するじゃないですか」

慶太のロボットペットにそう話しかけている。

「会いたい……みたいです」

彼女はそのまま縁側で寝てしまい、庭には蛍が飛び交い、幻想的な夜が過ぎる。

朝になり、誰かが帰ってきたが、その姿は映し出されない。

松岡茉優は、その誰かを迎え入れ、一瞬笑うが、うなづいてから、素の表情になる。

それはやさしそうで、でもとても寂しい表情だった。

帰ってきたのは「気配」だけだったのかもしれない。

松岡茉優の寂しそうな顔で、三浦春馬のドラマは終わった。

もう、新しい三浦春馬には会えない。

そのことを噛みしめるための最終話だったようにおもう。

もう、新しい三浦春馬には会えないのだ。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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