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「楽しんできなさい」という奇妙なセリフ 朝ドラ『スカーレット』の母の言葉に隠されていた真意

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

朝ドラの時代考証のむずかしさ

新しい朝ドラ『エール』の舞台は大正時代から始まった。

主人公が小学5年生になって大正9年の様子が描かれている。

西暦でいえば1920年。ちょうど100年前である。

大正時代の風俗がいろいろ描かれ、100年前のことだから、ああ、そういう時代なんだとおもって見ている。

この前の『スカーレット』はもっと近い時代だった。

昭和22年から昭和62年まで、主人公が10歳から50歳までが描かれていた。

彼女は昭和12年生まれである(ちなみにその前の『なつぞら』のヒロインも同じ昭和12年生まれ設定だった)。

そして彼女には一人息子がいて、彼は昭和54年4月に大学に入学していた。

私は、その息子より少し年上なのだが、高校を出てからしばらく浪人していたので、大学入学年は彼と同じである。つまり主人公の息子と私はほぼ同年代だったのだ。

ということは、主人公は、私の母世代だと考えられる。

母世代だとすると、いくつか不思議な言葉遣いがあった(つまり、うちの母だと絶対に言わなさそうな言葉がいくつか出てきたということである)。

ひとつは若いころ(昭和34年、第54話)、彼女が「話が見えない」と言ったことである。のちの亭主相手に壁ドンをやる直前、「話がどんどん見えんようになってきてるやん」と言ったのだ。

息子世代の私からしても、「話が見えない」という言い回しはかなり新しいものである。私らが子供のころには聞いたことがなかった。1960年代の京都で聞かなかったのだから、滋賀の信楽でもあまり使われなかったのではないか、と想像する。当時はふつうに「話がわからない」と言っていた。

あくまで個人的な風景でいえば、「話がわからない」ことを「話が見えない」と言い出すのは昭和も末期(1980年代)になってからだったような気がする。

「楽しんできてください」の代わりに使われていた言い回し

もうひとつ、109話。

昭和54年の春、息子の武志が滋賀の家を出て京都の大学寮に入るときにかけた言葉である。

「武志、楽しむんやで」

母は息子にそう言っていた。

「楽しんできてください」という言い回しは近年ではふつうに使われている。

どこかに出かけるという人によくそういう言葉をかけている。

ただ、昔から普段使いされていた言葉ではない。

ちょっと旅に出る、というようなときに、日本人が日本人に掛ける言葉は「気をつけて」であった。

落語の旅ものでは(旅ネタは江戸方に少なく上方に多いのだが)「水が変わるから気をつけて」というのが常用句である。私はそういう言い回しが身についているからいまでもつい言ってしまいそうになるが、日本全国のコンビニで同じ水を売っている現代でちょっと通じにくい言葉である。アジア旅行に行こうという人には通じるけれど。

いまは「楽しんできて」と声をかけられるのはふつうのことである。

特に女性だと、年配の人も若い人も、「ちょっと出かける」というと、必ず「楽しんできて」というのがマナーのようになっている。礼儀というか、きちんとした挨拶というか、そういうのが正しいと信じている人も多そうだ。

そう言われて嬉しくないわけではないが、少し挨拶のための挨拶という感じもしてしまう。

「気をつけて」といわれると、何を気をつければいいのか想像つくが、「楽しんで」といわれてもどうすればいいのかわからない。言ってるほうも、そんなに踏み込んで言ってるわけではない。私は私なりに楽しめばいいのだろうし、旅に出ない彼女もたぶんいる場所で何か楽しむのだろう。深い意味はない。

挨拶だから、それでいいんである。

おもいだしてみると、私の若いころ(昭和の後半)そういうことを言うのは、「育ちのいいお嬢さん」というタイプが多かった。「楽しんできて」というのはそういう気遣いができるタイプの女性が放つ言葉で、何だか言われて面映ゆい感じだった。

昭和54年の春に一人暮らしを始めた若者に向けられたリアルな言葉は

ドラマで気になったのは母から子への言葉だからだ。

「関西のおかん」は息子に「楽しんできなさい」とはあまり言わない。

少なくとも昭和のおかんは言わないとおもう。

昭和54年の春、滋賀の田舎を離れ、少し都会の京都での暮らしを始める息子に向かって、「楽しんでこい」という母はかなり特殊な存在なのだ。

たまたま私も似たような状況で、同じときに、私は京都の家を出て東京暮らしを始めようとしていたわけだが、親はもちろん、親戚も、近所のおばちゃんも、友だちの親も、だれ一人として「東京を(これからの生活を)楽しんできなさい」と言わなかった。昭和54年春の関西に、そんなこと言うおばちゃんなんかいなかった。私の周りにはいなかった。

かわりに「わざわざ東京なんか行かんでも、京都にええ大学はいっぱいあるやん」とは言われた。これはめちゃくちゃよく言われた。5人以上の大人から言われたとおもう。京都の人は地元の大学にとても誇りを持っていて、京都のそういうところがきついんやけど、とおもいつつ、黙ってニコニコやりすごしていた。

関西のおかんが家を出る子供に言うのは、まず「気をつけなさい」であり、それから「ちゃんとしなさい」であった。ちゃんと生活できるのか、とおもわれていたのだろう。何度も何度も「ちゃんと、しいや」と言われた。

もしあのとき母に「楽しんできなさい」と言われたら「気色悪いわ」とおもったに違いない。それが昭和54年大学入学生(関西出身)の正直な気持ちである。

べつだんドラマのそのセリフがありえないと言ってるわけではない。

特殊だという話である。

昭和54年の滋賀のおかんが息子に言う「楽しんで来なさい」はじつはすごいセリフではないか、という説明である。

いまどきの感覚でみれば、ふつうに見過ごしてしまうが、あのセリフは実はとても力強いものだったのではないだろうか。

「楽しんできなさい」に込められた「いまを生きろ」というメッセージ

ドラマで四年後、息子が京都の大学を卒業して滋賀に戻ったあと、母はまた同じことを言っていた。

すでに白血病を発病し、陶芸をやりながら、それでもアルバイトに出かける息子に向かって母は「楽しんでな」と言っていたのだ(143話。昭和59年夏ごろ)。

このときに、あ、わざと確信的にこのセリフを言わせているのだな、とおもった。あまりにも「昭和のおかん的ではない」このセリフは、おそらく制作者側のおもいを込めたセリフなのだな、と気づいたのである。

母の強い決意の表れだったのだ。

主人公は芸術家として自立した女性である。

自分の内なるものと常に向かい合って生きる、力強い人だ。世間がどう言おうと、自分の信じる道を進む人だった。

その人だからこそ息子に向かって「楽しみなさい」と言えたのだ。

「楽しみなさい」というのは、この母が言うかぎりは、それは「しっかり生きろ」ということなのだ。それをやさしくソフトに言うのが心に沁みる。

「楽しみなさい」とはつまり「いまを生きろ」ということである。

強い言葉である。

ふつう、母が息子にかける言葉は、「気をつけて」「無理をしないように」というものだろう。でもそうは言わない。そういう強い母親が描かれていた。それはあとになって気づいた。

彼女は、芸術のためにおそろしく努力をし、我が身を削って、生活も壊しそうになり、まわりの家族も巻き込んで、いわば修羅の道を進んで、一人前の陶芸家になった。

そういう人だからこそ「楽しめばいい」ということが言えるのだ。

おそらくすべてを捨てて必死に努力し、邁進し、最終ステージに進んだ人のみが、「楽しめばいい」と言えるのだろう。もう努力する余地がないから、だから楽しむしかない。

予選敗退の言い訳に使っている言葉ではない。凄みが違う。

「気をつけて」の昭和時代と「楽しんできなさい」の令和時代 の差

かつては、うちの社会では旅立つ人に「気をつけて」と言っていた。

いまは「楽しんで」というようになった。

令和と比べて、昭和の昔の旅がそんなに危険だったわけではない。

たぶん、人と人との距離が少し変わったのだろう。

かつての旅は、ある種の選ばれた人の晴れやかな行為だったので、その人が無事に戻ってくるよう、共同体として強く願っていたのではないか。その気分が残って、「気をつけて」と言っていたのだ。

現代は、みんなが自分のおもいどおりに生きようとしていていいし、みんなもそれを認める社会になった。辛辣にいえば、「小さい欲望を充足させるのが生きている目標」という個人が集まった社会である。

そういう社会では、どこかへ行く人に「楽しんでね」という言葉が似合う

だからこそ、昭和の時代に息子に「楽しんできなさい」と言える母の言葉は、強く偉大だったなとおもえる。

朝ドラで描かれる昭和は、近過去とはいえ、やはり今とは違うルールでできている社会なのだ。そこを生き抜こうとしてる人たちを見てはげまされることになる。まだ大正時代だが、やがて昭和時代に入る『エール』も同じ展開を見せてくれるのだろう。「近いがすでに時代劇」の昭和のドラマを見ているのは、とても楽しい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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