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志村けんの死でわれわれは何を失ったのか 彼が作り続けたコント世界のすごさ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

志村けんがいなくなった。

新しい『バカ殿』がもう見られないということだ。

彼はおそらく日本の「ある部分」をひとり支えていた人である。

その支柱をわれわれは失ってしまったのだ。

志村けんが「よく知らない5番目の若い人」だったころ

志村けんを初めてテレビで見たのは『8時だヨ!全員集合』だった。

メンバーの1人、荒井注が抜けたあとに新しいメンバーとして入ってきた。

かなり無理な登場だった。

1974年当時のドリフターズの人気はものすごかった。いまとなってはわかりにくい“昭和の人気者”である。国民がみんなで好きだったのだ。その人気絶頂5人組の1人が抜け、代わりにまったく知られていない若い男が入ってきた。

それが志村けんだったのだ。

ちょっとありえない。

いまさらながら、リーダーいかりや長介のこの判断はすごいとおもう。

たとえば2020年現在、嵐のメンバーは5人だけれど(そしてまもなく活動休止するけどそれは措いといて)、そのうちの1人がいきなり抜けて、抜けたあとにまったく知られていない若い男性が入ってきた、と想像してもらえればいい。

ふつう受け入れられない。

入ったとして、前からのメンバーとの呼吸が合わないだろうし、そもそもファンが認めないはずだ。

でも昭和の時代はそういうことがふつうに起こった。

大人気のお笑いグループから1人抜けたら、すぐに新しいのが1人入った。

当然、あまり受けない。歓迎されるわけでもないし、そもそも馴染んでいない。

そんな感じだった。

最初のころはあまり注目していなかった。べつだん新加入に反発はしないが、でも荒井注よりおもしろいとはおもえなかった。

「よく知らない5番目の若い人」でしかなかった。そのまま浮かび上がってこないのかもしれないともおもっていた。

それがドリフターズを支える中心メンバーになっていった。

きっかけは「東村山音頭」のヒットである。これによって彼の名前はやっと人の口にのぼるようになり、同時に東村山も知られるようになった。いまだに西武新宿線に乗って「東村山駅」を通るたびに、志村けんをおもいだしてしまう。毎回毎回、律儀におもいだす自分がすこしおかしいのだが、でも似たような人も多いんではないか。

ただ、彼は東村山音頭のヒット一本でスターになったわけではない。きちんと実力でドリフの真ん中に入っていった。なかなか大変なことだったとおもう。

1980年代に入り、ドリフターズの人気がそれまでほどではなくなっても志村けんの人気は続いた。『8時だヨ!全員集合』が『オレたちひょうきん族』に負けて終わった(といわれていた)あとも、加藤茶と志村けんをメインにしたコント番組が続いた(ひょうきん族は、この二人のコント番組に負けたといわれている)。

いまも放送されている『志村でナイト」のコント

それ以降も志村けんはコントを作り続けている。

それは2020年になっても続いていた。

『志村でナイト』は毎週火曜日の深夜、フジテレビで放送されている。

いま確認すると今週の3月31日の深夜(日付が代わって4月1日午前1:55)にいつもどおりに放映されるようである。30日の昼に確認した週間番組表ではそうなっている。おそらく何か変更はあるとおもうが、本来はふつうに志村けんのコントとトークが見られることになっていたのだ。

毎週、楽しみに必ず見ていたというレベルではないが、起きていたら見る番組である。起きていることが多いので、月に3回くらいは見ていた。

昔ながらのコントが何本かあり、そのあとにゲストを交えたトークがある。トークもどこまでアドリブでどこまで決められているのかはわからない。めちゃめちゃ笑わされる番組ではないが、ほわっと楽しい時間であった。ダチョウ倶楽部がいて、千鳥の大悟がいて、澤部がいて、あと若いお姉さんタレントがいて、変わらぬ世界があった。

何か色っぽかった。

若い女性タレントがいつも何人かキャスティングされており、彼女たちもコントに出るのだが、何ともいえない色気を出していた。志村けんの考えるエンタメはそういう方向のものだったのだろう。そしてその色気は、志村けんが持っている色気の反映だったのだとおもう。ぼんやり見ていても画像の強さでついつい引き込まれてしまう番組である。

志村けんの独特の世界

志村けんのコントは独特のものである。

「キング・オブ・コント」が人気なように、若手芸人にもコント師は多い。東京03やロバーツやアンジャッシュのコントは人気が高いだろう。

でも志村けんのコントはこれらとはあきらかに違う。

ドリフターズの流れを汲み、でもドリフのコントとも違う独自の世界を展開している。

若手のコントだと、トークだけ、ないしは衣装だけ変えてのコントというものが多い。でも志村けんのコントは何かしらの仕掛けがある。視覚的であるし、動きの大きなギャグが作られていた。わかりやすく、丁寧なギャグだった。

見てる人に頭を使わせない。親切なギャグである。

そのぶんいまどきのコントのように熱狂させてくれない。

発想が気に入って、それを考えてる人そのものを熱狂的に好きになるという不思議な渦は作り出さない。

もっと泥臭い笑いであり、生きるに必要な笑いを提供していた。

たとえば、アンジャッシュや、ロバーツが天保時代や安政時代の寄席に出たら、ひょっとしたら受けずに苦労するんではないかと想像するが(あくまで想像です)、志村けんならだいじょうぶだ、ろう。昔はみんな寄席では頭を働かせないからね。もちろんアンジャッシュもロバーツも21世紀のお笑いとしては一級品だし、ドサの厳しさを知ってるはずだから、天保時代の舞台でも客に慣れたらすぐに受けるように修正できるとおもうが、でも最初は苦労するんではないだろうか(あくまで想像です)。

でも志村なら受ける。たぶんだけど、天保時代でもそのまま受けるとおもう。

いつまでも見られるとおもっていた志村けんのコント

スタッフも多いのだろう。昭和のドリフからの流れを汲んだ番組作りである。志村けんだから作れる世界だったとおもう。

何か仕込みがあり、見てるほうも、何が仕込んであるのだろう、と期待しつつ見ている。

とはいえ、そんなに強く記憶に残るものではない。尖ってないし、鋭くもない。でもきちんと笑いを取る。

そういうものを作るために志村けんは全力を傾けていた。

タイトルはいろいろ変わっていた。『志村流』『志村塾』『志村通』『志村軒』というような時代があり、最近は『志村の時間』『志村の夜』ときて『志村でナイト』となっていた。

そこで毎週、コントが見られた。

1980年代に作られていて、2020年になっても作られていた。

舞台の笑いというよりは、テレビの笑いでもあった。

日常のなかに非日常への裂け目を作るような笑いでもあった。

ああいう世界は志村けんでないと作れないだろう。

若い女性タレントの彼氏という役を演じることもあって、おじいさんがやってるんだからものすごく無理があるんだけど、でもその時点ですでにおかしくて、それが志村けんの世界だった。

いつまでもあるとおもって見ていた。

10年前にあって、去年もあって、今年もあって、そして来年もあるはずのものだった。

その見方が間違っていたわけではないとおもう。でももう、見られなくなる。何本か先に録られている作品が放送されたら、それで終わりである。

お笑い芸人に代わりはいない

志村けんがいなくなってしまえば、代わりはいない。

存在するとはおもえない。

偉大な喜劇人がなくなると、その代わりはいないのだ。

渥美清のあとに渥美清は生まれない。エノケンのあとにエノケンの代わりはいない。古川緑波は死んでしまえばその洒脱な芸がなくなってしまう。

お笑いはそういうものである。

生きているうちに見ておくしかないのだ。

映像が残るが、それは記録でしかない。

芸人が消えると、芸も消える。

覚えてる人たちの記憶のなかに残るだけである。

そしてその記憶を持ってる人たちもそのうちいなくなってしまう。

みんなやがて消える。

お笑いはいつもその流れのなかにある。

天保時代のお笑い芸人について語り継いでる人はいない。

悲惨な物語は時を越えて語り継がれることがあるが、笑いはその場を楽しませるだけのものだから、ふつう語りつがれない。お笑いは時代は越えていかない。(あくまで原則としては、だけど)。すぐに消えていく。

それが笑いである。

だから聞いていて元気になるのだ。

喜劇人がいなくなるたびに、人はいつかいなくなるものだったな、と身につまされる。

お笑い芸人の死は、とにかく人を哀しくさせてしまう。

志村けんが亡くなった。

彼が支えていた部分を、誰かが代わるわけではなく、いなくなってしまった。

どうしていいかわからないし、どうしようもない。

ただただ、志村けんがいなくなったとおもうしかない。

われわれはその世界を生きていくしかない。

志村けんは、いなくなってしまったのだ。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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