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WBCトリプル世界戦考察。八重樫陣営が出した前代未聞の「KOして下さい」発言の真意!

本郷陽一『RONSPO』編集長

予想が難しい。それが好カードだと思う。

どこの誰かも実力もわからないボクサーと防衛戦と凡戦を繰り返している世界チャンピオンと違って4月8日に両国国技館で行われるプロボクシングのトリプル世界戦では、WBC世界バンタム級王者、山中慎介(帝拳)が、同級1位のマルコム・ツニャカオ(真正)を迎え、WBC世界フライ級王者、五十嵐俊幸(帝拳)は、挑戦者に元WBA世界ミニマム級王者、八重樫東(大橋ジム)を指名した。山中―ツニャカオも好カードだが、私は、八重樫東の著書「我弱き者ゆえにー弱者による勝利のマネジメント術」(東邦出版)をプロデュースした縁もあって、五十嵐―八重樫戦に注目している。

帝拳の本田明彦会長は「日本人同士の世界戦では一般ファンに世界タイトル戦という意義が伝わりにくい」と、これまで自らが抱える世界王者の挑戦者に日本人を指名することを避けてきた。業界を引っ張っている老舗ジムのオーナーらしいプライドや良しである。その本田会長が組んだ日本人対決だからこそ意義が深い。裏を返せば、本田会長が、八重樫の実力と人気を認めている証拠であり、五十嵐が勝てるという自信の表れなのだろう。

この日、九段のホテルで行われたトリプル世界戦の調印式、記者会見を覗いた。

八重樫の所属するジムの大橋秀行会長が、その記者会見を盛り上げた。

「チャンピオンは八重樫の知名度と人気を奪うために指名して下さった。ここで、つまらない試合をすればイメージダウンとなってしまう。ぜひKOをして下さい。KOを狙った試合をして下さい」

これまで多くの会見を見てきたが、相手のボクサーに自分のボクサーをKOして下さいなどと、会見で発言するのは前代未聞である。会場は、どっと沸いた。その発言に対するコメントを求められた五十嵐は、「KOできるパンチがないので、できるかどうかはわかりませんが、皆さんに喜んでもらえる試合をしたい」と、真面目に答えた。

一方の八重樫は「相手にKOして下さいとは……ビックリです」と苦笑いしていた。

大橋会長は、プロとは? エンターテイメントとは? を常に考えて行動している。大橋会長のコメントは新聞のヘッドラインにもなりやすい。しかし、今回の「KOして下さい」発言には、もうひとつの狙いがある。「打ち合ってもらいたい」という切実な戦略上の理由である。

''''''非公式に対戦した5つ目の五十嵐vs八重樫戦

八重樫は、岩手の黒沢尻工業高校、拓殖大と通じて、アマチュア時代に4度、五十嵐と対戦して4連敗している。1試合を除いて、すべて完敗。サウスポーの利点を生かされ、遠くの距離から徹底してアウトボクシングをされたのである。実は、2人には非公式な5つ目の対戦もあった。アテネ五輪のアジア予選出場選手を決める合宿での選手選抜スパーリング。その時は、撒き餌のような右のパンチにひっかかって、左を決められて八重樫は、屈辱のダウンを喫している。この内部選考会で、五十嵐はアテネ五輪の予選出場権利を得て、結局、選手の辞退問題などに助けられてアテネ五輪出場を果たすことになったのだ。

五十嵐は、ここ2試合の世界戦では、足を止めて打ち合いに応じる場面が見られた。この日の会見では、帝拳の浜田会長が「離れても打ち合っても両方の練習ができている」とも語っていた。12ラウンド、足を使い続ける、出入りのボクシングだけでは限界があることを自覚しているのだろう。しかし、足を止めた打ち合いこそが、八重樫陣営の待ち望んでいる展開である。そこにしか勝機はない。だから大橋会長は「KOして下さい」との前代未聞の挑発を行なったのである。

先日、ロッカーで、八重樫の肉体をマジマジと見たが、まるで超人ハルクである。フィジカルトレーナーの土居進氏と二人三脚で行なってきた2階級アップの肉体改造は成功している。

「2階級上のパンチのダメージをどう肉体で吸収できるか」と、土居トレーナーは説明していたが、これならば、五十嵐と打ち合っても、元ミニマム級のハンディはないだろう。

しかし、いくら大橋会長がいくら挑発したところで、八重樫陣営の狙いは五十嵐には、お見通しではある。

では、その場合、どうするか。

八重樫陣営は、そのまた一歩先の対策も当然、持っている。帝拳陣営が視察にきた公開スパーリングでは、ステップひとつさえを、あえて見せなかった。ゴング寸前まで水面下で続く心理戦と、丁々発止のやり合いが、また、ボクシングの奥深い魅力のひとつである。

どちらが勝つか。予想が盛り上がり議論を巻き起こすことこそ、ボクシングの底辺拡大と、ボクシング文化をこの国に根つかせるために大切なものだと思う。ボクシング好きが、アルコールを胃袋に流し込んで、ああだ、こうだと、意見が分かれる試合こそが、好カードである。その意味でも、五十嵐―八重樫戦は、屈指の好カードなのだ。

ちなみに筆者の勝敗予想は、八重樫に思い切り肩入れしている立場上、書かないことにする。ただ、ロンドン五輪のオリンピアンのあの人は、五十嵐勝利を予想していた。また、ボクシング専門誌の日本唯一と言えるボクシングアナリストの方も五十嵐優位を予想していた。

理論派の元WBA世界Sフライ級王者の飯田覚士さんは「2-1の判定で勝敗がつくでしょう。ペースの奪い合いだと思う。決定的なラウンドを作ることのできた方が勝つ。どちらにもチャンスがある」と言っていた。私は「両陣営に気を使って白黒を付けることに逃げたなあ」とは、思わなかった。

『RONSPO』編集長

サンケイスポーツの記者としてスポーツの現場を歩きアマスポーツ、プロ野球、MLBなどを担当。その後、角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤア!」の編集長を務めた。現在は不定期のスポーツ雑誌&WEBの「論スポ」の編集長、書籍のプロデュース&編集及び、自ら書籍も執筆。著書に「実現の条件―本田圭佑のルーツとは」(東邦出版)、「白球の約束―高校野球監督となった元プロ野球選手―」(角川書店)。

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