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桃田賢斗の2018年を総括、前編「日本代表復帰から世界王者へ」

平野貴也スポーツライター
2018年は、世界ランク48位から1位へと駆け抜けた(写真:田村翔/アフロスポーツ)

 バドミントン日本代表、男子シングルスの桃田賢斗(NTT東日本)は16日、中国の広州で行われたBWF(国際バドミントン連盟)ワールドツアーファイナルズで準優勝し、日本代表としての2018年最後の試合を終えた(年内は、国内リーグとマレーシアのプロリーグに出場の見込み)。今季は、日本代表に復帰し、足早に世界ランクを駆け上がって完全復活。8月には世界選手権で日本男子初の優勝を飾り、9月に世界ランク1位の座に上り詰めた。

 ハイペースの巻き返しだった。桃田は、リオデジャネイロ五輪を間近に控えていた2016年4月に違法賭博店の利用が発覚。当時世界ランク2位で五輪の金メダル候補だったが、無期限の出場停止処分を受けて長期欠場となった。処分が解けて復帰したのが、2017年5月。1年以上離脱したため、世界ランクは同年7月時点で282位まで落ちた。復帰後、地道に格下の大会を勝ち続けたが、同年12月の全日本総合選手権はベスト8で敗退。それでも日本代表に選出された2018年は、代表入りに結果で応えるシーズンとなった。日本代表としての桃田の1年の足取りを振り返る。

 1~8月は、世界トップレベルの戦いに慣れ、日本代表のエースに返り咲き、世界王者に上り詰めるまでの歩み。9月以降は、世界ランク1位となり、追われる立場で新たな課題を感じ取っていく流れとなった。

<桃田賢斗の2018年を振り返る>
前編:「日本代表復帰から世界王者へ」(当該記事)
後編:「勝率90%超の1年を経て、狙われる立場へ

<1月> 負傷欠場からのスタート

1月5日から始まった日本代表強化合宿に参加。1年9カ月ぶりの代表活動となった。苦手としていた走りのトレーニングを精力的にこなし、山登りのメニューではトップでゴール。「苦手だけど、日本代表に戻らせてもらったので、頑張らないといけないと思った」と奮起した。しかし、合宿中の練習で左足首をねんざ。出場を予定していたマレーシアマスターズ、インドネシアマスターズ(ともにBWFワールドツアースーパー500 ※1000、750、500、300があり、数字は賞金額の高さ、レベルの高さを示す)を欠場した。

世界ランク:48位(2017年12月28日)→50位(2018年1月25日)

<2月> 低かった世界ランク

日本代表としての実戦復帰の場となったのは、2月にマレーシアで行われたアジア団体選手権だった。日本男子は、グループBでカザフスタン(5-0)、ネパール(5-0)、韓国(2-3)と対戦して2勝1敗。まだ世界ランクが低かった桃田は(種目別に世界ランクが高い順にオーダーを組むルールがあるため)第3シングルスで出場して3勝を挙げた。チームは、決勝トーナメント1回戦でインドネシアに敗退。桃田に出番は回らなかった。その後、スイスオープン(BWFワールドツアースーパー300)に出場し、ようやく個人戦に出場。2勝した後、準々決勝でサミール・バルマ(インド)に敗れて今季初黒星を喫した。

世界ランク:50位(2018年1月25日)→42位(2月22日)

<3月> 今季初優勝

元々、1月にBWFワールドツアー500の連戦でポイントを稼ぎ、3月の全英オープン(BWFワールドツアースーパー1000)に出場することを目標にしていた桃田だが、年始の負傷欠場で目的はかなわず。3月は、まず、ドイツオープン(BWFワールドツアースーパー300)に参戦。2勝した後、準々決勝で周天成(チョウ・ティエンチェン=台湾)に敗れた。続いてハノイで行われたベトナムインターナショナルチャレンジ(BWFインターナショナルチャレンジ)に出場。BWFワールドツアーより格下の大会ではあったが、6戦を勝ち抜いて今季初優勝を飾った。

世界ランク:42位(2月22日)→20位(3月29日)

<4月> アジア選手権初Vから無敵モード

4月のアジア選手権優勝が、飛躍のきっかけとなった【筆者撮影】
4月のアジア選手権優勝が、飛躍のきっかけとなった【筆者撮影】

桃田の無敵モードは、4月にタイで行われたアジア選手権の初優勝から始まった。タイトル獲得もさることながら、勝ち上がりが強烈だった。ラウンド16で中国の若手エース石宇奇(シー・ユーチー)、準々決勝で周天成(チョウ・ティエンチェン=台湾)、準決勝で五輪3大会連続銀メダルの「レジェンド」リー・チョンウェイ(マレーシア)、決勝でリオデジャネイロ五輪金メダルのチェン・ロン(中国)といずれも当時世界ランク1ケタの選手を次々に倒し、世界に完全復活をアピール。桃田は帰国時に「復活というよりは、進化できるように頑張りたい」とさらなる躍進を宣言した。

世界ランク:20位(3月29日)→17位(4月26日)

<5月> 国別対抗戦でエース起用、準優勝に貢献

エースとして臨んだトマス杯前、公開練習で汗を流す桃田【筆者撮影】
エースとして臨んだトマス杯前、公開練習で汗を流す桃田【筆者撮影】

5月は、国別対抗戦の男子トマス杯に出場。ポイントを稼いで世界ランクを上げた桃田は、第1シングルスで起用され、グループCで3試合、決勝トーナメントで3試合の計6試合で全勝。エースとしての役割を果たした。チームは、決勝で中国に敗れて準優勝。銀メダル獲得に貢献した桃田は、準々決勝のデンマーク戦で当時世界ランク1位のビクター・アクセルセンを撃破。アジアだけでなく、欧州最強選手も完封して強さを見せつけた。

世界ランク:17位(4月26日)→12位(5月31日)

<6~7月> 世界選手権の優勝候補筆頭へ

夏は、6月下旬に開幕したマレーシアオープン(BWFワールドツアー750)で準優勝。決勝はリー・チョンウェイ(マレーシア)に敗れ、レジェンド相手の連勝はならなかった。しかし、続く7月上旬のインドネシアオープン(BWFワールドツアー1000)では、優勝。準決勝でリー・チョンウェイ(マレーシア)に雪辱を果たし、決勝で当時世界ランク1位のビクター・アクセルセン(デンマーク)を撃破した。4月以降、世界選手権の上位候補をすべて破り、リー・チョンウェイに1敗しただけという状況になり、桃田は世界選手権の優勝候補筆頭に躍り出た。

世界ランク:12位(5月31日)→11位(6月28日)→7位(7月26日)

<8月> 日本男子初の世界王者!

8月は、記念すべき日が訪れた。中国の南京で行われた世界選手権に出場。前評判に違わぬ強さを見せつけ、全6試合を勝利。日本男子初の優勝を飾り、世界王者となった。ライバル候補だったリー・チョンウェイ(マレーシア)が出場を辞退(後に、鼻のがんに冒されていたことが発覚)するなど組み合わせに恵まれる形になったが、決勝では、石宇奇(シー・ユーチー=中国)に声援を送っていた地元の観客を黙らせるスーパーレシーブを連発。世界最高の技術を見せつけて圧勝した。8月は、続けてジャカルタで行われたアジア大会に出場。団体戦では3戦全勝を飾ったが、チームは準決勝で敗退して銅メダル。個人戦は、ラウンド16で地元のアンソニー・シニスカ・ギンティン(インドネシア)に敗れた。以降、ギンティンはライバル候補として存在感を強めていった。

世界ランク:7位(7月26日)→4位(8月30日)

9月以降の振り返りに続く

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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