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鬼に金棒。Googleに任天堂。『ポケモンGO』

平林久和株式会社インターラクト代表取締役/ゲームアナリスト
『ポケモンGO』は最高にうまくいった共同開発の事例。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

『ポケモンGO』が日本でもリリースされた。報道はさらに加熱している。日本公開日(7月22日金曜日)だけでも筆者には10件以上の取材依頼があった。この調子だと週明けもさまざまなメディアが『ポケモンGO』のことを取り上げるだろう。これだけ多数の報道がありながら、『ポケモンGO』とは何か? その核心部分が触れられていないように思えるので記しておきたい。

もはや、多くの人に知られることになったが『ポケモンGO』は位置情報を扱ったゲームである。街に出て遊ぶというアイデアが素晴らしい。ゆえに『ポケモンGO』はヒットしたという肯定的なスタンスの報道。あるいはその逆で、歩きスマホをすることになるので、その行為は危険という否定的な報道。どちらも(珍)事件やエピソードをからめて『ポケモンGO』が位置情報ゲームである点にフォーカスを当てている。

ところがゲーム業界の歴史を振り返ると、位置情報ゲームというのは新しいわけでも珍しいわけでもない。位置情報ゲームの歴史は意外と古くて2000年の頃、ガラケー時代からあった。通信会社のネットワークは、携帯電話はどこにあるのか、把握していないと通話ができない。そのために携帯電話の居場所を基地局に信号で知らせる「位置登録」というシステムがある。このシステムを応用すれば位置情報ゲームは昔からつくれたのである。2000年代半ばになり、GPSが使えるようになって位置情報ゲームはよりつくりやすくなる。過去に開発された位置情報ゲームは、個人開発を含めれば100タイトル以上。ゲームファンの間では知られたタイトルを挙げれば、『ケータイ国盗り合戦』(マピオン)、『みんなのシムシティ』(エレクトロニック・アーツ)、『コロニーな生活』(コロプラ)などがあった。ちなみに、位置情報ゲームの俗称だった「位置ゲー」は、現在、コロプラの商標になっている。したがって『ポケモンGO』は、数々の失敗作が横たわるマイナーなジャンル=位置情報ゲーム。このようなネガティブな常識をくつがえしたが、画期的な発明・発見をしたとはいえない。

では、位置情報ゲームが成功の主要因ではないとしたら『ポケモンGO』の成功は何によるものなのか? その核心はGoogleと任天堂。ナイアンティックと株式会社ポケモン。企業提携・共同開発が見事に成功したことによる。夢は見るものの、えてしてうまくいかないのが企業提携・共同開発。にもかかわらず、言葉も文化も専門分野も違う日米の企業が、こんなに美しく組み合わさって、双方の強みをいかした例は過去に皆無である。ゲーム業界の過去事例と比較して「皆無」と述べているのではない。ゲーム以外のあらゆる工業製品やサービスを見渡して、日米の企業が提携・共同開発し、これほどの成功をおさめたことがあっただろうか(いや、ないだろう)。そういう意味で、『ポケモンGO』は企業提携の歴史、共同開発の歴史に名を残す。テレビの娯楽番組ならば、世界で次々に起こる珍エピソードを紹介するのもいいだろう。だが、ビジネスマンを対象にしたメディアは、そろそろ視点を変えるべきではないだろうか。好奇の目で見るのをそろそろやめて、Googleと任天堂=最強の企業連合、ナイアンティックと株式会社ポケモン=最善の共同開発という視点で『ポケモンGO』を論じてもいい頃だと思う。

最後に今後の『ポケモンGO』について要望を述べる。

本稿ではダウンロード数、売上、話題性などの面から「最強」「最善」と評価したが、細部においては改善点がある。特に気になるのはアイテムが得られるポケストップの場所だ。ナイアンティックが開発した『Ingress』のポータルをベースにして、ポケストップは置かれている。だが、『ポケモンGO』のプレイヤー数は『Ingress』と比べて圧倒的に多いので、より慎重であってほしい。毎日新聞の報道によると、7月22日午前11時半ごろ被災した熊本城周辺の立ち入り禁止区域に人が入ろうとしたため、熊本城総合事務所は、ゲームの対象から外すよう任天堂に申し入れた。同日夕刻にはナイアンティックから「対象から外した」と連絡があったという。このような柔軟な対応があったと聞くと安心する。

日米の壁を克服して開発された『ポケモンGO』である。日本人の安全はもとより、日本人の道徳心、日本の社会通念に配慮した運営が行われてほしい。

株式会社インターラクト代表取締役/ゲームアナリスト

1962年神奈川県出身。青山学院大学卒。ゲーム産業の黎明期に専門誌の創刊編集者として出版社(現・宝島社)に勤務。1991年にゲーム分野に特化したコンサルティング会社、株式会社インターラクトを設立。現在に至る。著書、『ゲームの大學(共著)』『ゲームの時事問題』など。2012年にゲーム的発想(Gamification)を企業に提供する合同会社ヘルプボタンを小霜和也、戸練直木両名と設立、同社代表を兼任。デジタルコンテンツ白書編集委員。日本ゲーム文化振興財団理事。俗論に流されず、本質を探り、未来を展望することをポリシーとしている。

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