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樋口尚文の千夜千本 第165夜『夜叉ケ池』4Kデジタルリマスター版(篠田正浩監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(C)1979/2021 松竹株式会社

遂に封印を解かれた玉三郎のオペラティック巨篇『夜叉ケ池』

1979年10月20日、極めて異色にして壮麗な日本映画が公開された。その泉鏡花原作、篠田正浩監督、坂東玉三郎主演の松竹映画『夜叉ケ池』は、封切館で公開される前に洋画系の劇場でロードショー公開された。華々しい公開のされ方にもかかわらず、本作は81年と87年にテレビ放映されたほかは諸事情から一度もソフト化されず、劇場で上映される機会もほとんどなく、事実上の「封印」状態がほぼ40年にわたって続いていた。ところが、篠田監督が90歳を迎える3月、なんと4Kデジタルリマスター版としてふたたび陽の目をみることとなった。これは映画史的な、寿ぐべき椿事である。

1970年代の公開当時は、邦画各社が自信の大作を公開する際、一般封切の前に洋画のロードショー館で先行公開して箔をつけるという興行のスタイルがあったが、『夜叉ケ池』もこうした邦画の大作志向のなかで巨費を投じて製作され、私が初日に観たのも現在の有楽町マリオンの場所にあった丸の内ピカデリーという堂々たる洋画系の旗艦劇場の大スクリーンであった。この日は篠田監督と坂東玉三郎の挨拶もついて盛況、劇場には玉三郎ファンの若年から中高年まで幅広い女性観客が詰めかけていたが、終わった後は何かあっけにとられている感じだった。それもそのはず、この映画は従来の数多くの泉鏡花原作の映画作品のような、オーソドックスなメロドラマやファンタジーの枠から果敢にはみ出した知的遊戯、知的冒険のかたまりだったからだ。『夜叉ケ池』は、いかにも早すぎる作品であった。

『夜叉ケ池』は鏡花が大正2年に発表した戯曲だが、諸国を旅する植物学者の山沢学円(山崎努)がたまたま赴いた山中で美しい女・百合(玉三郎)に出会う。ところがさらに百合の夫に会えば、それは数年前、各地に伝承される物語を集めに出かけて消息不明となった親友・萩原晃(加藤剛)だった。学円が訳を聞けば、萩原は百合と結婚してこの村に住み、亡くなった鐘守の遺志を継いで日々龍神を鎮める鐘を撞いていた。折しも三国ケ嶽の夜叉ケ池の底では、剣が峰の千蛇ケ池に住まう恋しい公達のもとへ飛んでゆきたい龍神の白雪姫(玉三郎の二役)が、まさに鐘の霊力で動きを封じられ、思いを焦がして悶々としていた。しかし、強権的で愚かな代議士・穴隈(金田龍之介)が雨ごいのために百合を龍神の生贄に捧げよと村人を煽動してこの清らな夫婦を迫害し、ついに鐘が撞かれない日が訪れる。はたして白雪は自由の身となり、夜叉ケ池は氾濫、村は畏怖すべき洪水により容赦なく水中に没してゆく……。

この物語を描くにあたって、篠田正浩監督は舞台ならぬ映画で男性の玉三郎に百合と白雪の二役をオファーし、当時29歳であった玉三郎はこの難役を果敢に受けて立った。そもそも鏡花を愛してやまない玉三郎は『天守物語』『海神別荘』『日本橋』などの出演、演出をつとめ、88年の映画『帝都物語』では鏡花本人を粋に演じてみせたほどで、『夜叉ケ池』の繊細な女性性の表現も素晴らしかった。玉三郎が百合として優しく、白雪として激しく語る台詞は、田村孟と三村晴彦の脚本が鏡花調の日本語の艶を敬虔に活かし、いかにも美しい。ところが、この玉三郎の女性性への「越境」に鼓舞されるように、本作では実にさまざまな文化的「越境」が沸き起こるのであった。

たとえば玉三郎を囲む俳優は加藤剛、山崎努から唐十郎に至る新劇、映画、アングラ演劇と壁を超えたメンバーの混成部隊であり(湯尾峠の万年姥に扮した丹阿弥弥津子の貫禄は圧巻)、鏡花の和の世界に対して音楽は冨田勲のシンセサイザーによるクラシックのアダプテーションがふんだんに活かされた。当時の冨田はちょうど『地獄の黙示録』の音楽をコッポラからオファーされた時期(惜しくも実現せず)で、まさに脂ののった季節であったが、白雪姫の壮麗な出現に『展覧会の絵』の「古城」が、村を襲う洪水のカタストロフにプロコフィエフ『スキタイ組曲』の「ヴェレスとアラへの讃仰」が、夜叉ケ池から解き放たれた白雪一行の飛翔にドビュッシーの『ピアノのための前奏曲』の「沈める寺」が、冨田の意匠を経てもう噓のようにはまっている。

そして、セットデザインも粟津潔、朝倉摂という尖鋭なデザイナーたちが大胆に生み出す前衛的な幻想世界と、松竹大船撮影所の手練れ・横山豊によるオーセンティックな現実世界の「越境」が目覚ましく、池の底に棲む鯰、鯉、蟹の妖怪(三木のり平、井川比佐志、常田富士男のコメディリリーフが愉しい)も本来は純和風のはずが、こういう世界観にあってはバタ臭いクリーチャーのようで洒落ている。さらに驚きは、こうした文芸作品の構造と匂いをもって描かれる作品の、最後の山場である洪水の場面がまるでスペクタキュラーな「特撮映画」に転ずることだ。このシークエンスを手がけたのは、当時東映の『宇宙からのメッセージ』の特撮技術が絶賛されたばかりの特技監督の名匠・矢島信男で、まだCGもない時代のミニチュアワークと光学合成によるアナログ特撮の、これはひとつの頂点をなす偉業だろう(矢島は東映の特技監督として勇名を馳せたが、出発点はこの松竹大船の特殊技術課であって、カラー時代の松竹の富士山クレジット映像は矢島の手になるものだ)。

事ほどさように『夜叉ケ池』は、篠田監督と玉三郎の「越境」の意志に共振した多種多様な才能がよってたかって「越境」しまくったところに生まれた、空前絶後の知的遊戯づくしの大作である。古寺の鐘楼までもが南米イグアス瀑布に「越境」するという、かくも外連味たっぷりのオペラティックな奇想が意外や『夜叉ケ池』に似合ってしまうのは、江戸文芸の伝承者とばかり思われている鏡花が、実はゲルハルト・ハウプトマン『沈鐘』にインスパイアされてこの戯曲を書いたからかもしれない。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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