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樋口尚文の千夜千本 第150夜「アングスト/不安」(ジェラルド・カーグル監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(C)キングレコード・アンプラグド

血のカーテンの向こう側に忍ぶ「理知」

中田秀夫監督の出世作『リング』よりもめっぽう怖い秀作『女優霊』では、主人公の映画監督が幼少期に観たテレビ映画の断片を思い出して、「あれはいったい何だったのだろう」と記憶を探るシーンがあって、その断片が全く何のシーンなのかわからないところが(またその映像がひじょうに巧い質感で描かれていることもあって)えも言われぬ恐怖を醸すのだった。映っているものは一部を除けば何気ないのだが、フィルムの正体不明さ、匿名性がやけに怖いのである。

実は、私にもそれに似た映像をめぐる不穏な記憶がいくつかあるのだが、それらが主として1960年代の記憶であるなかで、80年代後半のレンタルビデオブームの頃にもそんな例があった。何やらかなり特異な作品を観た、ということまでは覚えているのに、まるでその作品名を思い出せず、まさに「あれはいったい何だったのだろう」という思いに駆られるばかりだった。バブル期の景気のいいレンタルショップにはホラーからアクションからアダルトから、夥しい謎の作品が並んでいたが、たぶんそういうものに紛れた一本で、何かのついでに借りて観たのだろう。するとそれは見知らぬ出演者による、殺人をめぐるかなり残忍な内容で、それでいて妙に静謐な空気が充満していた。あまりのことに途中で集中力が続かずダウンしたか、酒でも飲みながら観ていて記憶が飛んだか、最後まで観終えたかどうかも朧になっていたのだが、とにかくこれは出所不明の幻夢のような記憶として私に張りついた。

このたび劇場公開となる1983年作のオーストリア映画『アングスト/不安』を観ていたら、あのバブル期のビデオの洪水のなか、1988年頃にあたかも地下から流出したスナッフ・フィルムのように密やかに出会った幻夢が、まさにこの映画だと気づいて驚いた(ビデオスルーの作品が『鮮血と絶叫のメロディー 引き裂かれた夜』なる題名で売られていたことも思い出させてくれた)。そして、生い立ちゆえの異常性癖が身についた男が、出所後の一昼夜にひたすら人を殺し続けるのを描いただけのこの作品を、しっかりと全て観た。だが、全てを緊張とともに確認した後、一点根本的なところで認識を改めた。

というのは、よくよく観てみるとこれが得体の知れない幻夢とは真逆の、ひじょうに低温で理知的な習作であって、実にきめ細かい計算が施されていたことだ。何より作品全体の構えをつくっているのは、撮影のズビグニェフ・リプチンスキーの美しく特異な視座で、きっと誰もが「ドローンもない時代にこの画をどうやって?」と呟くに違いない鳥の視界のごとき俯瞰ショットや、編み出されて間もないステディカムをさらに変則的に使ったショット(本稿のスチールにその自在な撮影の風景が窺える)、そしておそらく自前で開発したに違いない撮影補助機器を駆使して、荒涼たる風景ショット、寂寥感の横溢する人物ショットを実現している。このリプチンスキーとは、オプチカル合成を駆使した81年の短篇『タンゴ』や90年の草創期のハイビジョン合成を多用した中篇『リプチンスキーのオーケストラ』で知られる、あの映像作家本人である。

『タンゴ』も『オーケストラ』も徹底して新旧の「技術」で語りきる実験作であったが、両作のはざまで撮られた『アングスト/不安』もまた、その系譜に連なる「技術」と「計算」の試行なのだった。そしてこの様式的な映像の力を得て、殺人鬼に扮する主演のアーウィン・レダーもまた思いつくままの乱行を披露しているかに見えて、殺しの挙動をめぐるクリシェを排除した脱臼的な演技が鮮やかである。某屍体を割れた硝子の破片の上で引きずりながら階段をよろよろ降りてゆくあたりの、あのたどたどしさや、間歇的な激しさなど、俳優のセンスなのか監督の指示なのかわからないが、なかなか凝っている。そして私はさっき初見時のことを「見知らぬ出演者」と記したが、これも実は誤りで、とうに公開時に観ていたウォルフガング・ペーターゼン監督『U・ボート』の、機関室に籠りっきりの兵曹長を演じていたのが、このアーウィン・レダーなのだった。この逸材をはじめ、彼がカフェで獲物としてロックオンするナンシー・アレンふうの女子(誰なのだ?)など、監督のジェラルド・カーグルのキャスティング・センスも素晴らしい。

そしてこうしたカメラやキャストを率いて、稀代の理不尽な殺人鬼を描こうとした監督は、数々のスリラー描写を常に風通しのいいものにして、飼い犬をめぐるほのかな諧謔など、間口の広い演出に好感を抱く。だが、いかんせんこの作品はその才能のレッスンであり、辛いが小粒な「習作」の範疇であろう。だからこれで大傑作というのも躊躇われるし、ジェラルド・カーグル監督の本領が試されたのは、未知なる次回作またはその次の野心作であったはずだ。しかし残念ながら、製作されてから37年後のフィルモグラフィには続く映画の監督作はない。あまりの題材に母国オーストリアでこの作品は極度の嫌悪の対象とみなされ、ヨーロッパでは上映禁止、ビデオ化さえも一部禁止となってしまったというが、誰か見巧者でこの作品の秘めしデリケートで理知的な部分を正確に称揚してくれる人がいなかったことが悔やまれる。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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