樋口尚文の千夜千本 第142夜「プロジェクト・グーテンベルク 贋札王」(フェリックス・チョン監督)

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失われし香港と香港電影の天真爛漫さを求めて

今年なんと65歳になるチョウ・ユンファが往年のぴちぴちした感じとは違うものの、若々しいスリムな感じであいかわらずスタアの空気を画面に充満させているのがいい。思えば80年代の半ば以降の香港電影ブームの頃、チョウ・ユンファの作品をしこたま楽しんだ。ざっと思い出すだけでも、『獣たちの熱い夜 ある帰還兵の記録』 『真夜中のヘッドハンター/殺人の報酬』『傾城之恋』『風の輝く朝に』『サイキックSFX/魔界戦士 』『夢中人』『ストーリー・ローズ/恋を追いかけて』『友は風の彼方に』『地下情 追いつめられた殺意』『セブンス・カース 』『殺したい妻たちへ 』『傷だらけのメロディー』『男たちの挽歌』『マカオ極道ブルース』『プリズン・オン・ファイアー』『ファントム・ブライド/鬼新娘』『誰かがあなたを愛してる』『男たちのバッカ(挽歌)野郎 』『男たちの挽歌II』『愛と復讐の挽歌』『愛と復讐の挽歌・野望編 』『サイキック・アクション/復讐は夢からはじまる』『僕たちは天使じゃない! 』『パラダイス・パラダイス』『大丈夫日記』『タイガー・オン・ザ・ビート』『香港極道 狼仁義 』『非情の街 』『過ぎゆく時の中で』 『狼 男たちの挽歌・最終章』『いつの日かこの愛を 』『黒社会』 『ゴッド・ギャンブラー』『アゲイン/明日への誓い』『ゴールデン・ガイ 』『狼たちの絆』『フル・コンタクト』『ハード・ボイルド 新・男たちの挽歌』‥‥と、こんなに観ていた。

こうして題名を列挙しただけでも80年代後半のレンタルビデオショップの棚を賑やかに彩る香港ムービーのパッケージを思い出す人は少なくないだろう。運よく劇場で公開されたものには駆けつけたが、多くの作品はビデオで追いかけた。当時はバブル期で、レンタルビデオも流行っていたので、けっこう珍しい作品までパッケージ化されていた。国内でリリースされていないものでも、香港に行けばけっこう手に入った。そんな時期にわんさと作られた即製の娯楽作に次々と顔を出しては喝采を浴びる”發仔”がやはりチョウ・ユンファのイメージだ。これらの作品にはアクションもコメディもメロドラマも文芸作も混ざっていて、よくまとまった傑作はごく一部に過ぎないのだが、とにかく作品と作品をまたいでいろいろな顔を見せてくれるチョウ・ユンファを観たいというのが主たる目的なので、個別の出来不出来はもはやどうでもよかった。

チョウ・ユンファは『男はつらいよ』シリーズの大ファンで渥美清を尊敬していたというが、ユンファ自身は渥美清や植木等のようなコミカルさとシリアスさ(渥美も植木もシリアスな役では別人のような迫力があった)に加えて、小林旭や赤木圭一郎の活劇的資質も備えた幅広さだった。そういう持ち味がくだんのざわざわと濫造される香港電影の勢いのなかで、ゴロッと差し出される時にこそユンファは輝いていたと思う。それゆえ、90年代後半にハリウッド・デビューしてからの『リプレイスメント・キラー』『NYPD15分署』『アンナと王様』『グリーン・デスティニー 』あたりの作品は製作費も上がって精緻なれど、チョウ・ユンファに関してはよそ行きな感じが強く、そのあたりからはユンファに興味を失った。

そして逆にこの頃、ユンファと入れ替わるように中国返還後の香港で新たな映画づくりに打って出たのが『インファナル・アフェア』シリーズの担い手であるフェリックス・チョンだ。ゼロ年代に入ってこの精緻で上質なシリーズを観た時、あの即製で勢い重視の香港電影が明らかに変わった気がした。フェリックス・チョンは『男たちの挽歌』で育った世代であり、なんと松本清張と横溝正史が大好物という、まるでわれわれのクラスメートのようなオタク監督である。そういう意味で『プロジェクト・グーテンベルク』は、返還前の電影界でやんやとジャンル映画をでっちあげていた「情」の人であるチョウ・ユンファと、返還後のひじょうにクールでスタイリッシュで計算された作品を撮る「理」の人であるフェリックス・チョン監督が出会った実に楽しみな作品だった。

実際、贋札づくりの裏側の動静をひんやりと快調に描く前半は過去の香港電影とは別物のように洗練されており、それでいて活劇シーンが始まると『男たちの挽歌』シリーズや『愛と復讐の挽歌』に捧げられたような絢爛たるバレット・バレエが展開されて、香港電影ファンなら大歓迎の「情理」兼ね備えた展開だ。そして往年の香港電影の鷹揚なオチとはもはや別次元の、どこまで続くのかというどんでん返しは、『インファナル・アフェア』的なフェリックス・チョンのお家芸だろう。それはもうニューヨークには死んだマークと双子のケンがいたとか、そういうレベルすらはるかに超えたビックリな展開で、そういうどんで返し連発は今どきの流行りであるとはいえ、さすがにやり過ぎではないかと一瞬思いもしたのだが、その本作最後にチョウ・ユンファが見せたおとぼけが一気にあの往年の香港電影のばからしさ(これは最大限の誉め言葉)を召喚して私のとまどいを蹴飛ばしてくれた。香港は不幸にしてこんなことになってしまったが、チョウ・ユンファ(とアーロン・クォック)の機嫌よきスタア性健在のおかげで、あの香港の街と香港電影の天真爛漫で賑やかなりし時代をフラッシュバックさせる上々の娯楽篇となった。