樋口尚文の千夜千本 第141夜「1917 命をかけた伝令」(サム・メンデス監督)

(写真:ロイター/アフロ)

強靭な監督の狙いに湧く「蕩尽」のまつり

『アメリカン・ビューティー』『007 スカイフォール』のサム・メンデス監督が119分の戦争映画を途切れないワンカットで撮った、ということで評判になっている。その大雑把なふれこみだけを聞いていると、ちょっと心配になった。なぜかといえば、たとえばかつてエルミタージュ美術館内で90分をワンカット撮影したアレクサンドル・ソクーロフの『エルミタージュ幻想』などは、3回撮影をトライして失敗し、4回目にようやく成功したという労作なのに、途中で睡魔に勝てなくなった。というのも、物語上の時間が現実の時間と一致してしまうと、何かのスポーツやイベントのライブ中継ならいざ知らず、劇としてはただ平板になってしまうのだ(それに全篇ワンカットというだけなら三谷幸喜監督が『short cut』『大空港2013』というWOWOWのドラマで何度もやっている)。

時間感覚の恣意性というのは、映画や演劇の特権的な表現で、たとえば一年のような一分や一分のような一年が観る者をとまどわせ、魅了する。だから『1917 命をかけた伝令』が本当にただ119分の現実の時間をなぞる映画ならワンカットであれ何であれ平板さが約束されてしまうわけなのだが、実際の映画を観るとそれは宣伝上のややアバウトな表現であって、厳密に言えばある程度の長さのワンカットで撮られたシークエンスの塊がいくつか(現実をなぞるどころかむしろ詩的に)結い合わされている作品であり、私の心配は杞憂で実に面白く自在な時間ー空間感覚に貫かれた見事な作品だった。

物語はごくシンプルで、第一次大戦中のフランスにて、イギリス軍の部隊が撤退したドイツ軍を追撃すべく出発する。だがそれは罠で、そのまま追うとドイツ軍が満を持して待ち構えていることが発覚、イギリス軍の若い二人の兵士がその情報を進軍中の部隊に伝え、全滅から救うことを命じられる。その二人の決死行が本作のすべてである。その行程で白昼意表をつく障害が割り込んで事態が急変したり、夢幻的な匿名の闇にまったりと停滞したり、サム・メンデス監督は平板な時間感覚を繊細に排除し続ける。その監督のシンプルで強靭な意図のために投入されたカメラワーク、数々の大がかりなセット群、種々のVFXとデジタル技術には気の遠くなりそうな映画ならではの「蕩尽」を感じさせる。この緊張感とシリアスさみなぎる作品は、しかしそういう実に賑々しい映画の「祭祀」なのであり、何よりその活気、生気に打たれる。