樋口尚文の千夜千本 第132夜「全裸監督」(武正晴 総監督)

(c)Netflix

突飛すぎる異才の横顔をごく手堅く描く

何年か前のことだが村西とおると代々木忠というかつてのカリスマAV監督の対談をごく間近で聞き続けることがあって、もはやいったい何の話だったのかはさっぱり忘れたのだが、とにかく会話に惹きつけられっぱなしであったのと、また漫才みたいなギャグ満載のトークというよりも、なんだか仏門に入って有難い講話を聞かされているような感じであったのを覚えている。その時の村西はスリーピースをびしっと着て、頭髪もかちっと撫で付け、姿勢もぴんとしていて、ただ座っているだけでも精力‥‥いやむしろ迫力の塊という雰囲気だった。

30余年前、村西は日本じゅうの殿方の人気者だった。まだ村西の前歴を知らなかった私は、「顔面シャワー」と美貌の女優たちで売ったクリスタル映像の監督兼男優としてのみ村西を認知していたが、この人のAV作品を見ているとその異才ぶりにあっけにとられることしきりだった。まずその「ナイスですね」「ゴージャスでございます」「皆さん、こちらが準ミスのハメでございます」といったやや訛った丁寧な話術がとにかく変すぎてぐいぐい引っ張られてしまい、たとえば実際の性交を撮影するといってもかなりエキセントリックな黒木香というお嬢さんふう女優にホラ貝みたいなホイッスルを渡し、性感が高まるごとに吹く回数を増やしてくださいと注文したり(その笛の音が本当にマヌケなので真面目に絶頂を迎えつつある黒木が笛を吹きまくるのがお腹が痛いほどおかしかった!)、お安い煽情性を蹴散らす荒唐無稽なアイディアが天才的だった。

村西のビデオ人気はちょうどバブル期の景気の推移に連動していた気がするが、ビデオのパッケージも時代の気分を映してワンレンボディコンで当時物のケバいメイクの美女が、金文字のえぐいタイトルのもと殿方を誘っている感じで、このえげつない張り出し方と、くだんの内容の荒唐無稽さは、ずばり村西本人の魅力に直結していた気がする。それをひとことで言えば、出所不明の突飛な押し出し、景気のよさとナンセンスだったと思うのだが、この感覚が当時バブルで突飛に金持ちになっておかしくなっていた殿方たちと妙にシンクロしたのが人気の根拠だったかもしれない。それにしても、この異才はどうやって生まれたのか、そこを描こうとするのがNetflixで配信される連続ドラマの本作である。

第3話までをスクリーンで観たが、これはまだ無名のセールスマンだった村西が書籍の訪問販売で自らの商才に気づき、やがて運命的にビニ本業界に導かれ、大変な売上を記録して事業拡大するも、警察に目をつけられて解体に追い込まれるまで、すなわちAV監督村西とおるの誕生前夜までのパートであったが、すでにじゅうぶんに面白かった。山田孝之扮する村西は、終始至ってクールであり、商機を感ずれば大きく打って出る目利きのギャンブラーであり、要はたまさか「エロ」という需要に応えて新たなセリングポイントを開発してゆくアイディアマンの「事業家」という見え方を貫いていて、そこがひじょうに面白い。

逆に村西の周囲をとりまく満島真之介や玉山鉄二らは、どこかちょっとイカれ気味なのだが、あくまで真ん中にいる村西は冷静で、顧客のニーズをついて儲けることだけに執心している。さまざまな口実で取り締まる警察への怒りも、なぜみんなが喜ぶ「エロ」を売る商売を邪魔するのかという義憤に近い感情があって、あらかじめ権力に喧嘩を売っているというよりは売られた喧嘩に異議申し立てをしているふうである。『全裸監督』というと、もともと反権力的な性格のアウトローが主人公のような錯覚を与えるが、ここでの村西はそういうつもりもないのに目くじらたてる権力側によってやっかい者にさせられている感じに見える。

ただ、こうして大金を稼ぐことに血道をあげ、それを邪魔する権力には憤然と立ち向かう村西の、執着と反骨の気性はどこに由来するのか。その原点となる戦後の少年時代の底辺の暮らしも本作は凝視する。村西の横顔は、貧しき日本が高度成長期を経て絢爛たるバブルに突入するまでのクロニクルそのものだ。しかもこの経済成長のなかで「事業家」村西が、その時々で威勢よく新たな商売に打って出る時、その刹那性にも気づきながら、束の間の祭りに心身と財産を投入する、その性(さが)のごときものも、山田孝之の造型した人物像は感じさせてくれる。満島、玉山もかなり機嫌よく役づくりを行っていて印象に残る。

演出もごくごく堅調で、80年代の風俗再現など美術も健闘している。そしてまた、こちらはそんなに気にしていないのに今どきの地上波のテレビではクレームをおそれて流せない性的な設定や表現も当然紛れているし、また映画と違って連続ドラマという形式ゆえに日常的なテーマをゆっくり掘り下げられるよさもあるので、この材料にNetflixと言う場はとてもふさわしかったと言えるだろう(第67夜『火花』もご参照あれ)。