樋口尚文の千夜千本 第125夜 【追悼】佐藤純彌

佐藤純彌監督(写真提供=佐藤東弥)

無私に映画に殉ずるアルチザン、佐藤純彌

1956年に東大仏文科を卒業して東映東京撮影所の助監督となった佐藤純彌が監督デビューしたのは、1962年の三國連太郎主演『陸軍残虐物語』で、この作品は理不尽な私的制裁が渦巻く旧陸軍の苛烈な実態を暴き糾弾する東映版『真空地帯』であった。本作での佐藤純彌は怜悧に人物を凝視する硬質なタッチであったが、かと言ってそれに拘泥するわけでもなく、1964年に撮った三田佳子主演『廓育ち』では遊郭を舞台にしたメロドラマを切々と描いてみせた。以後の多彩で何でもありな佐藤のフィルモグラフィを見れば、作家のスタイル先にありきではなく、あくまで会社から降ってきた企画にふさわしいかたちで語り口を選択していた。

そういう意味では、佐藤の後を追うように東大美学科を出て東映京都撮影所に入社した中島貞夫も、佐藤に近い構えでありとあらゆる雑駁な企画をそれぞれ上々に仕上げてみせたが、ふたりは東映の東西の撮影所を代表する名職人監督であった。『陸軍残虐物語』のタッチを考えると、67年に連作した『組織暴力』『続 組織暴力』のような実録路線前夜を思わせるクールな作風は好みなのかもしれないが、入社は3年先輩の深作欣二のように自らのタッチに物語をねじ伏せるタイプではなく、逆に会社から降りてくるお仕着せの企画に合わせて無理なく見やすいタッチを以てのぞむ構えだった。

とはいえ、である。それだけなら日本映画最盛期に撮影所が育てたあまたの職人監督と変わらないのであるが、佐藤純彌の場合はその「なんでもあり」のレンジがちょっと極端であった。たとえば82年の『未完の対局』のようなごく淡々と歴史の悲劇を描くオーソドキシーの一方で、73年の『実録 私設銀座警察』のごとき極悪な戦後史の闇を勢いまかせに綴った作品もある。中国での歴史的ヒットで知られる『君よ憤怒の河を渉れ』の痛快爽快なサスペンスの作り手が、実は『実録 私設銀座警察』のように物語も語り口も不気味な奇篇を撮っていると知っていたら、恐れをなして『未完の対局』など任せられなかったかもしれない。

この主題と方法の極端さは、いったいどこから生まれるのか。それはほかならぬ佐藤純彌の企画への向き合い方の(途方もない)実直さゆえのものだろう。仮に今どきの中途半端に聡明な監督が、やや不出来な企画を委ねられたとしたら、どうしても「これはワザとやっています」という暫定感、距離感を表に出してしまうことだろう。しかし、佐藤純彌にはそういうはしたなさが全くない。ひたすらその企画の求めるタッチに徹し、それに殉ずる構えで撮っている。企画より先に自らのスタイルありき、というような強引さは佐藤の引き出しにはなくて、ひたすら自らに降ってきた企画そのものが持つ魅力や傾向にあわせて、合気道のように映画を撮ってきた。

こうして終生実にさまざまな企画の映画化を求められた佐藤純彌の作家的晩年は、生真面目な歴史大作『おろしや国酔夢譚』にエイズ絡みのメロドラマ『私を抱いてそしてキスして』に超能力の実在をめぐるセミ・ドキュメンタリー『超能力者 未知への旅人』にもはやカルトなSF怪作『北京原人 Who are you?』にと怪しげな作品の目白押しであったが、いかに笑止なキワモノ企画であっても作家的な自意識をもってその題材を茶化したりはぐらかしたりすることはなかった。

そんな東映のプログラム・ピクチャーの誠実な手だれであった佐藤純彌に「大作監督」としての転機をもたらしたのは、1975年の代表作『新幹線大爆破』の好評だった。ここを節目として佐藤のフィルモグラフィは明らかに変貌し、当時の日本映画界を席巻していた異業種勢力、角川映画の大作『人間の証明』『野性の証明』を皮切りに邦画サイズでは「超大作」扱いされる作品を続々と任されるようになった。しかし別に、佐藤純彌にとって『新幹線大爆破』はあくまでちょっとイレギュラーな大作扱いのプログラム・ピクチャーという認識はあれど、そこで作家性が変容したり跳躍したり、ということではなかったはずだ。

いつもよりいくぶん製作費はあっても撮影日数は決して潤沢ではない作品を、実直に予算もスケジュールも踏まえながら「裁いている」感じの鷹揚さや粗さが実はこの作品の持ち味で、それがうまい具合にぐいぐい押してゆく展開の迫力を生んでいるという気がする。これが、ワンカットワンカット精密に画角にまでこだわって、もっと作家がフェティッシュに「粘っている」構えになっていたら、今ふうの一見スマートで狙い過ぎの映画にはなっていたかもしれないが、果たしてこんな荒々しくも間口の広い牽引力が生まれたかどうか。

もちろん撮影所というスタッフとインフラの宝庫を背景にしたものではあるが、こういう企画をどんどんこなしてゆく「裁き」の味というのがあると思うのだ。それは全カットをねっとり自分のハンコを押すように撮ってゆく、それこそ往年のATG映画や昨今のインディーズ映画にありがちな「粘り」の味というものとはまた違った、立派な映画表現とのつきあい方、向き合い方だろう。もちろんそれは『敦煌』や『植村直己物語』のような大作は「裁かずして」予算期日を守ることはできないという背景に発してもいることでもあるわけだが、スタッフ、キャスト、そして当日の撮影条件など諸事情のハーモニーのなかで自然な流れで映画が出来あがってゆくのを(回るろくろで器が形を持つのを助けるあんばいで)無私に見届ける、というのもひとつの堂々たる映画作法だろう。

そんな演出姿勢について『人間の証明』などで組んだ名カメラマン・姫田真佐久が、佐藤監督はあまり演出に興味がないのか、ヨーイハイをかけたらソッポを向いていた、と語っていたが、これはあまりにも撮影の一スタッフ的アングルでの発言に過ぎるという気がする。何もしていないようでいて、実は監督という立場は凄まじくさまざまなものを背負わされている。上々のスタッフ、キャストによって自然に生成されてゆく映画を折を見て剪定するような佐藤の作法でなければ、『敦煌』など完成すらしていないかもしれないし、またそこにはこういう大作ならではの語りの風味もあるわけである。そして今、山っ気たっぷりのひねりやこけおどしが一切ない佐藤純彌の作品群を見直すと、その時としてぶっきらぼうなほどに淡々としたショットの数々を通して、映画と題材に不器用なほど真っ向から相対するアルチザンの貌が見えてくるのである。