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樋口尚文の千夜千本 第105夜「猫は抱くもの」(犬童一心監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(C)2018「猫は抱くもの」製作委員会

猫と人間の残酷で素敵な童話

イスタンブールにおける、たぐいまれな野良猫と人間の共棲関係を追ったドキュメンタリー映画『猫が教えてくれたこと』という作品が評判になっていた。猫に魅入られ続ける私としては、そこに登場する猫の信者と化した市民が愛猫たちを「神の代理人」とまで崇めるさまに「いやそこまでのものでは」と思いつつも、気持ちはよくわかるという感じであった。猫はあれほど巧まざる愛敬があるくせに、決して賢い犬のようには言うことを解してくれない、その「自然物」ぶりが、人々を単なる愛玩以上の思索にいざなうのであろう。

いわばお手元に在る「小さな自然」たる猫によって、人は幸福と不幸についての自問と思索に導かれる。猫好きとして人後に落ちぬ犬童一心監督は、映画版とドラマ版『グーグーだって猫である』の連作によって、猫と人間の共棲を涙なしにはすまない優しさ、繊細さで描いてきた。その世界観の発展形のような『猫は抱くもの』には、映画版『グーグーだって猫である』の愛猫サバが人間になって現れた(大後寿々花が扮した)ように、主人公の沙織(沢尻エリカ)が飼うロシアンブルーの良男(吉沢亮)がごく普通の美青年として劇中を徘徊する。

だが、本作が『グーグーだって猫である』と異なるところは、『グーグー~』があくまで「猫」という名の「自己」と語り合う内省の物語と読めたのに対し、本作では沙織の自問とともに「猫」側の自問(!)も描かれ、「猫界」における吉沢亮の悩みや逡巡にもふれられるのであった。それゆえ本作は等身大の日常をふわりと描いた『グーグー~』とは一線を画してファンタジー色が強く、麗しいミュージカルを披露するキイロ(水曜日のカンパネラのコムアイ)をはじめ個性的な「猫界」のメムバーがシアトリカルに表現される。

シアトリカルというのは単なる喩えではなく、実際の劇場空間を巧みに活かした背景描写が凝っていて(その妙は実際の映画で確認してほしいので詳述しないが)、劇場と実景の往還もごく自在なところがよく、映画全体としてはとてもチャーミングな夢のコラージュのようだった。こうした処理については、生成りの等身大的世界を好む犬童作品としては破格の、ちょっとした冒険とも言えるだろう。ただし、それでいて本作がある切実な感情を持つのは、元アイドルグループの一員という沙織をめぐる酷薄な状況描写のおかげだろう。犬童監督というと映像のナチュラルさも手伝って人物の優しい感情を描き続けている印象が強いが、実はこうした負の感情を見つめる時のまなざしたるや些かサディスティックな域にある。

その非情さあってこそ、本作のファンタジーは夢としてのリアルさを持つのだろうが、そもそも「人間界」と「猫界」が別々に描かれているということからして、人と猫の間に可能な関係を見出すのは難しく、お互いのふれあいは錯覚だと言っているようなものだ。それなのに、悩める沙織が画家の通称ゴッホ(峯田和伸)に出会い、解放されてゆく過程は、猫によってもたらされた賜物と思いたくなってしまう。その愛すべき錯覚によって人は(猫も?)生かされたりするのだ、とこの残酷で素敵な童話は物語る。そして、近年ぐんと演技的魅力を増してきた沢尻エリカを筆頭に、吉沢亮、コムアイ、峯田和伸と主要キャストの全員がとてもいきいきと役を愉しんでいるように見えてよかった。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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