樋口尚文の千夜千本 第64夜「キングコング対ゴジラ〈4K完全版〉」(本多猪四郎監督)

『キングコング対ゴジラ』デジタル修復作業の再現(東京現像所)。

その昔、『ゴジラ』映画はおおらかなファミリー映画であった

2020年公開に向けてレジェンダリー・ピクチャーズとワーナーが組んで『ゴジラVSコング』を製作すると聞いて、今時の観客でもゴジラとキングコングが対戦するのは夢のイベントなのかしらと感慨深かった。1962年8月11日、東宝系のお盆興行に出た『キングコング対ゴジラ』は、キングコングの権利元であるRKOに巨額の版権料を支払った甲斐あって、なんと約1120万人もの観客動員を記録した。実は当時7年間にわたって『ゴジラ』シリーズは作られておらず、そこへもって来て新作は初のカラーワイド作品であるうえに、まさかのキングコングとの対決というビッグアイディアも加わって、抜群の興行力を発揮したのであった。

そんな半世紀以上前の娯楽作『キングコング対ゴジラ』の4Kデジタルリマスターによる「修復完全版」の試写を、その作業に注力した東京現像所の試写で観た。この作品は、再々映にあたる1970年3月の”東宝チャンピオンまつり”枠での公開時に、(今では信じがたいことだが)大元のネガを一部カットした「短縮版」が上映された。当時の邦画の興行不振を受けて、予算をかけずに東宝特撮映画の旧作の「短縮版」をこしらえ、人気テレビアニメのブローアップ版と抱き合わせで公開するという苦肉の策が”東宝チャンピオンまつり”だった訳だが、そんなオトナの事情を知らない子どもの私たちにとっては、製作費が潤沢だった時代の『ゴジラ』シリーズや東宝特撮の傑作にありつける貴重な機会であった。また、この「短縮版」は初公開時97分の作品を本多猪四郎監督の監修のもと74分にまで大胆にカットしているので、どこか朴訥とした編集のオリジナル版よりテンポも快調で締まっていたという好意的な声も少なくない。

そういう意味でこの経費削減のための旧作リバイバルには大いに意義もあったのだが、ただしその「短縮版」をこしらえるうえで(今では信じがたいことだが)オリジナルネガにハサミを入れていたというのはまずかった。あまつさえこの『キングコング対ゴジラ』のように大メジャーな作品ですらその切ったネガのありかが不明になっていたというのだから隔世の感ありだ。こうした扱われ方は、今のようにソフト化に放映に配信にと作品が何次もの活用にあずかる時代と違って、映画が一期一会の興行の儚い消耗品に過ぎなかったことを映しているだろう。

さて、そんなごく荒っぽい扱いを受けていた『キングコング対ゴジラ』だが、このたび日本映画専門チャンネルの企画のもと東京現像所のスタッフによって欠落部分が補完され、さらに全篇を4Kデータ化、繊細なグレーディングとレストアを経て「修復完全版」として再生することとなった。物見高い私としては、いったいどういうものになっているのか早々に拝ませて貰ったが、これはもう「新作」を観るような鮮やかさであった。私が本作をスクリーンで観たのは、くだんの70年大阪万博が開幕してちょうど一週間後に封切られた”東宝チャンピオンまつり”の折だったが、あまりに気に入って終日観ていたせいか(往年の映画館には一日じゅういられたものだ)いくつもの細部をよくよく覚えていて、今回は初見時の薄れぬ記憶そのままの鮮やかさに再会できて嬉しかった。

その鮮やかさは色彩にとどまらず、俳優の演技から物語のテンポ、映像や編集のタッチ全体に行き渡っており、あたかも公開初日のきれいなプリントで観るかのような今回のバージョンは、そういった東宝映画の洒脱で軽快で都会的なDNAをいきいきと再生させている。そんな一方で、本作では開巻早々に製薬会社が提供するテレビ番組のスタジオ収録が描写され、作品全体を通して番組の視聴率(劇中では聴取率と呼ばれているが)をどう稼ぐかというのが物語の軸になっていて、それはまだ「電気紙芝居」と呼ばれていたテレビを映画界からシニカルに眺めた戯画のようでもあるが、同時にそのテレビ業界の胡乱な活気を無視できないムードというのもよく表れている。本作は『ゴジラ』映画で初のシネマスコープ作品でもある訳だが、その画面のワイド化もテレビの台頭への対抗策であった。本作ははしなくもそういう当時の映画業界の立ち位置をさまざまに反映しているのであった。

1960年代のチョコレートのCMの人気コピーに”大きいことはいいことだ”というのがあったけれども、TOHO SCOPEのワイド画面に、ゴジラとキングコングというデカい人気者のドリーム・マッチが展開するという発想は、いかにも東京五輪前夜の右肩上がりの高度成長期にはぴったりの企画であった訳で、その勢いは当時の観客の気分にも大いに訴求したことだろう。そういえば、新進のテレビ業界に加えて本作では画期的なワイヤーロープを題材にして製鋼業界の前途洋々たる感じも描かれていて、とにかく夢のある時代の雰囲気がそこかしこに弾けている。

だが、この時代ならではの活気のたちこめる内容の魅力に加えて、出来たての「新作」を彷彿とさせるかたちで本作に再会して印象深かったのは、身上とする軽快洒脱なポップさが、当時の他の東宝映画と地続きに見えたことだ。ちなみに本作が公開された1962年は「社長」シリーズが人気たけなわで、新たな「若大将」シリーズの二、三作めや大人気シリーズとなる「クレージー」映画の第一作『ニッポン無責任時代』も作られたという年なのだが、『キングコング対ゴジラ』は子ども向けの怪獣映画というよりもこういう東宝のお家芸であるコメディ映画や青春映画を観ているようであり、要は大人から子どもまでを射程に入れた鷹揚なファミリー映画なのであった。

そこで思い出したのは昨年(2015年)に文化庁主催で開催されたシンポジウム”怪獣からKAIJUへ”で、平成『ゴジラ』シリーズの担い手であった富山省吾プロデューサー、大森一樹監督、金子修介監督が「『ゴジラ』映画の最大の強みであり魅力であったのは、ファミリー映画であったことだ」という点で見解が一致していたことで、それはゴジラは寅さんのような娯楽映画の太い軸で、その器のおおらかさゆえにさまざまな設定やストーリーを転がしていけるのだ、という趣旨であったが、『キングコング対ゴジラ』はまさにそのお手本のような作品だったと言えるだろう。

しかし今や映画の大劇場はなくなり、シネコンとして小分けされ、果ては各自がタブレット端末で個別に配信映画を観ているような時代に、このおおらかさはもはや成立しないのだろうか。観客の趣味嗜好に合わせて映画もタコツボ化し、どんどんニッチな設定や表現を深めてゆくばかりだが、『キングコング対ゴジラ』は本作に限らない往年の大衆映画の、汎世代的な娯楽としての明朗さ、おおらかさを思い出させて、いたく甘美な懐かしさをそそるのであった。映画は時代の変遷とともに、どんどんニッチで、ある意味作品ごとの観客を選ぶ指向性を尖らせてきたが、それがいつしか込み入った独り言のようなガラパゴス映画を生んでいはしまいか。稀代のヒット作『キングコング対ゴジラ』の間口の広い鷹揚さに育てられた世代が作る新作『シン・ゴジラ』は、娯楽映画としてはたしてどんな構えを目指すのか、刮目して待ちたい。