樋口尚文の千夜千本 第20夜「さよなら歌舞伎町」(廣木隆一監督)

東京フィルメックス上映時の舞台挨拶(撮影=樋口尚文)。

映画を最も面白くするのは「人間」だ

まず何より染谷将太と前田敦子は、今最も私が気になる演技者である。自作のことで恐縮だが、私の監督作『インターミッション』には染谷将太さんを主役として36人のスターが出演しているが、とあるアクシデントでちょうど染谷さんが同時期に撮影に入るメジャー映画会社の大作のスケジュールが大胆にずれてしまい、もうこちらの撮影スケジュールはかたまりつつあったので、これはもう染谷さんを諦めるしかないのでは、という難局が訪れたことがあった。それでも私はどうしても染谷さんに出てほしかったので、なんとその36人のスターのスケジュールを急遽全て組み直して頂いて撮影にこぎつけたことがあった。

その作品での染谷さんには特注の金髪のカツラを細心に制作して、『ベニスに死す』のタッジオことビヨルン・アンドレセンじみたいでたちにした(これは一歩間違うと、今ふうに言えば”寒~い”結果になりかねない試みなのだが、一種独特な魅力の美青年である染谷さんには予想以上に似合って、ファンの皆さんからも未だ大好評である)。要は、もうそこまで惚れこんだ金髪染谷さんの演技を、私はタッジオに惑溺するアッシェンバッハ教授よろしきまなざしで満足に見届けるばかりであったわけである。その後のさまざまな主演作を経て大メジャー作品『寄生獣』の主役を張るに至る染谷さんの活躍はまばゆいばかりだ。

そして忙しいなか、その染谷さん主演の『インターミッション』の試写にふらりとやって来てくれたのが、前田敦子さんであった。その日は脚本家の山田太一さんも見えていて、ご本人たちは気づいていなかったが、私は前田敦子さんと山田太一さんが並んで拙作の試写を観てくださっているさまが何か年齢を超えてものづくりの好奇心に生きているトップランナーの出会いの図に見えて、とても清々しい気持ちになった。そもそも山下敦弘監督『苦役列車』の前田敦子さんのフレッシュな演技にとても好感を持っていた私は映画賞に推させて頂いたりもしたのだが、こうしてご本人に会うとびっくりするくらい親しみやすいのにどこか摩耗を拒むミステリアスな余白がある方で、いっそう惚れなおした次第である。

そんな気になってしかたがないお二人にいつか自分の映画で共演して頂きたいというのが不肖監督の私の夢であったのだが、『さよなら歌舞伎町』であっさりと先を越されてしまった。いったいどんな事になっているのかそわそわしていた私は、蜷川幸雄さん演出の「太陽2068」で初舞台を踏んだ前田さんを訪ねた折に「染谷さんとの共演はどんな感じでした?」と問うと「本当に周りに独特な空気がたちこめる方なので、そこに巻き込まれるのが楽しみでした」という答えが返ってきた。はてさて『さよなら歌舞伎町』はどんな仕上がりになっているのか。くだんのようないきさつから、染谷=前田コンビの起用を追い越されて地団太踏んでいる私なのだから、もしもつまらん映画になっていようものなら誰より容赦しないところである。

ところが、そんな迷惑なバイアスがかかった論客の私をもってしても、『さよなら歌舞伎町』は本当に愉しみどころ満載の情感豊かな映画なのであった。ファンの誤解をあらかじめ封ずるために言っておけば、これは確かに染谷=前田コンビが軸をなす作品ではあるが、彼らが出ずっぱりの主演作というわけではなく、ロバート・アルトマンばりの群像劇なのである。そして且つ、染谷=前田コンビの出番が思いのほか多くはないことにも何ら不満はない賑やかな面白さを横溢させている。舞台は染谷将太が店長を任されている歌舞伎町のラブホテルで、そこに集う人びと全員がある意味主役のようなものである。

ホテルの清掃のおばちゃん(南果歩)は悲しい事件を起こしたまま潜伏して時効を目前に控える男(松重豊)をかくまっている。ホテルで少女たちを落として風俗に売り飛ばすスカウトマン(忍成修吾)は標的の家出少女(我妻三輪子)の虚心さゆえに心が揺らぐ。貧しい韓国人の同棲カップルの彼女(イ・ウン)はホテルでこっそり風俗のアルバイトをし、彼(ロイ)も日本人の人妻に遊ばれて小遣いを貰っている。幸福な家庭がありながら不倫に走る刑事のカップル(河井青葉、宮崎吐夢)は、清掃のおばちゃんに職業的カンが働く。そして、お台場の立派なホテルに勤めていると嘘をつきながら青年(染谷将太)が働いているそのラブホに、ミュージシャンとしてのデビューを望んでいる彼女(前田敦子)が音楽プロデューサーとの”枕営業”のためにやって来る・・・。

主演の染谷=前田コンビに対して、脚本と監督が荒井晴彦=廣木隆一の大ベテランコンビという掛け算がいたく奏功している作品である。人物たちの感情の機微がまずはばらばらのシーンで描かれ、言わば彼らが秘めたる顔のほうでラブホに集うことで、やがて意外なる接点が芽生えてゆく。キャスティングもただ人気者や有名どころをほどよく配分したメジャー映画会社のやり方ではなく、あくまで脚本の要請する役柄に似合う才能だけが召集されており、そのことがこの物語を上々に肉体化している。ナイーブ過ぎて弱っちい青年を染谷将太が、ピュアなのに若さゆえの突っ張りがすれ違いを生む少女を前田敦子が、まずは印象的に演じてみせるのだが、忍成修吾もあいかわらずいい味を出しているし、河井青葉も意外なるコメディ・リリーフで笑わせてくれる。おやと思う客演はキム・ギドク監督『メビウス』でも妻と愛人をひとりで演じるという難役に捨て身で取り組んでいたイ・ウヌで、彼女の強靭で意志的な表情と豊満だがどこかくたびれた肢体の醸す雰囲気は常に素晴らしい。そして最大の儲け役は、清掃のおばちゃんを嬉々と演ずる南果歩で、彼女が愛してやまない逃亡犯の松重豊との睦まじいさまや終盤の痛快まるかじりなぶっ飛ばしぶりは大変爽快だった。

こういうしっかりした設定と展開を、スタッフとキャストが(おそらくは短期間の慌ただしい現場であろうが)愉しみながら演じて、各々の課せられた人間像をいきいきと創意をこめながら組み上げてゆく。これがどんな大スター競演より派手なVFXより映画を面白くするのだよなあと、再認識させられる愛すべき作品であった。