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関西弁の上方落語家が三島に移住した理由。笑福亭羽光の他力本願人生とは

樋口かおる編集・ライター・デザイナー・駄菓子屋
笑福亭羽光。三島落語会第45回にて。筆者撮影

「明日は《失われたキンタマ》をやります」と壇上から聞こえると、客席の温度が上がるのがわかった。2日間に渡って開催された三島落語会第45回の1日目。三島落語会とは、落語家・笑福亭羽光がプロデュースする地域落語会だ。三島市を拠点とし、定席がない静岡県東部で気軽に落語を楽しめる場を提供している。

筆者は羽光の妻であり、三島落語会の席亭も務めている。ライターとして過去に羽光にインタビューをしているが、三島移住については触れていない。なぜなら、三島は筆者の地元であり「自分勝手に家族の住む場所を決めてしまったのではないか」と負い目を感じていたからである。

今回はあえて「三島に引っ越したことをどう思っているのか」を聞いてみた。

震災後に三島に移住「落語家を続けられないかも…」

2012年、羽光は妻の実家がある三島市へ移住した。前年に二ツ目(前座の次の階級)に昇進したが、明るい気持ちにはならなかったという。「辛い前座修行から解放される二ツ目に昇進すると、ふつうはみな喜ぶ。でも僕は、寄席で同期と働く前座の仕事が好きやったから。遅れてきた青春みたいで」と羽光は語る。

「子どもを三島で育てたい。仕事がある時だけ上京すればいいじゃん」と言われて驚いたものの、強く反対できる自信はなかった。子どもを育てるにはお金がかかる。実家に住めば家賃が浮くという算段もあった。「震災の後、東京の寄席には自粛ムードが漂い、自分も笑いを届けることに意味があるのか分からなくなった。東京三島間は交通便利とはいえ、東京の人にとって三島は遠い。師匠方にはいい加減なヤツだと思われるだろう。正直、落語家を続けることはできないかもしれないと思っていた」と羽光。オンライン落語会もなく、現在のように二拠点生活が話題になることも少なかった頃のことだ。

東京から離れ、大須で人生の面白さに気づく

三島から東京に通う生活をはじめたが、落語の仕事は毎日あるわけではない。仕事がない日は家で練習をして夕飯の買い出しに行くが、それだけで一日が終わってしまう。「スーパーの椅子に座って落語の練習をしていると、同期の落語家が売れたニュースが、遠い世界の出来事のように聞こえてくる」。自分は何もしていないのでないか、このまま落語とも離れてしまうのではないかと不安になった。

そんな羽光の気持ちを変えたのは、名古屋・大須演芸場。改修前の今にも崩れそうな劇場に、快楽亭ブラック師匠らと泊まり込み、連日高座に上がった。お客さんが一人しかいない日もある。気が向いたら銭湯に行く。毎朝モーニングをおごってくれるおっちゃんとも仲良くなった。「江戸時代の落語に描かれるような、のんきな世界があった。ふつうの人々の生活に面白さがあると知って、同期が売れていくこともあんまり気にならんようになった」と羽光。

三島落語会をスタート。落語を広める手ごたえ

三島落語会第45回の会場となったみしま未来研究所。幼稚園を改修したスペースだ。筆者撮影
三島落語会第45回の会場となったみしま未来研究所。幼稚園を改修したスペースだ。筆者撮影

「せっかく三島に住んでいるのだから、ここで何かをやろう」と三島落語会をスタート。「妻は地元出身なのに友達が少なくツテがない。でも、落語は座布団と手ぬぐいがあればどこでもできる。一軒ずつ飛び込んで落語ができる場所を探した」と振り返る。三島駅には新幹線が止まるため、東京に通勤する人も多い。人口も10万人を超えて都会的なところもあり、他人に干渉し過ぎることもない。それでも玄関に届けられたタケノコはよくある風景で、移住者からは「三島の人はやさしい」と聞くことも。急にやってきた関西弁の落語家に対しても、親身になって相談に乗ってくれる人が多かったという。

「するってえと」の江戸弁のイメージが強い落語だが、羽光は関西弁による上方落語。落語になじみがない人びとを前に「落語には江戸落語と上方落語がある」「江戸時代から大正時代につくられた古典落語と、今現在もつくられている新作落語がある」ことから説明した。小学生に「何言ってるのか全然わからない!」と言われたこともあるが、「落語がはじまっちゃう!」と駆けつけてくれる子どももいる。「落語という文化を広めることに手ごたえを感じている」と羽光は言う。

長く続けられることを考えていなかったので、最初の内は回数も気にしていなかった。お客さんに「回数をつけたほうがいいよ」と言われて数えはじめ、気づけば45回目を迎えた。集大成として三島市民文化会館でホール落語を開催、ゲストは師匠である笑福亭鶴光。「三島でがんばってるんやな」と認めてもらうことができた。師匠による羽光の紹介は「羽光は嫁と子を三島のあばら家に住まわせている」が定番。会場のお客さんも、妻と息子も笑った。(多くの人が冗談だととらえているが、実際あばら家に近い)

三島市制80周年・文化会館開館30周年記念 笑福亭羽光 真打昇進披露公演にて。筆者撮影
三島市制80周年・文化会館開館30周年記念 笑福亭羽光 真打昇進披露公演にて。筆者撮影

偶然で決まる事にも、意味がある

自分の意思ではなく突然よく知らない土地に移住させられたことを、羽光は後悔しているのだろうか。

「外部の圧力がなかったら、僕は東京にも出ていかず、今も大阪におったはず。実家にいて雨露がしのげればよかった。でも、親の再婚で僕にとって居心地が悪くなったから、お笑いのメンバーといっしょに上京できた」と羽光。

「親の再婚」「妻の希望」で居住地を変えてきたが、「こうしていたら」とクヨクヨしたり人生の責任を人に求めたりすることはないという。「震災後に岩手の教会を訪問した時、《与えられる試練には意味がある》と聞いた。自分だけでできないことは他人の意見を聞いたり、助けてもらうことで新たな道が開けることもある。思い描いていたのとは違うルートになったとしても、その道やそこで出会う人にはきっとなんらかの意味があるのだろうと考えている」と語る。

気に入らなくてもその場所で我慢しろではない。自分の意思は大事だが、めぐりあわせの意味を考え、生かす道を考えることも大事だということ。東京で創作や表現活動をしたい若手には上京をすすめることもあるそうだ。

三島落語会の楽屋風景。左から昔昔亭A太郎、笑福亭羽光。筆者撮影
三島落語会の楽屋風景。左から昔昔亭A太郎、笑福亭羽光。筆者撮影

先日行われた三島落語会のゲストは昔昔亭A太郎。二ツ目時代には「成金」(二ツ目の講談師・落語家から成る期間限定ユニット)でともに活動し、東京で居場所がなくなった時は部屋をシェアしてくれた落語家だ。『失われたキンタマ』は、故・三遊亭円丈師匠の作品。「小説や映画を参考にして新作落語をつくりなさい」とアドバイスをくれた新作落語の恩師である。その思いが伝わり、三島落語会では「キンタマ」の言葉に会場が湧きたった。何もないところから机を舞台にして三島落語会をつくり、「キンタマ」だけで落語への思いを共有できるような空間を生み出すことができたのだ。それはとてもあたたかい瞬間だった。

未来は一つではない。様々なできごとや人との関わりから分岐し、形づくられていくのだろう。

笑福亭羽光/落語家

2007年笑福亭鶴光に入門。2020年『ペラペラ王国』にてNHK新人落語大賞受賞。2021年真打昇進。

公式サイト

三島熱海落語会

公式サイト

編集・ライター・デザイナー・駄菓子屋

静岡県出身。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務後独立し、静岡にUターンしました。フリーランスで編集・デザインをしながらだがしやさんもやっています。

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