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ひな祭りにちらしずしとひなあられを食べる理由、知ってる? 食文化研究家が解説

畑中三応子食文化研究家/料理編集者
ひな祭りに食べたい色鮮やかなちらしずし(写真:イメージマート)

 3月3日はひな祭り。「桃の節句」ともいい、「雛の節句」「上巳(じょうし)の節句」と呼ぶこともあります。

 ひな祭りのごちそうといえば、ちらしずしとハマグリの吸い物がお決まり。欠かすことのできない甘い物が「白酒」「菱餅」「ひなあられ」の3点セットです。

 どうしてこの5つが定番になったかを探るのに、まずひな祭りの源流を知っておきたいと思います。

そもそもの由来は「神仙の果実」にあった

 古代の中国では3月はじめの巳の日(十二支の6番目の巳に当たる日)に川のほとりで体を清め、桃の酒を飲んで邪気をはらう風習がありました。

 桃の酒を飲むのは、桃の香気には魔除けの呪力があり、実は食べると三千年も長生きできる神仙の果実と考えられていたため。やがて野草の汁を入れた餅状のものも、邪気をはらう食べ物に加わりました。

 3月3日に固定されたこの風習は古代日本に伝わり、「曲水(ごくすい)の宴」と呼ばれて奈良・平安時代の宮中や貴族の館でさかんに催されました。その日に水辺に集い、流水に盃を浮かべ、その盃が自分の前を通り過ぎる前に和歌を詠むという優雅な行事だったといいます。

 野草の汁を入れた餅状のものは、草餅として庶民にも広まりました。当初、野草は春の七草のひとつ、ゴギョウの名前でおなじみの「母子草(ハハコグサ)」が使われました。

草餅のルーツは古代中国の邪気ばらいの食べ物
草餅のルーツは古代中国の邪気ばらいの食べ物写真:イメージマート

「嫁に行けなくなる」は後付けの言い伝え

 一方、平安時代の貴族の子女のあいだでは、人形に着物を着せたり調度を飾ったりして遊ぶ「雛(ひいな)遊び」が行われていました。人形はもともと人の身代わりの「人形(ひとがた)」でもあり、幼児の災厄をはらう魔除けの呪物とされて、紙で作った人形で体を撫でて穢(けが)れを移し、川や海に流す風習も生まれました。

 ひな人形が豪華になるにつれ流す習慣はすたれ、かわりに立春を過ぎた頃から飾り、片づけをするという行為で、穢れをはらったとみなすように。ひな祭りが終わったらすぐに人形を片づけないと「嫁に行けなくなる・行くのが遅くなる」という言い伝えは、近代の後付けだといえます。

「ひな祭り」がいまの形になったのは江戸時代

 いつしか別々の風習が合わさって、3月3日にひな人形を飾るようになったのは室町時代以降。江戸時代になると急速に女児中心の行事になり、現在のようなひな祭りが成立しました。その背景には、幕府が五節句(1月7日=人日、3月3日=上巳、5月5日=端午、7月7日=七夕、9月9日=重陽)を定め、端午が男性的な節句としての性格を強めたのに呼応して、上巳は女性色を強めていったことがあります。

 「雛祭り」という言葉が文献に見られるのは江戸中期の18世紀になってから。ひな人形は幕府の大奥を中心に豪華絢爛になっていき、各地の大名に取り入れられ、さらに町人にも普及しました。

 明治に入ると、新政府は五節句を廃止したため、ひな祭りは衰退するかと思われましたが、逆に農村部にまで広まり、全国的な行事として定着。第2次大戦前までの日本では乳幼児死亡率が非常に高かったので、女の子の成長を祈り、祝う行事としての意味は、いまでは考えられないほど大きかったのです。

競うように豪華になっていったひな人形
競うように豪華になっていったひな人形写真:イメージマート

お供えの食べ物には古代の痕跡が色濃く残っている

 こうして生まれてから約400年と、思ったより歴史の古くないひな祭りですが、ひな人形にお供えする食べ物は古代の痕跡を色濃く残しています。

 白酒のルーツはいちばん古く、古代中国で邪気をはらうために飲んだ桃の酒。旧暦の3月3日は新暦の4月上旬、ちょうど桃の花が咲く頃です。日本でも平安時代に病気除けで桃の花を浮かべた酒を飲む風習ができ、室町時代には上巳に飲む白酒が「桃花酒」と呼ばれるようになりました。

 この白酒はどぶろくのような濁り酒だったかもしれません。現在の白酒は、清酒、焼酎、みりんなどに蒸したもち米と米こうじを入れ、発酵させてすりつぶした酒で、白く濁って粘りがあり、甘いのが特徴。アルコール分は9%前後、糖質が45%程度含まれ、酒税法ではリキュール類に分類されます。

桃の花と深い関わりのある白酒
桃の花と深い関わりのある白酒写真:イメージマート

江戸で大ブームを巻き起こした「豊島屋の白酒」

 現在のものに近い白酒は江戸初期、すでに京都で造られていましたが、ひな祭りに飲む風習を江戸の地ではやらせたのは、慶長年間(1596年)創業でいまも営業を続ける東京最古の酒舗「豊島屋本店」。ある夜、創業者の初代十右衛門の夢枕に紙のひな人形が立ち、「もち米と米こうじを味醂に仕込んで石臼で挽く」という白酒の作り方を教え、その通りに造ったところ、とてもおいしい白酒ができたと言い伝えられています。

 すこぶる美味と江戸中の評判になり、ひな祭りが江戸庶民の生活に定着するにつれて、豊島屋の白酒は熱狂的なブームを引き起こします。売り出し日は夜明け前から長蛇の列ができ、入口と出口を分けて店内を一方通行にしたり、店の前でお金を券に換えて店内では現金のやりとりをせず販売をスムーズにしたり。櫓(やぐら)を設けて医者と鳶(とび)の人を待機させ、けが人、病人が出たら鳶の人が櫓の上に引き上げて応急処置することもあったそうです。

 男尊女卑が強かった江戸時代、女性が大手をふってお酒を飲めるのはひな祭りの白酒だけ。だからそんなに売れたのかもしれません。現在も豊島屋本店では昔ながらの石臼挽きで丁寧に造り続けており、江戸の味を楽しむことができます。ただし、アルコール度7%のれっきとした酒なので、お子さんにはノンアルコールの甘酒を。

菱餅の3色にはそれぞれ意味がある
菱餅の3色にはそれぞれ意味がある写真:イメージマート

草餅が進化して菱餅ができた

 菱餅は、母子草で作った草餅の進化形です。いつしかもっと芳香が強くて色も濃いヨモギに変わり、3色を組み合わせるようになったのは江戸時代。上からピンクは桃の色で魔除けや病気除け、白は清浄、緑は邪気をはらう力を表します。また菱形は竜に生けにえにされた少女を菱の実で救ったというインド仏典の説話にちなむとも、心臓や女性器の形を模したともいわれます。

砂糖でコーティングした関東風ひなあられ
砂糖でコーティングした関東風ひなあられ写真:イメージマート

いろんな色と味のある関西風ひなあられ
いろんな色と味のある関西風ひなあられ写真:イメージマート

ひなあられは関東と関西で違いがある

 ひなあられの3色にも菱餅と同じ意味があり、その昔、野外で食べられるよう乾いた菱餅を砕いて持って行ったことがはじまり。今日では、米をはぜさせたポン菓子に砂糖でコーティングする関東風、直径1センチ程度のあられにいろいろな味と色づけをし、醤油と塩味も混じる関西風の2種類に大別できます。いずれにせよ、3色のお菓子を食べて子どもが自然からエネルギーをもらって、健やかに育ってほしいという親の願いがこめられています。

海の幸をたっぷり入れたいちらしずし
海の幸をたっぷり入れたいちらしずし写真:イメージマート

ハマグリの持ち味をもっとも楽しめる吸い物
ハマグリの持ち味をもっとも楽しめる吸い物写真:イメージマート

潮干狩りのハイシーズンだった旧暦3月3日

 江戸時代、人形を飾るのは裕福な家庭だけで庶民は海辺に出て磯遊びをし、弁当で季節の味を楽しみました。ごちそうに魚介入りのちらしずしが選ばれたのはその名残り。ひな祭りは春の訪れを祝う行事でもあるのです。

 ハマグリがよく使われるのは、同じ貝でないと左右の貝殻が組み合わさらないことから夫婦和合の象徴とされ、女児が将来、幸せな結婚をするためといわれます。

 しかし、これはこじつけかもしれません。旧暦3月3日は1年で海岸でもっとも大きく潮が引く日のひとつで、この時期は潮干狩りに最高のシーズン。たくさん採れるハマグリがひな料理の膳を飾ったのは、ごく自然な流れだったのではないでしょうか。

 ジェンダーレスやジェンダーフリーが目標とされる今日、性別や年齢にこだわらず、ひな料理を食べて「ハレ」の気分にひたり、白酒、菱餅、ひなあられで邪気をはらえば、アマビエに負けないコロナ退散祈願になるかもしれません。ひな祭りの次にはお花見が待っています。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

食文化研究家/料理編集者

『シェフ・シリーズ』と『暮しの設計』(ともに中央公論社)の編集長をつとめるなど、プロ向きから超初心者向きまで約300冊の料理書を手がけ、流行食を中心に近現代の食文化を研究・執筆。第3回「食生活ジャーナリスト大賞」ジャーナリズム部門大賞受賞。著書に『熱狂と欲望のヘルシーフード−「体にいいもの」にハマる日本人』(ウェッジ)、『ファッションフード、あります。−はやりの食べ物クロニクル』(ちくま文庫)、『〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史』『カリスマフード−肉・乳・米と日本人』(ともに春秋社)などがある。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。

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