舛添都知事の答弁をナレーター目線で見てみる

ついに辞職。選挙費用は50億円もかかるそうだ。

果たしてこれを「民主主義のコスト」として捉えればいいのかどうか疑問であるけれど、

私はナレーターなので政治的なことは専門家にゆずるとする。

さて、2ヶ月に渡って「舛添氏の変化」を多くの人が視てきた。

かつてまだ強気だった頃に比べると「謝る」場合の声は少し低めで小さくなった。当然だ。

もちろん表情、顔つきも変化したけれど、ナレーターとしては「声の表情」に注目する。

「まだ大丈夫」と思っていた頃の「声の表情」は自信たっぷりだ。

4月22日定例記者会見

1分25秒あたりの「遊びにいっているわけではない」との発言は、一段と声が高くなっている。強調したいところだったからだ。

ジャパネットたかたの高田元社長は「高い声」で商品の特徴を強調した。親近感を持って「あなたにお伝えしているんです」という気持ちで、元気に語りかけるやり方だ。バラエティ番組では特に使うべき手法だ。通常はナレーターとしても、この手法を使っている。

しかし「記者会見という場」では、逆に「低めの声でゆったりと語る」方が説得力は増しただろう。今となってはその効果も霧散しただろうが、「信頼に足る政治家」を演出するためにも「低めの声でゆったり」と語るべきだっただろう。

高めの声、強調する言い方で表現された「遊びにいっているわけではないんです」は、感情の吐露、あの場では求められていないものだった。「軽佻浮薄な政治家」というキャラクター設定があったとするなら、まさに「高めの声」が適しているが、そんなキャラを望んだはずはなかろう。

鈴木宗男という政治家がいる。彼はいつも高めの声で元気よく喋る。伝えたいことが溢れている、フットワークが軽い、という印象を与える喋り方ではなかったか。キャラクターに適した表現方法がここでも参考になる。

政治家の街頭演説も総じて高めの声だ。しかし、専門的に言うと、高い声が「上がり切っていない」のだ。

安倍首相は2回目の首相となってプレゼン力を上げられたが、声の高低差が少ない。高低差が少ないということは、表現の幅を狭める。

歌手で言えば1オクターブの音域でしか歌えないということだ。これでは歌える歌の数も限られる。

その時々の状況。置かれている立場。精神状態。それらが声に出る、語りに出る。それらを想像し、理解し、使い分けて我々の仕事は成り立っている。

「声の強弱」がどうしても目立つけれど、「声の高低」に注目頂きたい。それで見方も変わるかもしれない。

プレゼンをすることがあれば是非、意識して頂きたい。強弱だけではなく「高低」を身につけると伝わりやすくなるから。

比較対象として6月10日のものもリンクしておく。

6月10日