G7伊勢志摩サミットが開かれる・・・けれども

さあて。開催後の評価はどうなるのか。ネガティブなものになるのか、ポジティブなものになるのか。いや、中途半端なもので終わるのか。

安倍総理は伊勢志摩サミット公式HPで

「世界経済の成長の鈍化、人命を脅かすテロ、難民の発生、力による一方的な現状変更など、どれも、平和で豊かな暮らしに影響する課題ばかりです。自由、民主主義、法の支配、人権といった基本的価値を共有するG7は、これらの課題に、グローバルな視点で、将来を見据えながら、解決に向けた最も適切な道筋を示さなければなりません」と語りかけている。

さらに、「伊勢志摩でのサミット以外にも、広島での外務大臣会合、仙台での財務大臣会合をはじめ、新潟で農業大臣会合、高松で情報通信大臣会合、北九州でエネルギー大臣会合、倉敷で教育大臣会合、つくばで科学技術大臣会合、富山で環境大臣会合、神戸で保健大臣会合、軽井沢で交通大臣会合、が行われます」ということだ。

各メディアは様々な記事を載せるのだろうし、私としても気にならないことはないが、現実的には「関係ありそうで関係ない世界」であり、

それでも「関係はまあ・・・あるよな」というなんとも複雑な心境なのだ。

政治が劣化しているのか政治家が劣化しているのか、民主主義が脆弱なのか資本主義が行き過ぎたのか金まみれになったからか。欧米主義の歪みがいよいよ限界に来てるのか、思惑が多すぎて絡み合いすぎてもつれまくっているからなのか。

しんどい時代である。

政治家も大変だ。

政治家になろうと思うモチベはいったいどういうものなんだろう?大統領になろうと思うのは「俺がやらなきゃ誰がやる?!」という心境なんだろうか。

そして「セコい知事」は「俺ほどの能力をもった人間」と思い知事になったか。「俺ほどの能力を持った人間」だから、金ごときで失脚すべきではないし、するなんてあり得ない!とは考えてたりして。

政治家を投票で選ぶ。投票は「権利」だと言われている。投票を「責任」としたら、何がどう変化するのだろうか。「投票は責任」としたら、候補者の「責任」も強化されるのだろうか。「納税は責任」としたら「税逃れ」や「税金の無駄使い」は是正されるのだろうか。

民主主義である。

主たる国民には「義務と権利」があるとされてきた。そこに「責任」を入れていくとどうなっていくのだろうか。今回の伊勢志摩サミットの捉え方も変わるのだろうか。

「関係ありそうでなさそうで、でもあるか・・・」なサミットが終われば参院選へ。「責任ある投票行動としての白票・ボイコット」なんて発想は否定されるのかもしれないが、決して無関心ではない多くの有権者が「なんとか、なんとか選んで投票しました」なんて選挙、選ぶのに立候補者の情報が少な過ぎる選挙がまた繰り返されそうだ。

レッテル貼り合戦、ネガティブな言葉の応酬、なんだかよく判らないデモもあるのかな、喧噪をなんとか遠くにおくとして、ステレオタイプのメディア報道とも距離をおくとして。さあて、「主権者たる国民」である私は政治に対してどうアクションしていこうか。

しんどい時代である。伊勢志摩サミットが無事終わりますように。