独身おやじ、親を介護す

知人の男性は今年還暦を迎える。

「友人」というには年上でもあるし、知人としておく。

私がナレーターになってからの付き合いだから、

もう25年以上の知人となる。

ご無沙汰がちだが、Facebookで近況を知る事ができている。

彼は93歳になる母親と暮らしている。

その様子がFacebookの投稿で綴られていた。

そのお母様は「93歳になるまで、決してボケることなく、

今も新聞を隅から隅まで読み、世の諸相に対して物申し、

バカ息子を叱咤激励し続けていた」そうだ。

しかし昨年秋に体調を崩してから、

「母の確固たる精神が、少しずつ老い蝕まれている」

まだ「介護」という段階ではない、「世話」という段階だが、

社会問題となってきている「親の介護問題」、それも

「老老介護問題」からはまだ漏れている、

いわば予備軍のような状況だ。

私の母は90歳で施設に入っている。

痴呆である。「生きているだけ」といっていい状態だ。

16、7年ほど前に父が救急車で運ばれていった夜、

母の痴呆が始まった。

父が救急車で運ばれていったことを認めたくなかったのか、

相当なショックだったのか、現実を認識できなかった。

それから徐々に進行して、私が誰かも判らなくなっていった。

これは結構堪えた。

今は、実家の裏にある施設に入り、兄家族が看てくれている。

父が入院する前辺りから、少しの期間だけ「世話」をした。

私の経験はその程度だ。

「介護」で検索すれば、色んなブログがヒットする。

それぞれの日々を記した内容が「現実」を伝える。

同じような境遇にある人にとっては、勇気づけられもするだろう。

いろんな知恵やヒントを得る事もあるだろう。

ただ、男性のものは少ないようだ。

知人のような「母と息子」というのは、投稿としては珍しいように思う。

実際には、テレビでも取り上げられるくらい、

独身男性が親の面倒をみる数は少ないないはずだが。

母の介護をしている、或はその予備軍の独身男性の役に立つかもしれない、

そんな思いで全文を以下に掲載する。

折に触れ「その後」もお伝えできればと思う。

*** *** *** *** *** *** *** *** 

春である。しかし、そう浮かれてもいられない。

年寄りの世話は、意外に、小さな子供の面倒を見るのと同じなのかもしれない。

相手は、決して論理的でなく、極めて感情的で、かつ繊細だ。

ああ、これでいい、と思っていると、急に具合が悪くなる。

まだ病気になってくれた方がましとは不遜だが、

問題は、いわゆるボケの症状が出た時だ。

同じことを何度も聞いてくる程度は、ご愛嬌なのだが、

やっかいなのが盗難妄想だ。

93歳になる母が、昨年に体調を崩してから出てきた症状で、やっかいなことに、

まんざら彼女の一方的妄想でもないので、余計に困っている。

自宅は、公団の集合住宅なのだが、彼女のたっての希望で、

南向きの庭がある1Fを選んだ。

庭は、背の低いフェンスがあるだけで、外は団地内の通路に開かれている。

ここに越してきて四半世紀、こんなことはなかったのだが、

ここ2、3年、じょうろや鉢など、ちょっとした園芸具が、

無くなったりしたことがある。

当然、腹立たしいことだが、団地のこと、いたずら盛りの子供たちも多いし、

私は、仕様がない程度に思っていた。

しかし、母にとっては、自分の世界が侵されたと怒り心頭で、

自分の積み重ねてきた人生が汚されたのと同じと、悲嘆にくれるのだ。

母にとっては、どんなに些細な禍事も、自らの人生に直結する。

これには、ほとほと難儀した。

しかし、問題はそれからだった。

以後母は、頻繁に、庭にまた誰か入ったと怒り、そのモードに入ると、

取りつく島がない。あげくに、昨日の夜入ってきた、足形が残っている、

今度は植木を引き抜いたなど、どんどんエスカレートしていく。

私が庭を見ても、判別のつかないことを言い立てるのだ。

これはまずいと、ネットを調べてみると、認知症の典型的な症状の1つとある。

だからといって、薬など飲んで治るものでもない。

まわりが話を聞いてやり、じょうずに話をそらしていくしかないそうだ。

不肖の息子にとって何が一番つらいかというと、

93歳になるまで、決してボケることなく、今も新聞を隅から隅まで読み、

世の諸相に対して物申し、バカ息子を叱咤激励し続けていた、

母の確固たる精神が、少しずつ老い蝕まれていることだ。

しかし、それは子であればこその気持ちなのだろう。

昔からの言葉に、童がえりという言葉がある。

今度は自分が親の気持ちになって、母を見守らねばいけないのだが、

妻も娶らず、子も生してない自分が、親の気持ちになることなど、

いかんともで、今日も一日、おたおたと過ごしているばかりだ。

今日は、母が入浴する。まだ一人で入ることができるので、ありがたい。

もっとも私が、5分ごとに声かけるので彼女は鬱陶しがるが。

明日、天気が良く暖かければ、家の前の公園に、

母を連れて桜を見に行こうと思う。

ともかくも、春ではある。