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建物の遮音性能が良くなると騒音トラブルは増加する!  一筋縄ではいかない騒音問題への対処の基本とは

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:アフロ)

騒音という言葉は、いつから使われるようになったのか

 騒音という言葉がいつ出来たかご存じだろうか。過去の著作でも書いているが、騒音という言葉が最初に我が国に登場してきたのは、関東大震災が契機ではないかと考えられる。大正14年の大惨事であるが、その後の国をあげての復興工事なかで、うるさい音、騒がしい物音、という言葉をもっと端的に表す言葉が必要となり、自然発生的に騒音という言葉が生れ、定着してきたものと考えられる。その証拠に、それ以前には騒音という用語は何処にも見当たらない。インターネット検索を用いて、明治時代や大正時代前半の著作物の中に騒音という言葉が使われているかどうかを片っ端から調べてみたが、何処にも騒音という言葉は見つからなかった。その理由は簡単である。明治時代もその前の江戸時代も、例え音が聞こえていてもそれをうるさいと認識することがなかったため、それを意味する言葉も必要なかったのである。そうなった理由も簡単である。日本人はもともと音を遮るものがない環境で暮らしていたためである。

 「住宅は夏を旨とすべし」、「日本の住宅は紙と木でできている」などと言われるように、昔ながらの日本の住宅は極めて開放的で、遮音性のかけらもないような住まいであった。江戸時代の棟割り長屋では隣家との仕切りは、薄い板壁か粗末な土壁であった。両隣だけでなく裏の家も合わせて3方向から生活音や夫婦喧嘩の音が聞こえたが、それが当たり前の生活だった。旅館に泊まれば、襖一枚向こうで宴会騒ぎをする音が聞こえてくるが、それが日常だった世界では騒音苦情など発生しようがなかったのである。

 一方、西洋の住宅は古代から石造りやレンガ造りであり、ローマ時代のインスラと呼ばれる4~6階建ての集合住宅では、壁の厚さが80cmを超すものもあったという。このような建物では隣家の音が聞こえることはなく、遮音の問題は自然と解消されたが、それが当たり前の環境の中で生活してきた西洋では、他人の騒音には大変に厳しくなった。遮音性のない住居で暮らした日本人は騒音に寛容となり、遮音性の高い住居で暮らしてきた西洋人は騒音に厳しくなったのである。全く、皮肉な結果である。現代は、昔と較べて遥かに住居の遮音性能は向上しているが、音の苦情は逆に増加の傾向にある。これは西洋と日本の比較で示される建築物の遮音性能と苦情の関係と同じ構図である。

昭和50年代からの騒音問題の変化

 「建物の遮音性能が良くなると騒音トラブルは増加する!」、逆説的ではあるが、これは紛れもない事実である。建築の音環境に関しては、昭和50年代から遮音等級や遮音基準が作られはじめ、それに併せて遮音性能は向上の一途を辿ってきた。しかし、それと期を一にして、昭和50年代から様々な騒音問題が発生し、名称も騒音トラブルに変化し、増加の一途を辿ってきた。その最も大きな理由は、騒音の主役が変化したことである。それまでの騒音問題は公害騒音が殆どであったが、この時期以降、近隣騒音がその座に取って代わったのである。近隣騒音という言葉が環境白書に始めて登場したのも昭和50年であり、この時はまだ、「いわゆる近隣騒音」と書かれていた。「建物の遮音性能が良くなると騒音トラブルは増加する!」というのは、公害騒音ではなく近隣騒音の大きな特徴なのである。

 偶然の一致なのか、この時に騒音トラブルに関して極めて重大な事件が発生している。昭和49年に発生した有名なピアノ殺人事件である。詳細な内容は既往記事「騒音トラブルで起きた最も悲惨な事件とは? ちなみに、ピアノ殺人事件ではありません」で書いた通りであるが、日本人の騒音意識にエポックメイキングな影響を与えた事件であり、この事件以後、騒音トラブルの怖さを日本人全体が実感することとなった。正に、騒音問題が騒音トラブルに変化した瞬間だと言っても良いかも知れない。

マンション騒音でも同じ傾向が

 マンションでの騒音問題も同様である。一番トラブルが多い上階からの騒音問題、すなわち床衝撃音問題に関しては典型的である。昭和30年に初めて団地が出来た時の床衝撃音性能は、床厚が薄くて上階での生活の様子が手に取るように分かる程度のものであった。当時の団地の標準設計では床厚は12cmと決められていたが、施工の精度は悪く、実際は10cm程度のものもあったという。これは建築学会の適用等級で言えば級外に相当するものであり、今では劣悪と判断される性能であるが、それでも床衝撃音の騒音トラブルは殆ど発生していなかった。棟割り長屋に住む感性を、当時はまだ日本人が持っていたからである。棟割り長屋からマンションへと居住環境が変化するとともに、その住人の感性も現代人の感性に徐々に変化してゆき、結果として苦情が増えてゆくのである。

 この傾向は現在でも同じである。現在のマンションの床厚は30cmを超えるものもあるが、それでも音のトラブルはなくならない。5年に一度実施される国土交通省のマンション総合調査によれば、日本全体のマンションの中で、生活音を巡ってトラブルがあったと答えた割合は38%(複数回答)と、生活音以外の項目を押さえて圧倒的な1位だった。何ともすごい数値であるが、驚くのはそのことではない。トラブルのあったマンションを建設年別でみると、平成27年以後に建てられた最も新しいマンションが50%と一番多く、更に、階数別でみると20階建て以上の高層マンションでの比率が68%と、中低層マンションでの比率を圧倒していた。性能の良い新しいマンションだから騒音の問題はないだろうという考えが、小さな音に対しても苦情を生むのである。

騒音問題のもう一つのターニングポイント

 このような苦情を生む理由には、もう一つの変化が関係している。騒音トラブルの2つ目の大きなターニングポイントとなったのが、1990年代後半(詳しくは1997年、平成9年)である。近隣への苦情件数が急増を始めたのがこの年であり、それまではほぼ横這い状態であったものが、急にトレンドが変化して5年で2倍の増加に転じたのである。この間、公害等の苦情件数の総数は殆ど変化が見られないため、近隣苦情だけが突出した変化を見せたことになる。これと同期して近所付き合いの程度も変化し、殆ど近所付き合いがないという人がやはり平成9年頃から急増し、凡そ30%を占めるまでになった。あまり付き合いがないという人を合わせれば優に50%を超えることとなった。下図をみれば分かるように、これら2つの変化のトレンドは見事なまでに一致している。人間関係の希薄化、地域コミュニティの消滅という社会状況が、近隣騒音トラブルの増加を後押ししたのである。

(橋本典久:「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)より)
(橋本典久:「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)より)

 この年には「キレル」、「ムカツク」という言葉が流行語になり、児童相談所での児童虐待相談対応件数も年間数千件だったものが、平成9年を境に急増して10万件を越える状況となっている。生活総研の定点調査で「いやなこと・腹の立つことを感じている」という答えが急増して70%を大きく超えたのもこの時期であり、子どもの声に対する苦情が際立ってきたのも同時期である。社会全体の大きな変化が、騒音トラブルの量的変化と質的変化の両方をもたらしたと言える。

騒音トラブルの理解と対処は、「煩音」と「半心半技」

 昭和50年代は騒音トラブルに目覚めた時代、平成9年からは騒音トラブルの成長の時代である。この2つのターニングポイントを経て、騒音問題はその質を大きく変えたのである。昭和50年を境として、騒音問題は公害騒音から近隣騒音に変化し、平成9年からは、騒音問題はもはや音量の問題ではなく、人間心理や人間関係の問題に変化したのである。

 この状況を明確に表現するため、「煩音(ハンオン)」という言葉を弊著「近所がうるさい! 騒音トラブルの恐怖」(ベスト新書)の中で初めて使った(平成18年)。「煩音」は筆者の造語であるが、その後に朝日新聞のコラム・天声人語でも紹介され、辞書にも収録されて社会的認知度は高まった。現在の騒音トラブル、特に殺傷事件に繋がるようなトラブルの殆どは煩音問題である。騒音問題と煩音問題ではその対策が根本的に異なることが、この2つの用語を使い分けた大きな理由である。騒音問題の対策は音量を小さくすること、すなわち防音対策であるが、煩音対策とは、誠意ある対応による相手との関係改善である。これを行わずに煩音問題で防音対策をやれば、状況がますます悪化することは、多くの騒音トラブル事例が示している。

 「半心半技」は、騒音問題というのは技術が半分、心理が半分という意味であり、これも筆者の造語である。上記と同様に、防音対策ではなく煩音対策が不可欠である事を示した用語であるが、今では「九心一技」の方が適切ではないかとも考えている。

 「建物の遮音性能が良くなると騒音トラブルは増加する!」というのは、煩音や半心半技と同義語である。騒音トラブルを理解し、争いに巻き込まれないためには、人間の心理、感情、反応を知らなければならない。その最も確実で有効な方法は、騒音トラブルの詳細事例を知ることであり、その趣旨で、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析 -裁判資料に基づく代表的13件の詳細事例集」(Amazon)を出版している。トラブル渦中にある人は、この中の類似事例を是非参考にして頂きたい。トラブルに臨む気持ちが大きく変わることは間違いない。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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