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鉄骨造マンションで起きた悲惨な女子大生殺害事件、鉄筋コンクリート造とは違う上階音性能に要注意

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:イメージマート)

 昨年4月の早朝、大阪府大東市のマンション3階に住む大学4年の女子大生(21)が自宅の部屋で刺し殺される事件が発生した。犯人は、直下の2階に住んでいたビルメンテナンス会社社員の男(48)であり、犯行直後に自宅に戻って自ら部屋に火を付けて急性一酸化中毒で死亡した。3階のベランダには犯人が掛けたと思われる梯子が残されており、それを使って2階から侵入し、犯行後も梯子を使って自室に戻ったと見られた。

計画的で残忍な犯行

 犯行は計画的であり、周到な準備の後に実行された。犯人は、事件の数週間前にインターネット通販で梯子やポリタンクなどを注文し、犯行に用いたバールやドアストッパーも購入していた。事件当日、女子大生宅の玄関扉には外側からドアストッパーが差し込まれて中から開けないように細工がされており、扉の下には接着剤まで塗られていた。犯行現場には、60センチほどの木の棒に包丁をワイヤーで固定した刃物やバールも残されていた。数日前から凶器も手作りし、犯行の日にはこれらを携えて梯子を登って行ったのである。女子大生は頭をバールで殴られて骨折しており、背中や手足には数十カ所もの刺し傷や切り傷があった。死因は太ももの動脈が切られたことによる出血死であった。逃げ惑う相手を執拗に追いかけまわし攻撃したと考えられ、「お母さん助けて」という女性の叫び声が近所に響いたという。

 何が、犯人をここまで残忍極まりない犯行に駆り立てたのか。警察が犯人の親族に聞き取りを行ったところ、「数年前から(犯人は)生活音に敏感になっていた」との証言があった。確かに、犯人の隣の部屋に住んでいた20歳代男性も、夜中に壁をドンドンと叩かれることがあり、恐怖を感じて事件直前に引っ越していた。上階からの騒音に苛立って犯行を引き起こしたことが考えられたが、近隣住民や被害者の友人、犯人の会社関係者などに事情を聞いても、犯人の男と被害者の女子大生の間に直接的な接点は確認できず、結局、犯人が一方的に「被害妄想」を膨らませて犯行に至ったのではないかと考えられた。

 大阪府警は8月に、殺人および現住建造物等放火の罪で容疑者死亡のまま書類送検し、同月、大阪地検は容疑者死亡により不起訴処分とした。結局、明確な動機は不明のまま、事件は終結した。

鉄骨造マンションの上階音性能

 この事件の発生時期には、平塚での近隣男性刺殺事件や東京都台東区の簡易宿泊所での殺人事件、須賀川市の中古車販売店経営者の殺害事件など、騒音トラブルによる殺傷事件が多く発生し、この大東市の事件が特に注目されたわけではなかったが、騒音トラブルの記事を書く中でふと気になったことがあり、改めて調べ直してみた。何が気になったのかといえば、犯行現場のマンションの構造である。もしやと思ったのである。

 新聞報道などを調べると、現場マンションの住所は大東市谷川2丁目となっており、建物前には幹線道路が走っていると書かれていた。グーグルマップでこの地区を調べ、現場マンション玄関の新聞報道写真を参考にストリートビューで調べてゆくと一つの建物が見つかった。瀟洒な雰囲気の5階建てマンションであった。建物名は、グーグルマップから読み取ることができた。

 この建物を見て、やはりと思った。明らかに鉄骨造の建物である。建物名を参考に不動産情報を調べると、やはり構造は鉄骨造と記載されていた。建物の構造には周知の通り4種類ある。木造(W造)、鉄骨造(S造)、鉄筋コンクリート造(RC造)、鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)である。5階建てマンションの場合は、鉄骨造か鉄筋コンクリート造が採用されるのが一般的であるが、それらの上階音に関する性能、すなわち床衝撃音性能については注意すべき点がある。

 鉄骨造と鉄筋コンクリート造を較べると、必ずしも鉄骨造の方が床衝撃音性能が悪いとは言えない。それどころか、同じような平面計画では、逆に鉄筋コンクリート造より性能が良いものも見られる。このような鉄骨構造の床構造は、デッキプレートスラブと呼ばれるものである。鉄骨梁の上に、デッキプレートと呼ばれる鉄板の型枠のようなものを敷き、その上にコンクリートを打設して床を構成するものである。床の厚みにもよるが、鉄板とコンクリートが用いられているため、床構造として十分な剛性を確保できるのである。

鉄骨造ALC床スラブとは

 問題なのは、鉄骨造の床スラブにALC板が用いられている建物である。ALCとは「Autoclaved Lightweight aerated Concrete」の略で、ALC板は工場で成形された軽量気泡コンクリート板である。ALC板はコンクリートの1/4程の密度であり、非常に軽くて水にも浮くが、その分、強度は鉄筋コンクリートよりは遥かに劣る。このALC板を鉄骨梁の上に並べて敷き詰め、固定すれば床が出来上がるのである。 

ALC板
ALC板写真:イメージマート

 ALC板を床構造の材料として用いれば、建物重量が軽くなり杭などへの負担も軽減され、コンクリートを打設するよりも簡単に施工できるため工期の短縮も図れる。特に、幹線道路に面した場所で、敷地に余裕のない建設現場などでは、運び込むだけで施工が可能となるALC板は便利であり、時折、マンションの床構造として使われる場合がある。特に、建物間口が狭く、正面から見て2住戸ほどの幅しかないような細長い建物の場合にはALC板が用いられていることが多い。

 このALC板を用いた床構造は、床衝撃音性能、すなわち上階音の遮断性能が極めて悪い。下表は、以前の記事でも紹介した鉄筋コンクリート造の床スラブの厚みと重量床衝撃音性能の関係を示したものであるが、最低ランクのL-60の建物では、「床衝撃音に配慮して生活しても苦情が発生する可能性が高い」という性能となる。

鉄筋コンクリート造建物の重量床衝撃音性能(筆者作成)
鉄筋コンクリート造建物の重量床衝撃音性能(筆者作成)

 では、鉄骨造ALC床の場合はどうかと言えば、L-60以下、おそらくL-65程度の性能となり、適用等級では級外の性能となる。最近の建物では、厚みのあるALC板を用い、防音フローリングに遮音シートを何層か挟み、天井も防振吊りにするなどの工夫をして重量床衝撃音性能を改善している建物もあるが、古い建物では間違いなく上記程度の性能しかないのが現実である。事件現場となったマンションも、外観はモダンに造られているものの築年数は26年であり、上階音性能に関してはかなり劣悪な性能であったことは間違いない。

 この建物の条件を考えれば、大東市の事件が上階音を原因として発生したことは確実だと思われ、単なる「被害妄想」ではなかったと考えられる。特に、犯人がこのマンションに入居したのが事件の5年前であり、被害者の女子大生の入居は3年前である。それまでは空き室だったすれば、女子学生の入居依頼、上階から音が響きはじめ、それは注意して生活していても苦情が発生する程度のものよりもっと悪いものである。女子学生はサッカー部のマネージャーとして活躍し、友達の来訪も多かったようである。その上階からの音が一旦、耳につき始めれば、日常の生活が苦痛の日々へと姿を変えるのである。

 以前の記事「韓国でのマンション騒音殺人事件は典型的なケース、他国の話とスルーできない訳」で書いたように、騒音事件は、数か月から数年の時間の蓄積の上に発生する。今回の事件も、3年間の鬱屈とした状況の積み重ねが、ある時、心理的な限界を超えて一気に爆発してしまったものと考えられる。

 極めて残忍な事件であったが、原因となった建物の性能や、騒音事件発生までの心理プロセスなど、騒音事件に係る色々な情報が社会に広く認識されていれば、この種の事件は防げたかも知れない。少なくとも「被害妄想」だけで済まされることはなかったといえる。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。我が国での近隣トラブル解決センター設立を目指して活動中。

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