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上階からの騒音問題に関する隠れ劣悪マンションの恐怖

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(筆者撮影、表題とは無関係)

 マンション購入予定の人は必読です。買ってしまった人は読まない方が良いかもしれません。また、建築技術者の方は是非目を通してください。大変重要な内容が含まれているため、業務の役に立つと思います。

 マンションなどで上階から響いてくる音を床衝撃音と呼び、これは殺傷事件や騒音訴訟にもつながりかねない重大な問題です。床衝撃音には軽量床衝撃音と重量床衝撃音があることは既に説明しましたが(記事「上階からの騒音トラブルについての「大きな誤解」、お子さんのいる家庭はご確認を!」)、重要なのはもちろん重量床衝撃音の方です。

上階からの騒音に関する建築性能

 まず、現在のマンションなどの重量床衝撃音の性能は実際にどの程度になっているのか、確認してみたいと思います。性能評価の目安となるように日本建築学会が床衝撃音遮断等級というものを制定しています。この等級というのは、床衝撃音の大きさを表すL等級というものと、その評価を示した適用等級という2つから構成されています。重量床衝撃音に関するそれぞれの値とその意味合いを纏めて下表に示しました。現在のマンション設計では、適用等級が1級、L等級でL-50の性能を確保できることを目標に行われている場合が殆どです。

(著者作成)
(著者作成)

 重量床衝撃音に関する性能は、概ね床構造の厚みで決まります。昭和30年に日本で最初の団地が出来た時は、床の厚みは12cmで設計されていました。ただし、施工の精度も悪かったので、実際には10cm~12cmぐらいだったと言われています。これを表で見ると、性能は3級以下であり、注意をして生活していても苦情が発生する可能性が高い床構造であったと言えます。その後、床の遮音性能は年々向上し、床厚で見れば、昭和50年ぐらいには床厚15cmぐらいが標準となりましたが、これでもまだ2級の性能であり、苦情が発生しやすい建物でした。最近では、新築マンションの床厚は25~30cmぐらいまで厚くなっています。これは、表の性能で見れば特級以上の性能であり、通常の生活で苦情が発生する可能性が低いという程度の性能であるといえます。

 では、このようなマンションでは上階音に関する苦情は本当に発生しなくなったのかといえば、残念ながらそうではありません。確かに新しいマンションや高層マンションの方が物理的な性能は良いのですが、シンクタンクの調査や国土交通省が5年に一度実施している「マンション総合調査」の結果を見ると、何と調査結果はその逆になっており、新しいマンションや高層マンションの方が苦情が多くなっているのです。

隠れ新築劣悪マンションの恐怖

 新しいマンションの方が騒音トラブルが多い理由として、人間関係が希薄になり、他人の音に対する感じ方が厳しくなっていることが挙げられますが、実はその他にも、建物性能自体に係る恐ろしい事実があるのではないかと思っています。

 床の厚みが以前より厚くなっているのですから、何の問題もないどころか、望ましい傾向だと思われることと思います。実際にも、新築マンションのパンフレットなどには、「床の厚みは25cm、優れた床衝撃音遮断性能を確保!」などと謳われています。マンションでは上階からの音でトラブルが発生しやすいことは今ではよく知られていますから、この謳い文句に魅力を感じる人も多いと思いますが、実は、これにはとんでもない落とし穴が隠されている場合があるのです。

 これまであまり知られていないことですが、いや、現在でもあまり知られていないと言った方が適切かもしれませんが、床の厚みが例え25 cm以上であったとしても、重量床衝撃音性能が非常に悪い建物が存在するのです。筆者が最初にこのデーターに遭遇した時は狐につままれたような感覚をもちました。床スラブの厚みが27.5 cmもあるのに、重量床衝撃音の測定データーはL-60近くの性能を示していたのです。今までの常識では考えられないことでした。この床スラブはボイドスラブ(中空スラブ)でしたが、もちろんボイドスラブには何も問題はなく、床衝撃音に関しては寧ろ望ましい床構造です。では、一体何が原因なのかと他を調べると、このデーターだけではなく他にも同様のスラブがあることが分かりました。床スラブの厚みは25cmでしたが、重量床衝撃音の測定結果はL-60を超えているものなどの例が見つかったのです。

 上の表をもう一度ご覧ください。L-60とはどんな性能かと言えば、「床衝撃音に配慮して生活しても苦情が発生する可能性が高い」建物ということであり、子どもが走れば下の階に音がバンバンと響くぐらいの性能だと考えて下さい。もともと、床の厚みが15cmぐらいしかない建物だと住人が分かっている場合には、下の階に過度に音が響かないように気を付けて生活するでしょうし、下の階の人も、こんな建物だから多少の音は仕方がないと思うかもしれません。しかし、床の厚みが25cmもある建物なので苦情は発生しないと考えていた場合には、もし上階から子どもの足音などが響いてくれば、上の住人は何と非常識な奴だと怒りが沸きあがってくるでしょう。上の階の人も下階の住人から苦情を言われれば、床の厚みが25cmもある建物なのに、下の階の奴は何て神経質なんだと嫌悪感さえ感じるかもしれません。重量床衝撃音性能が優れた建物だと思い込んでいるからこそ、その分、相手に対する怒りの感情は激しくなりますし、トラブルの発生も性能の劣る建物よりも多くなるかもしれません。これが、新しいマンションや高層のマンションの方が音のトラブルが多い一つの理由ではないかと考えています。

 ここまで書いてくれば、当然、床の厚みが25cm以上もあるのになぜ性能が悪くなるんだと疑問に思われることでしょう。確かに、「こどもの走り回りなどの重量床衝撃音は、床構造の厚みで決まります」と既に書きましたが、これまでと変わって、これが成立しない建物が出てきたのです。何が変わったかと言えば建物の構造です。これまでの低層や中層のマンションなどの建物は、柱と大梁で建物構造が作られ、柱と大梁に囲まれた部分には各住戸を隔てる鉄筋コンクリートの壁があるというのが一般的な構造です。したがって、床スラブは鉄筋コンクリート壁のついた頑丈な大梁で囲まれ、床に衝撃が加わっても大梁で囲まれた床スラブだけが振動して音を発生させるという機構でした。このような建物では、床の厚みが厚くなるほど振動しにくくなり、床衝撃音の性能はそれに応じてよくなることになります。これが重量床衝撃音に関する大原則です。

 この大原則が適用できない場合がある建物とはどういうものなのか。床スラブが厚くても性能が悪い建物を調べてみると、一つの共通点がありました。それは建築構造が「純ラーメン構造」と呼ばれるものだったのです。ラーメンとはドイツ語で「枠」、「フレーム」という意味ですが、柱と大梁だけで建物が構成されており、大梁の下の鉄筋コンクリート壁がないものが純ラーメン構造です。従来の鉄筋コンクリート壁がある構造もラーメン構造ですが、この場合には骨組が純粋に柱と大梁の枠だけで構成されているため純ラーメン構造と呼ばれるのです。各住戸を隔てる壁は、鉄筋コンクリート造ではなく、石膏ボードを使った軽量な乾式壁と呼ばれるものが用いられます。最近の高層マンションなどでは、間取りの自由度を高めるため、この構造が良く採用されているのです。

 なぜ純ラーメン構造で重量床衝撃音性能が悪くなる場合があるのか。社会的にも重要な内容であるため、研究を重ねてそのメカニズムを究明しました。少し専門的になりますが、その結果を紹介しておきます。純ラーメン構造の床スラブに衝撃が加わると、床スラブが薄い場合には床スラブだけが振動します。しかし、床スラブが厚くなると、大梁下の鉄筋コンクリート壁がないため、床の振動に引きずられて大梁も振動してしまい、その大梁の振動で更に床スラブが大きく振動するという状態となります。これを「床スラブと大梁の連成振動」と呼びますが、これによって床衝撃音性能が大幅に悪くなるのです。その他に、床の固有振動数が46Hz付近になると共振現象が激しくなり性能が低下することも分かりました。通常の床スラブの固有振動数は20Hz前後ですが、純ラーメン構造では個々の床スラブの面積が小さくなる場合があるため、上記のような現象が起こりやすいことが分かったのです。

 もちろん純ラーメン構造の全てで重量床衝撃音性能が悪くなる訳ではありません。一部の純ラーメン構造の建物で、上記のような原因が成立する時に性能が悪くなるのです。特に、このような現象を建築設計者も知らないということが大きな問題なのです。筆者の騒音問題総合研究所では、重量床衝撃音の性能予測ソフトである「拡散度法」というものを一般に無料で提供しており、多くの設計現場で利用されていますが、事前に性能の悪くなる床構造を抽出して対策ができるよう、この拡散度法のソフトを改良した純ラーメン構造対応版(最新版)をやはり無料で提供しています。建築技術者の人は是非利用して頂きたいと思います。上記の性能悪化のメカニズムについては、この拡散度法の利用マニュアルに詳述されています。

 誰も悪い建物を作ろうと思って設計する人はいませんが、情報が不足しているため、床スラブの厚みを25cmや30cmで設計し、「はい、これで大丈夫」と思っている場合があるのです。建物が出来て確認のため重量床衝撃音の現場測定を行うと、予想のL-45やL-50ではなく、L-60という性能が出てきて慌てふためくということになりますが、もう時すでに遅く、後から対策することは殆ど不可能です。そこで、パンフレットでは床の厚みだけの表示にして、L等級については明示しない、こういう状況が結構あるのではないかと危惧しています。マンション購入というのは一生に一度の大イベントです。それなのに、知らないでこんな性能不十分の物件を購入させられる可能性が潜んでいるということは、正に恐怖以外の何物でもありません。マンションの音環境というのは、生活の質(QOL:Quality Of Life)を決定する最も大きな要因と言っても過言ではありません。一旦トラブルに巻き込まれれば、その心理的な負担は計り知れず、生活の質どころか人生さえも損ないかねないのです。

マンション購入時の注意点

 床衝撃音性能に関して、マンション購入時のチェックポイントを整理すると以下の通りです。

 一番大事なことは、重量床衝撃音性能のL等級の値(軽量床衝撃音の等級ではありません)を確認することです。L等級が表示されているということは、現地で測定をして性能を確認しているということですから安心できます。床スラブの厚みの表示だけでは、性能は確定的ではありません。

 L等級が分からない場合は、純ラーメン構造かどうかを確認することです。純ラーメン構造の建物の一部では、厚みが25cm以上でも性能が劣悪な物件が混ざっている場合もありますから、十分にチェックをして下さい。

 新しいマンションなのに上階からの音が良く響く気がする、高層マンションで床の厚みは25cm以上もあるのに静かにしてくれと下の階から苦情を言われた、こんな人は自分のマンションが純ラーメン構造やそれに近い構造ではないかどうか、一度確認されることを是非お薦めします。全ての純ラーメン構造が性能不十分な建物というわけではありませんが、念のために確認しておいた方がよいと思います。もう手遅れかも知れませんが、それでも人間的な対応による解決策は可能なはずですから。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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