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「世界湿地の日」に考える、日本でこの150年に琵琶湖2個分の湿地が消えたこと

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
茂林寺沼(館林市/館林所蔵写真)

消失原因は耕地整理・土地改良、宅地開発や工業団地造成

 2月2日は「世界湿地の日」。1971年の今日、ラムサール条約が締結されたことから、1996年に、「毎年2月2日を『世界湿地の日』とすること」が定められた。

 では、湿地とは何か。ラムサール条約での湿地の定義は広く、湿原、湖沼、河川、干潟、マングローブ林、サンゴ礁、ダム湖、水田などを含む。

 世界的に見ると、湿地は近年、急速に消えている。ラムサール条約ファクトシートには「いくつかの科学的推計によると、1900年以来、世界の湿地の64パーセントが失われた」とされる。

 日本ではどうか。国土地理院の調査によると、明治・大正時代には約2110平方キロメートルあった湿地が、現在では約800平方キロメートルに減ったとされる。消滅した湿地は琵琶湖2つぶんにもなる。

 「関東水流図」(静嘉堂文庫美術館所蔵)などの古い地図を見ると、かつての関東平野には、大小の河川が網目のように広がり、数多くの湿地が存在した。だが、江戸時代の新田開発、明治時代以降の耕地整理・土地改良、戦後の宅地開発や工業団地造成などによって消滅したり、面積を小さくされたりした。

湿地を身近に。「里沼」とは何か

 群馬県館林市の沼は、最近「里沼」と呼ばれるようになった。2019年5月、文化庁から「日本遺産」に認定された(『里沼(SATONUMA)―「祈り」「実り」「守り」の沼が磨き上げた館林の沼辺文化―』)。

 多くの人は「里山」はご存知だろう。居住地近くにあり、人が保全しながら活用してきた森林を「里山」というが、「里沼」はその沼版だ。

ナマズでもわかる日本遺産「里沼」講座 第2回「里沼はなぜ貴重なのか?」

 かつての日本は奥山、里山、都市から構成されていた。1つ目の奥山は、人の居住地から遠く、神聖な場所にある。それに対して居住地近くにあったのが2つ目の里山。ここにあった川は「里川」、沼は「里沼」といえる。これらは里人の共有の資本だ。そして3つ目の都市は、人口が密集することによって成立するが、基礎となるのは経済活動である。里山、里川、里沼から持ち寄られたものを交換し、消費する場所であった。

 では、なぜ里山、里川、里沼は消えてしまったのか。里山を例に考えてみる。

 まず、里山は誰のものかという視点だ。里山の多くは、明治以前は「入会地」として村落共同体によって共有され、自然資源を無償で利用できるのは村の住人に限られていた。しかし、明治維新後は地租改正によって、入会地であった里山の多くが官有地または個人所有となり、共有の資本は「誰か」のものになった。

 次に居住者の変化によって、土地の活用法が変わった。昭和30年代に住宅の需要が増え、都市近郊の不動産価格が上がった。農業で生計を立てる難しさや、後継者不足なども重なり、里山を利用してきた農家が土地を手放した。

 農地が住宅地に変わり、居住者が会社員になると、里山を資本と見なくなる。燃料は薪や炭から化石燃料になり、落ち葉堆肥は化学肥料になり、利用価値が失われた。

 里沼の衰退はもっと早かった。大小の河川が網目のように広がる平野部には、かつては数多くの沼が存在したが、近世以降の河川改修や開発によって姿を消した。

 館林の沼が残った理由はいくつかある。まずは沼が小さかったため、新田開発の際、河川改修が優先されたことだ。河川の付け替えによって広大な耕地を確保した。さらに、沼を保全する強い理由もあった。茂林寺沼は寺領、城沼は藩領で館林城の要害、多々良沼は周辺の村々の水源だった。

多々良沼での漁の様子(館林市所蔵)
多々良沼での漁の様子(館林市所蔵)

 多々良沼は、人々の暮らしを支える生業の場として拓かれてきた。沼からの用水によって潤された田畑は、コメとムギの二毛作が可能となり、江戸時代には館林藩から将軍家へ小麦粉が献上されたように、館林は麦と産地となった。漁労の場としても人々の暮らしを支え、長年培われてきたさまざまな味わいは、貴重なタンパク源となり、もてなしや晴れの日の料理として今も暮らしに根付いている。

湿地は私たちの生活にとって必要不可欠

 湿地はさまざまな生き物にとってなくてはならないものだ。生物多様性の面からも保全していかなくてはならない。

多々良沼(館林)にやってきたコウノトリ(著者撮影)
多々良沼(館林)にやってきたコウノトリ(著者撮影)

 人間にとっての重要さを考えると、まず淡水の供給源である。地下の帯水層に水を補給する役目もある。

 食糧の供給源でもある。市場に出回る魚のほとんどは、一生のうちの一定期間を沿岸の湿地で過ごし、水田で栽培される米は、世界で30億人の主食である。

 汚れた水を浄化する働きもある。湿地にはたくさんの微生物群集がすみ、植物が生えている。これらの生物は水のなかの有機物を分解したり、水のなかの二酸化炭素を吸収し酸素を供給したりする役割を果たす。

 治水能力も高い。湿地は、自然界のスポンジのような働きで降った雨を吸収し、表面に広く水をため、河川の氾濫を抑える。気候変動にともなう豪雨災害に対応するには、ダムや堤防だけなく、流域全体に視野を広げた治水対策が必要になる。

 湿地をきれいにすることは温暖化防止につながる。湿地に十分な酸素がないと生活排水などに含まれる有機物は水底に溜まりヘドロとなります。ヘドロからは温室効果ガスのメタンガスと亜酸化窒素が発生する。メタンガスの温暖化能力(地球温暖化係数=二酸化炭素を基準に他の温室効果ガスの温暖化能力を示した数字)は二酸化炭素の25倍、一酸化二窒素の温暖化能力は二酸化炭素の298倍ある。

 「世界湿地の日」に湿地の役割をいま一度考えてみたい。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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