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「下水道の日」に考える公衆衛生。下水道は都市の危機管理、健康管理を担う

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
東京都内の下水道(著者撮影)

下水道普及の背景にコレラの流行

 9月10日は「下水道の日」。

 旧下水道法が制定されたのが1900年なので、今年は120年の節目でもある。

 下水道の主な役割は、雨水を排除し浸水を防ぐ、汚水を排除し衛生を守ることだが、新型コロナウイルスの対応において、手洗い・うがいのできる水道と、その排水を適切に受け入れ、下水処理をしたうえで安全に川や海に排出する下水道が、ウイルスの蔓延防止に大きく貢献した。

 振り返ってみると、下水道の普及の背景には、ペストやコレラの流行があった。新型コロナ禍のいま、普段は忘れられがちな上下水道と、感染症の関係について考えてみたい。

 コレラはもともとガンジス川流域の風土病だった。コレラ菌に汚染された水や食べ物を口にすることで感染する病気で、激しい下痢や吐き気を引き起こす。悪化すると脱水症状となり、死亡することもある。

 18世紀後半にイギリスで起きた産業革命が、19世紀に入って西ヨーロッパ諸国を巻き込みながら進行すると、大勢の人、大量の物資が国を超えて移動するようになり、コレラはそれらと一緒に世界各地に広がった。

 新型コロナウイルスが人とともに移動、拡散するのと同じである。

 日本で初めてコレラの感染が確認されたのは1822年。「日本の細菌学の父」とされる北里柴三郎が、第6回万国衛生会議(1887年、ウィーンで開催)で「長崎とジャワ島との間を往復する一隻のオランダ船が、この伝染病を最初にわれわれのもとへもたらした」、「コレラはまずそこで発生し、長崎を取り囲む日本の南西部に広がったが、数ヶ月後に日本の内陸部へと到達し、間もなく大流行となった」と発表している。

上下水道の整備が大切

 当時、コレラの発症の原因について2つの説があった。

 「近代衛生学の父」として有名なドイツ人科学者・ペッテンコーファーは、コレラの原因は土地にあると考えた。湿地帯での発生が多いことに着目し、土地の腐敗物質と排泄物が反応し「コレラ瘴気」が生まれると考えた。そこで土壌に汚水が浸透するのを防ぐため、下水道整備を推進し、ドイツでコレラや赤痢などの流行を止めた。

 一方、イギリスの医師・スノーは、犠牲者の住所をマッピングし、同じ水を飲む地域(同じ井戸、同じ給水業者から水を買う)でコレラの発生率が高いことを突き止めた。スノーは「コレラは水によって伝染する」と考え、上水道の整備を訴えた。

 ペッテンコーファーはすでに実績のある科学者であったため「瘴気説」は多くの人々に支持され、スノーの説が認められることはなかった。

 その後、フランスの生化学者、細菌学者・パスツールは感染の原因が細菌であり、加熱により殺菌できることを発見した。また、ドイツの医師、細菌学者・コッホは細菌を識別する顕微鏡を開発し、感染した患者から、コレラ菌を分離することに成功した。

 「瘴気説」のペッテンコーファーと「細菌説」のパスツール、コッホは対立したが、「細菌説」が顕微鏡によって実証されたのに対し、「瘴気説」は理論だけだったので、次第に「細菌説」が支持されていった。

 さらにスノーが上水道の必要性、ペッテンコーファーが下水道の必要性を訴えたため、「上水道と下水道のどちらが必要なのか」という議論も起きたが、地域の水循環を考えると、両方が必要なのは自明だ。コレラは菌を含んだ水の摂取によって引き起こされる。同時に、衛生設備の整わないところでは、細菌が環境中に流れ出し、水源を侵してしまう。上下水道が整うと、コレラは収束に向かった。

東京の衛生施設の不備が感染拡大の原因

 日本では、明治になってもコレラは収束しなかった。1876年頃から都市部を中心にコレラが流行し、全国で1万3710人の患者が出た。

 東京の衛生施設の不備が感染拡大の原因とされ、レンガ積み暗渠の神田下水道が敷設された。

神田下水(著者撮影)
神田下水(著者撮影)

 

 水の流れをよくするために、底にいくほど幅が狭く、卵を逆さにしたような形をしている。神田下水道は、建設から130年以上たった現在でもオフィスビルや飲食店からの排水を流している。

 1900年に旧下水道法が定められ、法施行規則第二条には「市は下水道を築造し、管理する義務を負う」とある。つまり公共事業として下水道をつくり運営することが定められた。しかし、実際に事業を行ったのは全国でわずかに5都市だった。その理由は2つある。1つは上水道整備が優先されて下水道は後回しになったこと。もう1つは、江戸期に屎尿は肥料として農家が引き取っていたが、明治期になってもそれが続いていたのである。従ってそもそも下水道を知らない市民が多かった。

 東京市の下水道整備計画は1908年に事業認可された。その一環として、旧三河島汚水処分場喞筒場施設の建設も動き出した。1914年に着工し、1922年に運転開始した日本初の本格的な下水処理施設だった。

旧三河島汚水処分場喞筒場施設(著者撮影)
旧三河島汚水処分場喞筒場施設(著者撮影)

 現在、三河島水再生センターの一角に旧三河島汚水処分場喞筒場施設がある。2007年、下水道施設としては初めて国の重要文化財に指定された。赤レンガ造りの瀟洒な喞筒室には下水を地下の喞筒井から吸い上げるポンプが10台、現役時代のまま展示されている。

旧三河島汚水処分場の喞筒施設(著者撮影)
旧三河島汚水処分場の喞筒施設(著者撮影)

下水中の新型コロナウイルスの量を把握する

 現在、東京都を始め、政令指定都市ではほぼ概成に近い水準に到達し、時代の変化に伴い、下水道の役割も変化している。

 これまでの役割は、前述のとおり、雨水と雑排水の排除、トイレの水洗化、水質保全だったが、21世紀になって水循環や資源利用の問題があげられた。下水汚泥は、従来は廃棄物として埋立などで処分されていたが、近年は技術の進歩によって、バイオガス、固形燃料、リンを含む肥料として活用できるようになった。

 さらに新型コロナ禍で下水道の新しい可能性も注目されている。下水や下水汚泥に含まれる新型コロナのRNA(リボ核酸)の濃度を調査することで、感染者数の変化を事前に予測できる可能性が示されている。もし予測できれば、当該地域の検査体制や医療体制の整備拡大、感染予防策の強化などができるだろう。

 米国のエール大学では、2020年3月19日から5月1日まで、コネチカット州のニューヘブン下水処理場で、下水汚泥を毎日採取し、新型コロナのRNA濃度と、この地域の感染者数、入院患者数を比較検討した。その結果、下水汚泥中の新型コロナのRNA濃度は、新規の感染陽性者に変動が起きる7日前に、また入院患者数が変動する3日前に増減が見られるなど、相関関係が認められた。

 また、フランスのピューリッツァーセンターが、パリ市の下水を調査したところ、下水中の新型コロナの濃度が高まると、陽性者数が増加することが分かった。

 日本では富山県立大と金沢大のチームが、下水から新型コロナウイルスを検出したと発表した。東京都下水道局でも水再生センターの下水を採取し、冷凍保存することをはじめている。採取した試料をもとに、確実かつ定量的な分析手法の確立や感染拡大の兆候を把握する研究を進めていくことになっている。

 今後のデータ解析が待たれるが、下水道には都市の危機管理、健康管理など、新たな役割を担う可能性がある。

上下水道はあって当たり前ではない

 ただし、課題もある。

 上下水道は敷設から年数が経過し、管路や施設の更新が急務である一方、財源不足から、それが遅々として進んでいない。

 下水道管の総延長は約45万kmあるが、建設後50年を経過した管路の割合は、2013年には約2%だったが、2023年には約9%、2033年には約24%に増加すると見られる(国土交通省「社会資本の老朽化の現状と将来」より)。

 新型コロナの救済策として、水道料金が減免されるケースが広がっているが、それが更新をさらに遅らせるケースもあるだろう。

 Yahoo!ニュース「水道料金の減免相次ぐ。家計はいくら助かるの?電気やガスはなぜ減免しないの?」

 また、今後も治療薬やワクチンもないウイルスの感染爆発が起きる可能性もある。

 上下水道はあって当たり前という認識をあらため、公衆衛生の必要性を考えるべきだろう。

 憲法25条には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が明記され、国に対して、公衆衛生や社会保障の向上などで、国民の生存権を保障するよう義務づけている。

 公衆衛生の最大の目的は社会の健康維持。上下水道のほかに、母子保健、伝染病予防、生活習慣病対策、精神衛生、食品衛生、住居衛生、屎尿塵芥処理、公害対策、労働衛生と多岐にわたる。

 新型コロナは、公衆衛生を支えるしくみや体制が、脆弱になっていることを浮き彫りにした。上下水道に関して言えば、人々の暮らしを支えるインフラの重要性とともに、感染防止を徹底しながらインフラ関連事業を継続できる環境や体制を整える必要がある。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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