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「乃木坂46」からカウンセラーへ…適応障害を乗り越えた中元日芽香の今

長谷川まさ子フリーアナウンサー/芸能リポーター
「カウンセラーは天職」と話す中元さん ※写真(C)文藝春秋社

 2017年に「乃木坂46」を卒業した中元日芽香(なかもと・ひめか)さんが、心理カウンセラーとしてリスタート。なぜセカンドキャリアにカウンセラーを選んだのかを、「ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで」という一冊の本にまとめました。彼女にとってアイドルとは、乃木坂46とはなんだったのか…じっくり話を聞きました。

-アイドルから心理カウンセラーに転身。まったく違うフィールドですが、理由を教えていただけますか?

 実際にカウンセリングを受けて、臨床心理士さんにお世話になったことで、「私もこんなふうに対話することで誰かを支えるような人になりたい」と思い、セカンドキャリアで転身しました。

 これまで人に弱みを見せることをしてこなかったので、そういうことを人に話すべきではないと思ってきたんです。でも、カウンセラーの方って、第三者で、いい意味でちょっと距離がある。私が話をすることで直接仕事に影響を及ぼしたり、心配をかけたりすることにならないんです。なので、そこで話せたことですごくすっきりした自分がいて。「こんなに気持ちが楽になれるんだ」と思えました。それと、私はそれまで頑固で人の話を聞かないようなところがあったのですが、初めて人の言葉がすっと入ってきたんです。

-カウンセリングを受けたということですが、不調を感じたのはいつ頃だったんでしょうか?

 乃木坂46に入ったのが中学3年の夏で、秋ぐらいからちょっと調子が悪かったです。人といるとなんだか体調が悪い感じ。「ちょっとお腹が痛いな」とか「変な汗かくな」とか、時々表れるようになって。それで内科を受診したのですが、受診中は仕事の時とは違って緊張感があるわけではないので症状が表に出なくて。しばらくは「気のせいか」という感じで活動を続けていました。

 その後、冬になったら、摂食障害が始まりました。最初のうちは病的なことだと思わず、「食べ過ぎちゃったなぁ」くらいだったんです。誰しも食べ過ぎちゃうことはあるし、ビジュアルとか健康管理も込みで仕事なので、「撮影に向けてまた痩せなきゃ」くらいだったのですが、嫌なことがあったり、仕事で結果が出なかった時に「食べよう。食べている時は何も考えずにスッキリできるから、また家に帰って食べればいいや」と思うようになって。おいしいと思っていないけど食べるみたいなのが習慣になってしまい、それでまた自己嫌悪に陥るという繰り返しでした。

-周りにSOSは出さなかった?

 隠していましたし、自分でも心理的なストレスが症状として出ていると思っていなかったので。ストレス発散で食べちゃうとか、仕事現場に行くとなんだか体調が悪い…それだけ。自分の中では、それらとメンタルヘルスが結びついていなかったかなと思います。

 それが2016年の年末、乃木坂46の16枚目のシングルの時でした。連続で選抜に入れていただいたのに、この時はもう結構深刻で。現場に行く時間なのに家を出られない。現場に行っても表情が作れない。1人になれる所がないか楽屋をウロウロしたり。明らかに病院に行ったほうがいい状態でした。

 病院に行き、ひと通り症状を話して、医学的にどういう診断名になるのかを聞いたら「適応障害ですね」と言われました。聞いたこともない病名だったものの、説明を聞いて納得がいったし、ちょっと安心しました。“仕事に行きたくない”じゃなくて、“行けない状態”なんだって。もともと、「熱が出ました。でも踊れるから関係ないよね」とか「咳(せき)が出ます。でも、歌っている番組の2分半、パフォーマンスができたら仕事として成立するよね」という感じで、仕事に行かない選択肢はないはずの自分だったんです。それなのに、こういう状況になってしまい、いろんな方に迷惑をかけていたので、それも自分にとってすごくしんどかったです。

写真(C)文藝春秋社
写真(C)文藝春秋社

-“ひめたん”(アイドル時代の中元さんの愛称)でいることの重圧はありましたか?

 どうなんでしょう。“ひめたん”でいる時はいる時で楽しかったですよ。素の自分とは違って、怖いもの知らずで、バラエティー番組でも積極的に話すとか、ちょっとキャラクターをまとっているのも痛快な感じでした。でも、最後の方は、“ひめたん”を装備するエネルギーが残っていなかったみたいな感覚が近いのかなと思います。

-現役時代、一番つらかったことは?

 ファンの方たちが応援してくれたり、気持ちを注いでくれているのに、選抜に選ばれないこと。期待に応えられない自分を情けなく感じてつらかったです。もちろん、期待していただくことやブログにいただくコメントで頑張れたりするのですが、だからこそ、選抜の後に行われる握手会に出たりするのはつらかったです。

 今だったら、「選抜には選ばれなかったけど、アンダーのシングルで頑張ったよね」とか「ブログいっぱい更新したね」とか、そんなふうに自分の中で頑張ったことを見つけてあげられると思うのですが、当時はそうは思えませんでした。誇張ではなく、私が生きていく意味を当時は乃木坂46でしか見出せないと思っていたんだと思います。

-選抜の壁はやはり厳しいですか?

 選抜制度はあっていいものだと思います。選抜入りという目標があるから、「もっと頑張らなきゃ」と熱を持ってグループ活動ができましたし。ただ、私にとってはしんどくて、「どうやったら乗り越えられるんだろう」って。途中からは頑張り方も分からなくなっているのに、それでもまだ憧れも強くあって。「あそこに行けたら、私を応援してくれる人がうれしいだろうな」とか「私自身ももっと活動が楽しくなるだろうな」って。私には選抜の壁は高かったですね。

乃木坂46時代の中元さん 写真(C)乃木坂46LLC
乃木坂46時代の中元さん 写真(C)乃木坂46LLC

-病気はどのように克服されたのですか?

 私の場合、当時と考え方がガラッと変わったと思います。休むことに対してネガティブなイメージがあり、「仕事って全力でやってなんぼでしょ」と、力の抜き方が分からなかったんです。そこからカウンセリングの勉強をするようになって、「医学的にこういう状態のことをこう呼ぶんだ」「これって当時の私じゃないかな」などと学んだり振り返る中で、「しんどい時はしんどいと思っていいし、休んでもいいんだ」と柔軟な考え方になったと思います。

 乃木坂46に対しても、「当時のあそこに立ちたかったのになぁ」と思い出してしんどくなる時期も正直あったのですが、今はライブに行くこともできるようになりました。明確に「この日から治りました」ということではありませんが、「出かける時間なのに家を出られない、そんなこともあったな…」と振り返って、こうしておしゃべりできるくらいになりました。今は大学にも通っていて、楽しんで勉強できていますし、「過剰適応」と呼ばれる子供たちについて学んでいきたいと思っています。

-「ライブで東京ドームから見る景色は忘れられない」とよく聞きますが?

 私はもう(東京ドームのステージには)立てないですね。あそこに立てる人っていうのは、普段からアイドルという職業やファンの方と向き合って、パフォーマンスを研鑽(けんさん)している。そういったものを積み重ねていった人が立てる場所だと思うので。今の私は何かあったらメンバーの相談に乗れたらいいなと考えています。乃木坂46のメンバーでいられたからこそ、カウンセラーとしてお仕事をしていると思っているので、(乃木坂46は)私を構成する大切な一要素、母校みたいな感覚でしょうか。

-今回、本を書こうと思ったきっかけは?

 今、週3回ほどオンラインでカウンセリングをしているのですが、いろいろな方のお悩みを聞く中で、「私もその経験に似た感情を知ってる」ということが多くて。たとえば、「組織の中で頑張っているはずなのに評価されない」とか「学業と部活動の両立がしんどくて」とか。今回、自分の経験を全部書いているんですけど、読んだ方が「この人もこういう経験をしているんだ」と思うことで、少しでも気持ちが楽になったり、カウンセリングのハードルを下げられたらと思いました。

-ご自身のつらい時期を思い出す作業は大変ったのでは?

 パートによってはつらいところもあって、書きながら涙を流すこともありました。ただ、それによって浄化されていくような感じがありました。自分と向き合うのは疲れるし、心揺さぶられることもありましたが、それでもやってよかった作業だと思っています。

-カウンセリングを始めて気付いたことは?

 悩んでいる方って、たくさんいらっしゃるんだなぁと。自分の中で悩みとかモヤモヤした気持ちを抱えて、でも、周りの人に頼るとか話すことをせずに1人で頑張って抱えている方がたくさんいらっしゃるんです。

 乃木坂46を休業した時期もあるのですが、それは友人から「最近、仕事どう?」と聞かれて答えられずに涙してしまったことがきっかけだったんです。今同じことを聞かれたら、「めちゃくちゃ楽しい!」って答えます(笑)。何の迷いもなく、そう言えます。そして休むことの大切さも本当に感じています。

-相談者の言葉で印象に残っているものはありますか?

 「カウンセラーになってくださってありがとうございました」と言われたことです。私自身、自分が一番しんどかった時に、臨床心理士さんに相談して、「この方に相談して本当によかったな」と思いました。あの時の彼女と同じように、お話しした方に対して、いい影響だったり、気付きを与えられたのかなと思えたのと同時に、今の道が間違ってなかったんだなと。カウンセラーになると言った時、「頑張ってね」だけではなく、「その道って大丈夫なの?」「乃木坂46にいた方がいいんじゃないの?」と言われることもありました。それだけに、相談者の言葉によって自分を肯定していただいたような感覚があって、とてもうれしかったです。

-セカンドキャリアに踏み出せない方にメッセージをいただけますか。

 その道(=セカンドキャリア)を選ぶことによって、妥協しなければいけないこと…たとえば、社会でのステータスだったり、年収だったり、一緒に頑張ってきた仲間だったり、何か手放さなきゃいけないことがあるかもしれない。そしてそれが踏み切れない要素だと思うんです。でも、やらなかった後悔って、後になってすごく響いてくる。やってみて「やっぱり違った」と、やらなくて「あの時やっておけばよかった」という気持ちは、後味が全然違うはず。今自分がやりたいことは、人に迷惑をかけないとか、傷つけないことであれば、実現すべく動いた方が自分の人生を生きていると実感できると思います。

 今の仕事はすごくやりがいがあります。アイドルのお仕事をしていましたけど、今はカウンセラーを天職だと思っています。自分で言うのもおこがましいですが、それぐらい向いていると思いたい(笑)。これからはアイドルではなく、心理カウンセラーの中元日芽香と名乗って進んでいきます。

写真(C)文藝春秋社  スタイリスト:梶原浩敬(Stie-lo)
写真(C)文藝春秋社  スタイリスト:梶原浩敬(Stie-lo)

■インタビュー後記

「アイドル時代の苦悩をここまで言葉にしちゃえるんだ」。これが本を読んだ感想でした。でも、それらを表に出すことができるようになったからこそ、日芽香さんのセカンドキャリアは動き出したんですね。答えにくいかなと思う質問も投げかけましたが、「うーん、ちょっと考えますね」と言って向き合い、答えを出してくれました。カウンセリングでは答えの出ないこともあるかもしれない。でも、向き合ってくれることそのものが、相談者の励みになるのだと思います。

■中元日芽香(なかもと・ひめか)

1996年4月13日生まれ。広島県出身。早稲田大学在学中。日本推進カウンセラー協会認定、心理カウンセラー&メンタルトレーナー。2011年から6年間、アイドルグループ「乃木坂46」のメンバーとして活躍後、2017年に卒業。認知行動療法やカウンセリング学を学び、2018年にカウンセリングサロン「モニカと私」を開設。心理カウンセラーとしての活動を始める。6月22日、文藝春秋より「ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで」を上梓した。

フリーアナウンサー/芸能リポーター

群馬県生まれ。大学在学中にTBS緑山塾で学び、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」で7年間アシスタントを務める。ワイドショーリポーター歴はTBS「3時にあいましょう」から30年以上、皇室から事件、芸能まで全てのジャンルをリポートしてきた。現在は芸能を専門とし、フジテレビ「ワイドナショー」、日本テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」ほか、静岡・名古屋・大阪・福岡の番組で芸能情報を伝える。趣味は舞台鑑賞。

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