荻野目洋子、「ダンシング・ヒーロー」再ブレイクは奇跡!

「ダンシング・ヒーロー」で再ブレイクした荻野目洋子

 80年代のバブル絶頂期にヒットした「ダンシング・ヒーロー」(85年発売)が、お笑いタレント・平野ノラや大阪・登美丘高校が使用したことによって、32年の時を経て注目を集め再ブレイクした荻野目洋子さん(49)。激変した生活、家族の反応、ブログを始めたきっかけなど…、赤裸々に語ってくれました!

家族やPTAでも応援してくれる

 こんなふうに再注目してもらえるとは夢にも思わなくて。きょうの午前中も子供のPTAの集まりだったんですけど、「年末忙しかったよね」「体に気を付けてね」とか、みんなで応援してくれています。

 子供たちは今、中学生と小学生。友達から「(『ダンシング・ヒーロー』を)踊って」とか言われるらしいです。子供からは「どうやるの?」とダンスについては聞かれたので、一応「こうだよ」とは教えました。そんな自分に笑いました。

 「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に出た時は、子供たちもリアルに見ている番組なので、「すごいカッコよかったよ」とか言ってくれて、素直にうれしかったです。

 主人(元プロテニス選手で解説者の辻野隆三氏)も、「よかったね」って。テレビなどを見て、夫婦だからこそのシビアな意見も言ってくれるので、助かります。

 彼も自分がテレビでテニスの解説をした時には必ず「どうだった?」と聞いてくるので、私も忙しくても録画などでオンエアをチェックして、「ここはこうだったよ」って言えるようにしているんです。今“お互いさま”なので、すごくバランスが取れてプラスになっています。

 テレビって、出ている人にしか分からないプレッシャーだとか緊張感ってあるじゃないですか。そういうのも含めて夫婦で理解できるので、役立っています。登美丘高校との最後のコラボだった「日本レコード大賞」(TBS系)も、「すごく感動した」と。特に、拍手が鳴りやまなかったシーンに、「アスリートみたいだね」って。試合とかでも、よくそういう場面があるんですよね、生で見ているからこその拍手っていうのが。だから、すごくうれしかったです。

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忙しくてもストレスではない 

 おかげさまで、昨年からいろんなお仕事をさせていただいていますが、忙しさの種類が若い頃とは違うな、というのが実感としてあります。10代の頃の忙しさは「仕事でスケジュールが真っ黒」という感じでしたけど、今は“家庭+仕事”なので「家に帰っても休めない」という忙しさです。

 でも、本当にありがたいことですし、こんなこと(再ブレイク)は奇跡だと思っているので、仕事のオファーをいただくたびに家族に相談して、「これはできるかな?」「この日はみんなスケジュールどうなってる?」って感じで、家族会議をしています。

 忙しい毎日ですが全然ストレスではなくて、昔よりも充実している感じです。家庭は、自分の「愛」から始まっているじゃないですか。だから、そこは当たり前の空間ですし。

 私は結婚して子供を授かった時、4年間まったく仕事を休んでいた時期があるんです。なので、自分がまさか歌の世界に戻ってこられると思っていなかった。事務所に結婚報告に行った時も、「もうこれは引退と同じくらい、そのくらいこの業界は厳しいものだから」と社長に言われて。だから、覚悟を持って結婚という道を選んで悔いなく歩んできたので、私生活で充実していたんです。

 ですが、デビュー25周年の時に(所属レコード会社の)ビクターさんから「CDリリースしませんか?」っていうお話をいただき、また歌ってもいいんだな~って背中を押されて、自然に再開して。ニーズがあっての今なので、これほどありがたいことはないです。偉そうに聞こえるかもしれませんが、自分の使命というか、これこそが職業なのかなって。だから、続けられるうちは続けていきたい。職人さんみたいですよね。商売にならなかったら閉じていくしかないし…っていう、そういう感覚なんです。

「やっと会えたね!」

 私は、フォローしている平野ノラさんのツイッターで、登美丘高校のダンスを知ったんです。動画に「すごい!」って思って、私もすぐリツイートしてコメントを書いて。

 あんな振り付け、あの発想…。なかなかできないですよね。akaneコーチの手腕、すごいなって思いました。誰も想像できなかったようなスピード感・振り付けのセンス・衣装…、全部のプロデュースが素晴らしかったです。

 登美丘高校のみんなとは“何か一緒にできたらいいね”って感じだったんですけど、あちらは学校ですし、こっちも家庭があるしみたいな感じで、実現までにちょっと時間がかかったんです。

 でも、初めて会えた時は(昨年10月31日放送のNHK「うたコン」)、NHKのリハーサル室であいさつして、向こうは緊張していたらしいんですけど、お互いに「やっと会えたね!」って感じで、最初から気持ちは一つになっていたと思います。

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ネットのパワーを実感

 自分の中で「ダンシング・ヒーロー」がすごいことになっていると感じたのは、(NHK「うたコン」で)初めて登美丘高校とコラボした時ですね。この時の反響がとにかく大きくて、皆さんが注目してくれているのを肌で感じました。

 そして、とにかくネットです。登美丘高校のダンスが広まったのもネットが大きかったと思うんですけど。私の存在なんてまったく知らない世代の方からSNSにコメントが来たり、うれしかったです。若い頃に活躍していた当時は、ネットがなかったので、ライブとかをやらない限り、ファンや一般の方からの声を聴くことはなかったし。

 今、私はツイッターとブログをやっています。ツイッターはまだ1年ちょっとですが、ブログは10年くらい続けていて、子育てでまったく芸能活動していない時期からやっているんです。

 始めたきっかけは…、ファンの方の中には、私が人生の通過点として“結婚”を選んだことを残念に思っている人もいるわけじゃないですか。せっかく応援してくださっていたのに。だから、そういう人たちに、「私は元気にしていますよ」とか、何か発信しなくちゃいけないのでは、と思ったんです。

 あと、私自身が子育てなどでつまずいた時に、子育てママの先輩のブログを読むと、すごくホッとしたりする部分が大きかったので、そういう気持ちもありました。

 今、フォロワーも若い方が増えました。娘と同年代の方からコメントもらうと、うれしいです。

ヒットを2回も経験できた

 突然の再ブレイクですが、全然困っていないです。こんな運の強さはどこからやって来るんだろうと、それくらいありえないことだと思っています。

 ヒットするって大変なことなんですよね。それを、私は2回も経験できた。主婦になった40代の元アイドルが注目されるって、なかなかないこと。それが、ネガティブじゃなく、ポジティブなトピックスとして皆さんに受け入れられて。

 「登美丘高校のおかげだろ」とか「平野ノラさんのおかげだろ」とかっていう意見もいただくんですけど、「もちろんそうです」(笑)。マイペースに再活動は始めていましたが、ここまでブームになるとは思っていなかったです。

 若い頃は、とにかく歌が上手くなりたいとか、もっと人気が出るにはどうしたらいいのかなとか、自分のことばかり考えていました。でも、年齢を重ねて母ともなった今は、「この歌をテレビで歌った時に、人々はどんな風に感じてくれるんだろう?」とか、「疲れた人が元気になってくれたらいいな」とか、歌う視点が違ってきて。これはとても意義のあることなんじゃないかなって。だからこそ毎回、ちゃんと元気な姿でお届けしたいと思います。

自分の仕事を見せられるからこそ…

 歌の仕事は、大きいようで身近なもの。子供を産んだばかりの頃は、家で子守歌を歌っていたし、赤ちゃんにも必要なものだし、いくつになってもライブとか行くと感動するし楽しいじゃないですか。心を開放してくれるものが音楽だと思っているから、できるだけ自分の幅を狭めないでやっていこうと。

 PTAをやっているから学校でも歌っていきたいし、テレビだけじゃなく公民館とかに歌いに行くとか、ライブに行けないような人のところにも届けたいなと。ただ、家庭を犠牲にするつもりはないので、できる範囲で自分のライフワークにしていけたら。

 子供たちも、理解してくれると思うんです。親の仕事って、普通は見ることができないじゃないですか。でも、私の仕事は見ることができるので、自然に尊敬してくれたらいいなって(笑)。そして、尊敬される大人に自分もなれたら。

 

 この間、音楽ユニット「チャラン・ポ・ランタン」さんのライブに次女と行ったんですけど、すごく喜んでいました。一緒に写真も撮らせてもらったり。「どう?マミーのこと尊敬した?」って言ったら、「うん」って(笑)。

 子供たちは、今のところ芸能界には興味ないみたいですね。でも、分からないですよね。将来、急に「やりたい」って言うかもしれないし。そこは本人の気持ちを尊重しています。

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音楽があれば一生続けられる

 登美丘高校の皆さんは、本当にすごいです。きょうもたまたま家を出てくる時に見たんですけど、ヒュー・ジャックマンの映画(「グレイテスト・ショーマン」、2月16日公開)とコラボしていて、快進撃が続いているなって。3年生は卒業してしまいますが、先輩が残していったことはものすごく大きかったと思うんです。これからも、ピュアで情熱的な部活動をずっと続けていってほしいなと。

 私も、可能な限り歌って踊っていきます。一生踊るのは大変ですが(笑)、音楽があれば一生続けていけるのかなっていう気はしています。

(撮影:KOZOクリエイターズ)

【インタビュー後記】荻野目洋子さんはアイドル全盛期を駆け抜けてきた方なのに、いい意味ですごく普通の感覚や常識をお持ちだなって思いました。だから、妻であり母である時は、ごく普通にPTA活動などもこなされているのかな、と。でも、一旦マイクを持ったら、アイドル時代と変わらない歌声とキレッキレのダンスを踊る“荻野目ちゃん”に変身できちゃうのが、スゴイところ。実は、私もカラオケでずっと「ダンシング・ヒーロー」を歌ってきたのですが、今年はちょっとダンスの完コピに挑戦したいと考えてます。この再ブームでそう思ったおばちゃんは私だけではないのでは…(笑)

■荻野目洋子

1968年12月10日生まれ、千葉県出身。小学4年生でちびっこ歌番組に数回、出演。その後スカウトされ、5年生でグループ「ミルク」を結成し、レコードをリリース。中学2年の終わりに歌手になることを本格的に決意。中学3年から歌手としての準備、さらに、オーディションで受かったアニメ「みゆき」の声優の仕事を始める。堀越高校1年の春、歌手としてデビュー。17歳の秋にリリースした7枚目のシングル「ダンシング・ヒーロー」で初のベストテン入り。その他に代表曲は「六本木純情派」や「コーヒー・ルンバ」など。夫は元プロテニス・プレーヤーの辻野隆三氏。3人の子供を育てるママでもある。