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マスメディアはなぜワクチンへの不安を煽るのか 安直な「中立性」の陥穽

原田隆之筑波大学教授
(写真:hiroyuki_nakai/イメージマート)

ワクチン不安を煽るマスメディア

 最近のマスコミ報道を見ていると、ワクチンへの不安を煽ることが増えているように見える。かつて、コロナへの不安を煽っていたマスメディアは、今やはワクチン不安を煽ることにその姿勢が引き継がれているかのようだ。

 私自身もつい最近、こんな経験をした。

 私は、今年4月にワクチン忌避に関する調査を行い、その結果を5月にヤフーニュースで公開した。調査では、20代や30代の若い世代にワクチン接種をためらう傾向が有意に高いこと、それはワクチンへの不安と関連があることなどが明らかになった。そして、その結果をもとに、どうすれば若い世代に正確な情報を伝え、ワクチンへの不安を小さくすることができるのかの提言を行った。

 ワクチン接種が順次若い世代へと拡大されていくなかで、この2-3週間、この調査結果を紹介したいというテレビや新聞の取材が増加した。それはありがたいことなのだが、一方で調査結果が私の意図と反して使われることが相次いだ。

 たとえば、6月20日放送の「Abema的ニュースショー」では、若者のワクチン不安を紹介するコーナーで、私の調査を紹介していただいた。しかし、番組を観た私は、その後の展開に唖然とした。

 MCを務める千原ジュニアさんは冒頭で、「副作用、言葉がちょっときついイメージがあるから、ちょっとやわらかい今まで誰も使ってなかった副反応にしとこうってね。なんか変な力働いてないって、若い子はどっかで感じてんじゃないかな」と口火を切った。そして、その場にいたゲストも口々に「私は打ちたくない派ですね。逆に打って、死ぬんじゃないかって思っちゃう」「特に女の子の場合って、不妊とかっていう噂もあるじゃないですか」などという意見を述べた。

 彼の「副反応」という用語に関する理解は初歩的な誤りがあるし、「死ぬ」「不妊」という噂に基づくショッキングな発言に対しても、専門家によるフォローや科学的情報の提供はまったくないままだった。こうして、出演者が口々に不安を述べ、それに頷き合ったままコーナーが終わった。

 結局、私の調査は、「データを見ても若い世代でこんなにワクチンの不安が高まっている。みんな不安だよね」というように、ワクチン不安を煽るような使い方をされてしまったのだ。

別の番組でも

 その後も別のテレビ局から、データを使いたいという依頼があったが、こういうことがあって慎重になった私は、担当ディレクターから番組の意図や方向性を伺い、その結果、データの提供をお断りすることになった。

 ディレクターは、「番組は事実を中立的に伝える」と繰り返し述べていた。しかし、これまでのメディアの論調は「事実を伝えている」とも「中立的」だとも言い難いものがある。

 冒頭で述べたように、メディアの最近の傾向として、「ワクチン接種をしたくない人」に過度に寄り添い、「ワクチンを打たない権利」を強調しすぎている。これは中立でも何でもなく、明らかに一方に与した主張である。

 そして、「中立であるべき」という自身の信念に固執しすぎた挙句、科学的エビデンスを軽視しているのでは、逆に自身の信念や価値観によって偏向した態度となってしまっているのだが、そのことに気づいていない。

 ディレクターとの話し合いのなかで、私は「今のメディアの姿勢は、中立と言えるものではない。そもそもワクチン不安を煽るほうに偏っている。人々のワクチンへの不安が強いのならば、それを単に紹介するだけでなく、不安を少しでも和らげ、安心してワクチン接種をできるような情報発信をすべきだ」と述べた。すると、相手方は「番組としてワクチンを推奨はできない」と述べた。これが決定的な差だった。

 「マスメディアはワクチンを推奨できない」という言葉に私は息を飲んだ。「ワクチンを接種すべき」というのは、イデオロギーではない。政治的主張や意見を紹介するのであれば、そこでは中立性が要求されるだろう。しかし、現下の危機を乗り越えるために、そしてわれわれ一人ひとりが自分の健康を守るための切り札として、国やWHOなどの公的機関が科学的知見に基づいてワクチンを推奨しているとき、メディアとしてそれを推奨できないというのは、安易な「中立性」に毒されすぎている。

新聞の社説でも

 「河北新報」にも私はデータを提供したのだが、その前日の6月22日付けの紙面で、「ワクチン接種と差別/打たない自由 認める社会に」と題する社説が掲載されていたた。じっくり読むと、その主張に賛同できるところはたくさんある。

 たとえば、誰かがワクチンを接種しないことを決めたからといって、それに基づく差別があってはならないと述べられている。これは当然のことだ。

 しかし、「中立的な」両論併記が続いた後、ワクチンを打ちたくない人々に寄り添い、それをことさら「打たない自由」という、一見「正義の言葉」で主張することには大きな疑問を感じる。

 社説自体でも述べられているように、「打たない選択」をした人のなかには、漠然とした不安や非科学的な情報に影響された人が少なからず存在する。それを「打たない自由」として放置しておくことは、先の「Abema的ニュースショー」と同じように、やはり無責任な態度だと言わざるを得ない。それは一見「正義」に見えて、正義ではない。

 また、「打てない人」と「打ちたくない人」を一緒にして論じているのも乱暴だ。アレルギーや重篤な疾患などによって「打てない人」は、そもそも接種をするか否かの選択の機会すら与えられていないに等しい。このような人々を守るためには、周囲の人々や社会の多くの人々が接種をして、いわゆるコクーン効果や集団免疫を期待するしかない。

 さらに、社説では「ワクチン・ハラスメント」にも言及し、ワクチンを打ちたくない看護学生や医学生が実習を受けさせてもらえなかったというエピソードを紹介し、それを差別だと批判している。

 しかし、職場での差別と職業倫理や職業上のルールに基づく指導を混同している点も粗雑な主張である。

 個人の判断は尊重されるべきだが、医療現場で働く者が、患者や自身を感染症から守る防御策たるワクチンを拒否するのであれば、感染や重症化に脆弱な患者と接するべきではないのは当然のことである。それは差別ではない。医療従事者として、職業上の倫理であり、ルールである。不当な差別やハラスメントは許されるべきではないが、仕事上のルールや倫理に基づく判断とそれを混同してはならないだろう。

「接種する権利」は守られているか

 ほかにも、さまざまなメディアで、ワクチンに不安を抱く若者の声が紹介されている。しかし、それらのほとんどは、漠然とした不安であったり、YouTubeやTwitterなどが情報源であることが、報道を見るとよくわかる。

 多くの場合、やはり「中立性」が前面に出て、こうした意見がそのまま掲載されている。しかし、国やWHOなどが科学的エビデンスに基づいて接種を推奨し、他方が情報源もあいまいな噂話に基づいて接種を拒否しているとき、その2つの態度に「中立」であろうとすること自体が間違っている。

 なぜならば、後者は、不確かな情報やデマによって影響を受け、自らの健康を守る手段をみすみす放棄してしまうというリスクの高い決断に陥っている可能性があるからだ。

 そして、メディアがやっていることは、「不安に寄り添う」「打たない権利を守る」という表面的な「正義の言葉」を書き連ねることで、実際は彼らの「ワクチンを打つ権利」、ひいては健康的に生きる権利を奪っているに等しい行為だ。

 また、「不安に寄り添う」などと称して、それをただ垂れ流すことに何の意味があるのだろうか。不安というものは感染する。影響力の大きなメディアで、まさに不安という病の感染拡大を後押ししているようなものだ。

 このとき、それを見聞きした同じ不安を持っている者同士が共感し合い、よりその気持ちを強めていくという「エコーチェンバー現象」が起きてしまう危険がある。その結果、最初は漠然とした不安だったものが、確固たるワクチン忌避へとつながってしまいかねない。

 おそらくメディアの人々は、ある種の使命感をもって、こうした報道をしているのだろう。それは、弱い者や少数者に寄り添って、その権利を守らなければならないという信念である。

 自己決定権を奪うような強制はするべきではないし、過度なパターナリズムも問題である。しかし、このような複雑で自己決定が困難な科学的問題に関して、自己決定の名の下に「放置」したり、科学よりもイデオロギーや信念を重視したりすることは、同じように問題がある。

 メディアが行うべき報道は、安直な「中立論」で表面的な権利に寄り添うことなどではない。不安を抱えている人々に、真に中立的、すなわち科学的な情報を伝えるとともに、デマを否定し、彼らが安心して決断ができるように、エビデンスに導かれた決断(Evidece-Informed decision)を支援することだ。

河野大臣の発信

 河野太郎ワクチン担当大臣は、6月24日、その公式サイトで「ワクチンデマについて」と題し、SNSなどで流布しているデマを明確に否定した。そこで取り上げられている「デマ」は、ワクチンによる死亡や不妊など、上述したようなものが多く含まれている。

 河野大臣の発言は、広がるワクチンデマと、それに人々の接種行動が悪影響を受けることへの危機感があったからこそであろう。

 また、河野大臣の発信は、若手の医師たちによる「こびナビ」の監修によるものだと記されている。つまり、科学的エビデンスに基づく情報だということである。このような態度こそが、真に価値中立的な態度というものだろう。そして、そこには専門家と科学に対する信頼と尊敬の念が込められている。

 不確かなデマや断片的な情報に影響されて「ワクチンを打たない」という選択をした人に対し、安易な「中立性」と「ワクチンを打たない権利」で擁護することと、科学的根拠を挙げて誤りがあればそれを明確に否定すること、このどちらが人々と社会を守る誠実な行動なのだろうか。

 未知のワクチンに対して不安を持つのは当たり前の心理である。その不安を丁寧に傾聴しながら、冷静な決断ができるように支援をすることが今後ますます求められる。

 そのとき、専門家や医療従事者の側も、不安に駆られた人々を軽視したり、頭ごなしに否定するような態度、いわゆる「エビデンスで殴る」ような態度に出ることはないようにお願いしたい。これこそがハラスメントである。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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