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ワクチンをめぐるデマの危険性 なぜ人はデマにはまるのか

原田隆之筑波大学教授
(写真:アフロ)

ワクチンに関するデマ

 新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が、急速なスピードで進んでいる。国や自治体による接種に加え、会社や大学などでの職域接種もスタートした。医療従事者や高齢者に次いで、若年層への接種が広がっていくなかで、ワクチンへのデマも広がりを見せている。

 特に、SNSやYouTubeなど、若い世代がアクセスするメディアを使ってデマが広がっているのが特徴である。デマのなかには、「ワクチンを打った人の体に金属が貼り付いた」「5Gに接続できるようになった」などという取るに足らないようなものもあれば、「接種すると遺伝子が書き換えられる」「不妊になる」など、いたずらに不安を煽るようなものも見らる。

 このような不安を煽るデマが、医療関係者や著名人、政治家などから発せられていることも少なくなく、それは影響力という点から大きな問題である。

 ワクチンが不妊をもたらす可能性が極めて低いことは、多くの専門家が科学的エビデンスを基に強調している。そして、河野太郎規制改革担当大臣も、国民に向けてその旨を発信している。

デマではないという詭弁

 一方、「ワクチンの長期的副反応はわかっていないのだから、遺伝子が書き換えられたり、不妊になったりすることのリスクはゼロではない。したがってデマだと決めつけるのはおかしい」と反論する人もいる。

 それならば、「ワクチンを打ったら、10年後には空が飛べるようになる」と言ったとしても、「長期的なことはわからないからその可能性はある、デマではない」と言えるのだろうか。

 専門家は、理論的に見て、また動物を対象とした試験の結果などから、不妊のリスクが極めて低いと述べているのである。科学において「ゼロ」はありえない。科学的思考は、確率に基づくものである。ゼロではないからリスクがあるとして、現実的ではないリスクをことさらに煽ることは詭弁以外の何ものでもない。

 確率という意味では、コロナに罹って長期的な副作用に苦しむことのほうが、ワクチン接種の副反応よりも、リスクが高いことも専門家が指摘しているとおりである。

デマを語る自由はあるのか

 デマを批判された人は、言論の自由を盾に反論する。もちろん、言論の自由は憲法で保障された基本的人権であることは間違いない。

 しかし、ヘイトスピーチや誹謗中傷が許されないように、言論の自由は無制限ではない。ヘイトスピーチや誹謗中傷は、個人や集団の尊厳を貶め、社会的にも害をなすものであるから許容されないわけだが、デマについても同じことが言える。

 特に、公衆衛生の危機のさなかにある今、ことさら人々の不安を掻き立て、ワクチン接種を妨害するようなデマは、社会の敵であると言っても過言ではない。

 ここで重要なことは、何がデマかそうでないかという線引きである。国や社会にとって都合の悪い発言だからという理由で「デマ」だと決めつけ、その発言を封じ込めてはならないことは今更言うまでもない。

 また、荒唐無稽だからということも、デマだと決めつける理由にはならない。人間の思考力など高が知れているもので、常識的に正しいと信じられていたことが間違いであったり、荒唐無稽だと思われていたことが正しかったりしたことは枚挙に暇がない。大昔の人からすると、地球が丸い、人間はサルから進化したなどということは、荒唐無稽なデマだと思われるだろう。

 だとすれば重要なことは、科学を拠り所として、科学的エビデンスに基づいた判断をすることだ。長期的なデータがないとしても、現時点のデータを集め、理論的観点からも演繹して、現時点で「より確からしい」結論を導くことは可能である。

 一方、デマに根拠はない。それは不安や印象など、主観的で頼りにならないものから発生するものである。これまでもデマが社会問題になったときのことを思い出してみるとよい。地震や大雨などの自然災害、戦争、犯罪、恐慌、そして疫病。このように社会不安が蔓延しているときには、デマがその不安に付け込むようにして発生する。

デマはなぜ危険か

 デンマークの心理学者ペーターセンは、進化心理学的観点から、人はデマによって煽動されないようにするための心理的な防衛メカニズムを有していると述べている。われわれは、デマを耳にすると「怪しいな」「気を付けないと」と感じ、心のなかにアラームが鳴る。これがそうした防衛メカニズムである。

 一方、そのアラームが働かない人々がいる。それは、元々不安が高い人々、そして社会的に分断された人々である。つまり、ペーターセンによれば、デマによって社会が分断されるのではなく、元々社会的に分断された人々の心のなかにデマが入り込み、一層分断を促進するのだということになる。デマの危険性は、まさにここにある。

 今、われわれの社会に存在する分断とは何だろうか?例えば政権に不満を抱く人々、政府の感染症対策に不満や不安を抱いている人々などは、政治的な主張とからめて反ワクチンデマを流す傾向にある。

 また、政治的にはさしたる主張はなくても、社会から疎外され、不満や不安を抱いていた人々が、SNSやYouTubeで見聞きした情報を鵜呑みにして、「自分は政府に騙されていた」「世の中の誤った情報に騙されていた」などと、ある日突然「目覚めて」しまうこともよく見られる現象である。

 そして、「目覚めた」人々は、自分を騙し、虐げていた社会に反旗を翻すかのように、自分たちの狭い世界での情報こそが真実であると信じて、さらに分断を深めていく。そうなると、もはや何を言っても無駄である。彼らにとっては、科学よりも自分を目覚めさせてくれた「教義」のほうが大事なのだ。

デマを見過ごしてはならない

 反ワクチンデマを見ていると、最初の頃は一部の「目覚めた」人たちの間の現象であるように見えた。そして、一昔前ならば、それはボヤのように消えてゆき、社会的なインパクトはそれほど大きくはなかったと思われる。

 しかし、SNSやYouTubeなど、新しいパーソナルなメディアが台頭した今、ボヤでは済まなくなる危険性をはらんでいる。特に、悪意をもった煽動者が人々の不安と分断に付け込むとき、そしてその「信者」たちが、狭量な正義感から暴走を始めてしまうとき、その危険性を過小評価してはいけない。

 つい先日も、子どもにワクチン接種を拡大した自治体に対して、接種をやめるようにと脅迫のような電話が相次いだということがあった。

 また、デマに対するアラームを有している人々も、不確実性が大きい事態に直面したとき、デマがボディブローのように影響を及ぼすことがある。まさにワクチン接種という事態がそれにあたる。これまでの研究で、新しいワクチンほど人々に不安を喚起させるということがわかっている。そうした不安のなかで、頭ではデマだとわかっていても、感情的にはその影響を受けてしまう。

 私自身の調査(「コロナのワクチン忌避、20代に多い傾向 「接種したくない人」の心理とは」)でも、20代は約半数がワクチン接種すべきかどうか迷っているいることがわかった。また、副反応への不安が強い人、政府への信頼感が低い人なども、ワクチン接種を迷ったり忌避したりする傾向があることもわかった。こうした人々が、接種の決断をするのかどうか、それは今後の正しい情報発信にかかっている。

 これ以上、根拠のないデマに惑わされないように、われわれはデマとそれに基づく言動に目を光らせる必要がある。そして、正しい科学的エビデンスを武器に、断固としてデマと闘う姿勢をもつことが大切だ。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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