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「ひがみ」に向かう日本の文化?「怒り」に変わる日は来るのか

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
第87回アカデミー賞授賞式でスピーチするジョン・レジェンドとコモン(写真:REX FEATURES/アフロ)

現在、公開中の映画『グローリー―明日への行進―』を見てきた。原題は題材となった事件が起きた地名を取って『Selma』なのだが、日本でこのタイトルになったのは、アカデミー賞で主題歌「Glory」が 歌曲賞を受賞したことが大きいだろう。感動的な受賞パフォーマンスに満ちていた「怒り」。そしてそのベースにあるのは、おそらく「正義」。ではここ日本では……? (授賞式直後に書いたものを転載します)

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現地時間で2月22日、米カリフォルニア州ハリウッドで行われた第87回アカデミー賞の歌曲賞は、映画『Selma(原題)』の主題歌「Glory」だった。映画は、1965年3月、前年の公民権法によって実施された黒人の有権者登録への妨害に抗議し、アラバマ州セルマでキング牧師の指導のもと行われたデモ行進が、白人知事率いる警官隊の暴力によって鎮圧された「血の日曜日事件」を題材にしたものである。

コモンとジョン・レジェンドによるパフォーマンスの映像を見たが、当時の活動家たちの映像をバックに、デモ行進を舞台上に再現した迫力ある演出のもと、魂のこもったパフォーマンスが終わると、場内のほぼ全員がスタンディング・オベーションで、泣いているスターらも少なくなかった。ジョン・レジェンドはスピーチで、映画は50年前のことだが自由と正義を求めるたたかいは今も続いており、これは今の歌でもあるとして、今でも多くの黒人が投獄されているこの国で、ともに行進を続けていこうと呼びかけた。

このことについて知ったのは、先日出演したTBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」の定例企画、韓国の音楽を紹介する「韓流最高会議」の中でのことだ。番組パーソナリティでミュージシャンの菊地さんによると、授賞式全般を通じて「全員がスタンディング・オベーションしてほとんどの人がガチ泣きした」のは、そのシーンだけだったという。菊地さんは、そこに込められていたのは「怒り」と言っていいような、それも「あまりのことに見ている方が笑っちゃうくらいの」、「何も知らない子どもだったら泣いちゃうくらいの」、ものすごいパワーだったと話していた。

続けて、「世界でアフロ・アメリカンの人たちが最初に、その怒りみたいなもの、聞いたら恐がられるかもしれないものを、美的に、あるいはコミカルに、セクシーに、音楽に変えたと思う」と指摘したうえで、「格差社会」になったと言われるここ日本の音楽が、「一億総中流とか言って、いい調子でやってた時代の名残のロココのようなカワイイ文化」でそのまま逃げ切れるかどうか、それともアメリカ黒人のソウル・ミュージックや韓国のヒップホップといったものに通じる「ひょっとしたら恐いやもしれぬぐらいのパワーってものを持っていくのかどうか」、注視していきたいと語った。

その場では応答できなかったのだが、社会が変わっても文化はかつての社会の枠組や資源に規定されるところがあるので、そういう意味でもまだ文化というかたちにはなっていないものの、変化した社会の空気としては今のところ、「怒り」ではなく「ひがみ」に向かっている、というのが筆者の印象だ。そして、世界のエンターテインメントの頂点で繰り広げられたパフォーマンスを繰り返し見ては涙しながら、「怒り」は、社会のベースの部分で「正義」が共有されていないと生まれにくいのではないだろうか、とも思った。

(『週刊金曜日』2015年3月13日号「メディアウォッチング」)

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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