1月に出た立花隆さんの『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』(文春新書)は立花さんが、自分の読んできた膨大な数の本、やってきた仕事、そして人生を語って実におもしろい。

 編集者としてある時期、一緒に仕事をさせていただいたぼくはとても懐かしく読んだ。

 田中角栄裁判に関して痛烈な堤堯さん、渡部昇一さん批判などもあり、昨今の田中角栄再評価に対しては〈冗談じゃないよ、いい加減にしてほしいという気持ちです〉が、いかにも立花さんらしい。

 ぼくが『文藝春秋』のデスクとして関わった戦前の共産党活動史「日本共産党の研究」にも触れ、そこで、編集部に潜入していた日本共産党のスパイのことについてもちょっと触れている。

 かつて『立花隆の25年』という私家版の小冊子にも書いたことだが、貴重な記録だと思うので、少し詳しく書いておきたい。

「日本共産党の研究」は昭和51年1月号から52年12月号まで連載した。もう40年以上前のことになる。

 取材スタッフ6、7人、アルバイトの女子学生ら4、5人、そして編集部員2人が社の2階の会議室を占拠。壁は資料で埋め尽くされ、部屋は熱気と活気に溢れていた。

 立花さんは昼間寝て、夕方“出勤”。やおら炊事室で料理を始めて、出来ると編集部の大机で全員で食事。立花さんがいつも脂ギトギトの料理を作るので、炊事室が汚れ、翌朝掃除する女子社員が嘆いていた。食後、カードゲームUNOなどして、腹ごなしをすると、立花さんは昼間、スタッフが取材したデータ原稿や資料を読みにかかり、徹夜――。その繰り返しだった。

 取材班のなかにAさんという人物がいた。太った体で精力的に取材。取材チームの中では年嵩で知識もあり、“部屋頭”といった存在だった。大酒飲みの大食漢で、よく立花部屋で寝込んでいた。

 連載終了後も、4年ほど共に仕事をした。

 そしてAさんは忽然とわれわれの前から消え、パッタリ消息を絶ってしまった。

 そして2年後、ぼくはAさんから驚くべき手紙を受け取る。

 分厚い手紙はこう書き出されていた。

〈長い間の御無沙汰をお詫びします。何も説明もしないまま、皆さんとお別れしてから、もう二年になります。先日久しぶりに上京、四谷を通りかかり、あの頃のことが懐かしく思い出されました。

 離婚し、その後再婚、子供も出来、今は地方都市で近所の子供たちを教える塾を開いて平穏な生活を送っているという。

〈実は、お手紙差し上げたのは、花田さんにだけは、ひと言、お詫びが言いたかった。事実を事実として知っておいていただきたかったからなのです――〉

 その後が驚くべきFさんの告白だった。

〈実はわたしは日本共産党のスパイとして立花さんの取材班に送り込まれた人間だったのです。

 立花さんをはじめ、皆さん、いい方ばかりで、一緒に仕事をするにつれ、心苦しい気持ちが募るばかりでした。悩みもしました。辛い、悲しい日々でした――〉

 辛さの余り、酒に溺れた日々のこと、荒んだ生活、それらがまるでFさんの取材原稿のようにきちんと書かれていた。

〈お世話になった花田さんにだけは、このことを知っておいていただきたかった。書き終わった今、何年ぶりかで、ほんとうに安らかな気持ちでおります〉

 結局、Aさんと再び会うことはなかった。今は平穏に暮らしていることを祈りたい。

 立花さんの本を読んでいてこんなことを思い出した。