百田尚樹さんの『殉愛』をめぐる実の娘と夫人の騒動について、林真理子さんが『週刊文春』の連載エッセイで、週刊誌がこの件を報じないのは異様なことだと書いた。

「もうジャーナリズムなんて名乗らない方がいい」「自分にとって都合の悪いことは徹底的に知らんぷりを決め込むなんて、誰が朝日新聞のことを叩けるであろうか」とも。

これについて『創』の篠田博之編集長が東京新聞の「週刊誌を読む」(12月7日)でこう書いている。

〈林さんの指摘は全くの正論で、作家自身がそれを指摘したことに拍手を送りたい〉

そして12月14日には同じ欄で〈『WiLL』編集長はブログで(中略)「書かないのは当然ではないか」と林さんを批判している〉

と書いた。

篠田編集長、読みが浅い。

ぼくが書いているのは林さんともあろうものが、何をカマトトぶっているのか、出版社系週刊誌にとって作家のスキャンダルがタブーなどということは先刻ご承知のはずだろうということだ。

林さんが尊敬していたという渡辺淳一さんの某女優とのスキャンダルだって『噂の真相』以外、ほとんど書かなかった。山崎豊子さんの盗作だか無断引用だかも、度々指摘されたが、報じたのは新聞中心だった。

そんなこと、林さんともあろう作家が知らないはずはなかろう。

しかもエッセイの中で林さんは〈たかが芸能人のスキャンダルではないか〉と書いている。〈たかが芸能人〉とは芸能人を蔑視した表現だ。

〈たかが芸能人〉なら何を書いてもいいのか、書かなくてはいけないのか。ぼくは、そう問うているのだ。

篠田編集長、日頃からスキャンダルに巻き込まれた芸能人の強い味方ではなかったのか。

そこんとこ見落としては困る。