浅利慶太「認知障害」というタイトルは許されるのか。

今週の『週刊新潮』(7月3日号)の新聞広告を見ていて、こんなことがいったい許されるのかと思った。

「劇団四季が悲鳴を上げた 認知障害『浅利慶太』37億円バラ撒きの欲求」。

81歳の浅利慶太さんが認知症だと大見出しで断定しているのだ。

記事を読むと、「四季」創立以来の盟友、安倍寧さんが証言し、浅利さんに社長を引くことを忠告したというのだから、程度はわからないけれど、そういう兆候があるのは確かなのだろう。

しかし、ご本人は『新潮』の取材に対して否定。『新潮』は医師の話は取材していないから、どの程度かは不明だ。

なのに「認知障害浅利慶太」。

たとえば誰か著名人にエイズ疑惑があるとする。『新潮』は「エイズ」○○○○と書けるのか。書いていいのか。

もっとわかりやすく言えば、たとえば女優の○○○○さんが不妊治療を受けているとする。『新潮』は「不妊症○○○○」と書けるのか。書いていいのか。

『新潮』は4月24日号でもNHK籾井会長のことを呆け老人と書いた「局内で迷子になったNHK『籾井会長』の危ない『まだらボケ』」。

読んでみるとトイレに行って廊下に出る時に右、左を間違えたからだという。そんなことは慣れない場所に行けばままあることではないか。赴任して間もない籾井会長が間違ったって、だからと言って呆け呼ばわりはないだろう。

日本の演劇界に多大の貢献をした浅利さん。雑誌社系週刊誌の代表『週刊新潮』に惻隠の情というものはないのか。