立石諒「ラストレース」

観客に応える立石諒(ミキハウス)(写真:田村翔/アフロスポーツ)

温かい拍手

「これが最後でした」

日本の平泳ぎを支えてきた立石諒(ミキハウス)が、引退を表明した。

立石は、ロンドン五輪で銅メダルを獲得した200m平泳ぎ予選に登場。落ち着いた足取りでスタート台に向かい、慣れた手つきでユニフォームを脱ぐ。大きく深呼吸し、鋭い眼差しでプールを見つめる。現役最後のレースでも、そのスタイルは変わらなかった。ひとつだけ、いつもと違ったのは、レース後、観客席から沸き上がった温かい拍手だった。

「これだけ苦しむレースは、本当に久々ですし、予選にも関わらず大きな拍手を頂きまして、本当に水泳を続けてきて良かったな、と今思っています」とゆっくりとした口調で、想いを噛み締めながらインタビューに答えた。

「北島康介」に憧れて

小さい頃から水が大好きだった立石は、4歳から水泳を始め、選手として歩みを進めてきた。本格的に競泳選手として勝負したいと思ったのは、中学3年で観たアテネ五輪。金メダルを獲得した北島康介を見た瞬間に、五輪に出たいと火がついた。

日本のお家芸とも言われている平泳ぎは、2000年から「北島康介」が君臨し、2016年まで牽引してきた。誰もが認める世界一の絶対的王者。平泳ぎの選手たちは、彼に憧れ、その背中を追って世界を視野に入れるようになった。北島の活躍と共に注目となっていたのは、「ポスト北島」の存在。

「ポスト北島」と呼ばれて

立石が次世代のエースとして頭角を現したのは、2006年、彼が高校2年生の時に出場した国民体育大会だった。当時、北島康介が保持していた200m平泳ぎの日本高校記録を1秒以上更新。6年ぶりの快挙に、世間は「ポスト北島」と彼を呼ぶようになった。

しかし、その後の立石の競技生活は順風満帆ではなかった。2006年からジュニア日本代表として活躍し、翌年には日本代表入り。勢いそのままに迎えた2008年。得意の200m平泳ぎで北京五輪出場を狙っていた彼は、日本代表選考会で0.16秒差の3位となり落選。(各国2名まで出場できる)

レース後、茫然と会場から出てきた彼に声をかけると、ボロボロと涙を流した。私は、182cmの体を震わせ泣きじゃくる彼をただただ抱きしめることしかできなった。でもこのとき、「この経験が絶対に彼を強くする」と思った。ここまで悔しさを出し切ること、心の解放ができるということは、自分自身の感情に素直だということ。この素直に「悔しい」と思える心が、彼の強さだと感じた。

試練の中で

その後、2012年のロンドン五輪までの4年間は、彼にとってまたも試練の連続だった。五輪での活躍を夢見て練習環境に変化を求めるも、折り合いがつかず所属チームを失った。指導者も練習環境もない日々に、本気で競泳から離れようと考えた時期もある。そんな彼をもう一度、プールへ戻したのは、昔から支えてくれる人々からのサポートだった。アメリカへの短期留学を勧めた友人、日本での所属場所を確保してくれた高校時代の恩師であり、神奈川県水泳連盟会長の堀川博美さん・・・。堀川会長は、「とにかく彼の素材をつぶさないように。それだけでした。」と当時を思い出す。周囲の後押しを受け、「五輪へ出たい」という強い想いが溢れた。立石は、一歩一歩、踏みしめながら、かつての輝きを取り戻していった。

憧れから目標へ

2010年当時、「ポスト北島」と言われることについてどう思っているのか、本人に聞いたことがある。「光栄です。だけど・・・だからこそ勝ちたいですね。」と悪戯っぽい笑顔を見せた。本気なのか冗談なのか。「康介さんは、憧れです。でもいつかは追いつき、追い越さなければいけない存在なんですよ。」と真剣な表情で語ってくれた瞬間、鳥肌が立った。憧れである北島康介の背中を追いかける中で、憧れは、いつしか目標に変わっていた。

その言葉どおり有言実行してみせたのは、2年後のロンドン五輪の舞台だった。得意の200m平泳ぎ決勝で、憧れ続けた北島康介と肩を並べて戦った。最後の最後、隣を泳ぐ世界王者を猛追し、タッチの差でかわた。銅メダルを獲得した瞬間だった。「諦めないで努力してきて、良かった。」そう語った彼の目には涙が溢れていた。

北島への感謝

立石諒の競技生活には、「ポスト北島」の言葉が付いて回った。名誉でもあるが、背負ってきたものの大きさは計り知れない。だからこそ、引退を表明した今、敢えて再び、彼に聞いてみた。「まぁ、当時は尖がっていたんで、なんだよって思ってましたけど、やっぱり近くで泳いで、康介さんの姿を直に感じさせてもらってからは、言ってもらえることが幸せなのかなって思っていました」と振り返った。

「僕の中の水泳人生で一番良かったなと思うのは、やっぱり北島康介という世界最強の選手とずっと切磋琢磨して目標にさせてもらって、上を見て、強くなれる力を付けることができたのかなと思います」最後まで北島への感謝の気持ちを口にした。

ラストレースを終えて

立石の水泳人生の大きな転機を作りだした堀川会長は、「よく頑張った。その言葉しかないです。関われたことを幸せに思います。第二の人生も水泳と同じくらい頑張ってほしい。水泳では銅メダルだったけど、人生では金メダリストになってほしいですね。」と穏やかな表情を見せた。

「最後に日本選手権という試合に出させてもらって、本当に最高に幸せです。出るにあたって、サポートしてくれたミキハウスさん、アリーナさん、コーチ、両親、仲間、応援してくれている皆さんのおかげで、こういうふうに水泳人生を終われて、とても今、幸せです」

水泳と出会って23年。日本代表として日の丸を背負った数は、18回。

立石諒の水泳人生に幕が下りた。