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北島康介から教えてもらったこと

萩原智子シドニー五輪競泳日本代表
リオデジャネイロ五輪代表選考会 男子200m平泳ぎ決勝後の北島康介(写真:アフロスポーツ)

リオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権。

北島康介(日本コカ・コーラ)の長い長い戦いが終わった。

「康ちゃん」との出会い

私が康ちゃんと出会ったのは、シドニー五輪の代表合宿でのこと。高校生の元気でやんちゃな男子選手がいるなと思った。ふたつ年下の彼は、チームの中でも弟のような存在だった。

シドニー五輪での結果は、康ちゃんも私も4位。帰国前日、移動バスで偶然隣同士になった。その時、「智子さん、これからどうするの?」と話しかけてきてくれたが「もう辞めるかもしれない。今は何も考えられないよ」と素っ気なく返してしまった。そのあと、彼が言ってのけた言葉が忘れられない。「僕はね、2008年までやるよ」この言葉に鳥肌が立ったのを今でも覚えている。シドニー五輪は2000年に開催された。その4年後は、アテネ五輪だ。彼は、もっと先、8年後を見据えていた。既に世界に目を向けていたのだ。

コンプレックスを宝物に

康ちゃんは、私の人生最大のコンプレックスを大切な宝物に変えてくれた恩人でもある。2000年シドニー五輪200m背泳ぎで4位という結果が、私を苦しめてきた。ずっとずっと自分が嫌いだった。どうして私は、0.16秒差でメダルを逃してしまったんだろう。その気持ちは、いつしかコンプレックスになり、私の心に刺さったままになっていた。素直に「悔しい」という言葉さえも口に出せなかった。

そんな状態のまま10年が経ち、私は競技に復帰。30歳で再び、日本代表チームに復帰した。弱い自分と強い自分。徐々に自分の弱さを受け入れることができるようになっていた。そんな時、チームメイトの康ちゃんが言ってくれた。「頑張っているよ、智子さん。一生懸命やったなら、もっと自分を褒めてあげなよ」この言葉に、私は救われた。五輪4位と言う結果ばかりを見て、「頑張った私」を見失っていたのだ。彼のおかげで、私は胸を張って素直な気持ちを言えるようになった。

「北島康介」が教えてくれたこと

「北島康介」というスイマーは、強くて速い。

「北島康介」という人間は、強くて優しい。

ただ速い、ただ強いだけではなく、優しさをもっているからこそ、周りから愛される。素直な気持ちを表現し続けているからこそ、心から応援したいと思う。

どんな逆境であっても、諦めず果敢に立ち向かう姿は、いつしかみんなの道標となっていた。大好きな水泳と向き合い、最後の最後まで努力を重ねる執念を見せてもらった。ライバルを認め、リスペクトする姿から、強くなるためのプロセスを示してもらった。どんな結果であっても受け止め前進する姿に、弱さを受け入れる勇気を与えてもらった。いつも心に強い覚悟と信念があるからこそ、人に優しく出来るのだということも教えてもらった。

康ちゃん、お疲れさま。

そして、ありがとう。

これからの人生も楽しもうね。

シドニー五輪競泳日本代表

1980年山梨県生まれ。元競泳日本代表、2000年シドニー五輪に出場。200m背泳ぎ4位。04年に一度引退するが、09年に復帰を果たす。日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていたが、五輪前年の11年4月に子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され手術。術後はリハビリに励みレース復帰。ロンドン五輪代表選考会では女子自由形で決勝に残り意地を見せた。現在はテレビ出演や水泳教室、講演活動などの活動を行っている。

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