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オリンピック「4位」ということ

萩原智子シドニー五輪競泳日本代表

「オリンピック=メダル」

私はよく「オリンピックで、連想するものは?」と質問することがある。大多数から「メダル!」と元気よく答えが返ってくる。世間では「オリンピック=メダル」の印象が強いようだ。

ソチオリンピックでも、メダル候補として期待を一身に背負った選手たちが、己の限界に挑み、必死に戦う姿に涙が止まらなかった。そんな中、様々な試練を乗り越えてメダルを掴み取った選手。オリンピック独特の雰囲気の中で、メダルを狙って獲得できる強さは尊敬に値する。

新たな歴史の1ページ

様々な種目における新たな歴史が刻まれる瞬間も見ることが出来た。男子フィギュアスケートフリー。高橋大輔選手、町田樹選手、羽生結弦選手、それぞれのオリンピックへ込めた想いが伝わり、感激した。

羽生選手の金メダル獲得には、胸が熱くなった。初めてのオリンピックでここまでの演技。滑るたびに、少年の顔から大人の顔へと表情が変化していく。全力を出し切った彼に、拍手を送りたい。

日本の男子フィギュアが、オリンピックで金メダルを獲得したのは、初めてのこと。羽生選手の底知れぬ可能性を見せつけられたような気がした。これは彼が積み重ねてきた努力の結晶。同時に、男子フィギュアの歴史の中で、本田武史選手をはじめ、高橋大輔選手、織田信成選手、小塚崇彦選手、無良崇人選手、町田樹選手・・・沢山の選手たちが築き上げてきた世界で戦う道標が、またひとつ羽生選手の背中を押したのだと思う。新たな歴史の第一歩。そしてまた金メダルへの道筋ができたことは、今後の男子フィギュア界にとって、大きな財産になる。

メダルに届かぬ想い

ソチオリンピックメダリストが誕生する中で、あと一歩のところで、メダルを逃した選手の存在も忘れてはいけない。今回も、4位という順位を経験する選手がいた。オリンピック4位。何とも言えない順位の4位。

女子モーグルでは、上村愛子選手が4位だった。しかし上村愛子選手がオリンピック5大会連続入賞をしている現実を忘れてはいけない。競技復帰すること、世界トップで戦い続けることがどんなに難しいことなのか。メダルには届かなかったが、ベストパフォーマンスをした上村選手。最後の最後、笑顔で「すがすがしい気持ち。」とインタビューで答える彼女の姿が、誰よりも輝いて見えた。どんな状況でも環境でも、守りではなく攻めの姿勢で、チャレンジした彼女から沢山のことを教えてもらった。「ありがとう」と伝えたい。

女子スキージャンプの高梨沙羅選手は「金メダル大本命」と言われ、オリンピックに挑むことになっていた。結果は、4位。でも勝負の世界に「当たり前」「絶対」という言葉は存在しない。良いときもあれば、悪いときもある。当然のことだ。選手は、生身の人間であり、ロボットではないのだから。必死で努力し、チャレンジしても届かない想いもある。勝利を手にする人は、ほんのひと握り。でもそのひと握りへのチャレンジによって得られた経験は、かけがえのないものとなる。

メダル候補として挑んだオリンピックで、メダルを逃してしまった瞬間は、頭が真っ白。悔しさ、情けなさ、悲しさ、申し訳なさ・・・自分でも抑え切れない感情が心にぶつかってくる。とてもとても苦しい。その後、時間が過ぎ去る中で、自分自身と向き合う時間は、もっと苦しいものになる。でも忘れないでほしいことがある・・・4位になりたくて4位になった訳ではない。選手たちが必死に全力で競技と向き合った結果ということを。

私も「4位」だった

私は、夏季オリンピックに競泳日本代表として出場した経験がある。シドニーオリンピックメダリストです!と言えればいいのだが、私は200m背泳ぎで4位。0.16差で、銅メダルを逃した。何とも言えない気持ちだった。

シドニーオリンピックから帰国し、街を歩いていると「ハギトモ、国の税金使って行ってるのに、メダルのひとつやふたつ持って帰ってこれなくてどうするんだ!」と面と向かって言われたことがある。もちろん、その通りだ。しかし深く傷ついた。14年が経った今でも、疲れているときに、この情景を夢に見る。

励ましの手紙に救われて

シドニーオリンピックが終わり、私は3ヶ月間、外へ出られなかった。人の顔色が変わるのが怖かった。もちろん励ましてくれる人も多く、励ましのお手紙もいただいた。そのお手紙に救われた。「萩原さんの200m背泳ぎの泳ぎが美しかった。60年間、プールに入ったこともないけれど、翌日、近くのスイミングスクールに入会届を出してきました。今は楽しく泳いでいます。」と書かれた手紙に、涙が止まらなかった。私がオリンピックで泳いだ意味がひとつでもあったのだと気づかせてくれた。もう一度、水泳と向き合いたいと思わせてくれた。

帰国した選手たちに、感謝と拍手を

メダルを獲れなかった、ベストパフォーマンスが出来なかったという現実、悔しい想いを噛み締めているのは、選手本人だ。今、苦しみながら必死に向き合っている。だからこそ、応援している私たちは、帰国した選手たちに感謝と拍手を送りたい。これまで選手たちの一生懸命な姿から、感動や元気を分け与えてもらった分、今度は、私たちが選手を励まし、元気づける番なのだと思う。きっとその声が、選手たちの背中を押して、また私たちにパワーを届けてくれるだろう。最高の笑顔と共に。

シドニー五輪競泳日本代表

1980年山梨県生まれ。元競泳日本代表、2000年シドニー五輪に出場。200m背泳ぎ4位。04年に一度引退するが、09年に復帰を果たす。日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていたが、五輪前年の11年4月に子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され手術。術後はリハビリに励みレース復帰。ロンドン五輪代表選考会では女子自由形で決勝に残り意地を見せた。現在はテレビ出演や水泳教室、講演活動などの活動を行っている。

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