ワーキングメモリへの挑戦:技能五輪全国大会

一切ムダなく、機械よりも正確に、そして機械よりもはるかに柔軟に作業する若手技能者の手。狭いブースの中、まるで横や後ろに目がついているかのように、道具や材料を素早くつかみ、流れるように「ものづくり」の課題を組み立てていきます。

技能五輪全国大会は、厚生労働省が主催する大会で、今週末の5日(土)6日(日)に幕張メッセで行われます。23歳までの若手技能者選手(多くは企業に所属)が技を競うものです。機械組み立て、電気工事、ITや情報ネットワーク施工、洋菓子製造などバラエティにとんだ41の競技職種があり、各競技の金メダリストは2年に一回開催される国際大会「ワールド・スキルズ」の日本代表として、世界の舞台で戦うことになります(※)。

選手は金メダルを目指し、普通の人なら数倍の時間がかかるような膨大な量の作業に、限られた時間の中で取り組みます。当然、失敗して動きが止まる選手、焦りや緊張で普段の実力を出せない選手もいます。

私は数年前から技能を発揮するための考えや感情コントロールなど、メンタル面のトレーニングに携わっています。その経験から技能五輪で求められるメンタルを一言にまとめると「桁外れのプレッシャーがかかる中、正確な判断を長時間繰り返せること」です。

時間圧というプレッシャー

例えば、

7+5

という計算を考えてみます。繰り上がりがありますが、そんなに難しい計算ではありません。ところが、これを「1秒で正解してください」というと、ほんの少しかもしれませんが、焦りが生まれます。

では、次に以下の3問を3秒で全問正解してみてください。

1) 8+4

2) 6+9

3) 7+5

どうでしょうか。一つ一つは簡単な計算でも、すぐに答えがでなかったり、どれかが不正解かもしれません。

この問題には、時間圧という種類のプレッシャーがかかっています。計算には頭のメモリ(ワーキングメモリ)の余裕がある程度必要です。しかし限られた時間の中にいくつもの作業があると、頭のメモリが圧迫され、余裕がなくなります。その結果、普段は上手く出来ることができなくなってしまうことがあります。

技能五輪でも同じことが起こります。選手は時間圧で頭のメモリに余裕がないなか判断を繰り返すので、普段の訓練ではできることが本番ではできなくなってしまいます。しかしそうした状況でも、適切な判断を繰り返せる選手もいます。

頭のメモリ省力化の工夫

違いはどこにあるのでしょう。もちろんいろいろな要因が関係しますが、その一つは、頭のメモリに空きを作る工夫にあります。優れた判断を繰り返せる選手は、普段の訓練から、頭のメモリへの負荷を減らす工夫、少ないメモリ使用量で適切な判断をする工夫をしています。

例えば、訓練でした失敗を書いて記録し整理します。しかもただ整理するだけではなく、「焦っているときに起こりやすい失敗はこれ、調子のいいときに起こりやすいのはこれ」といった具合に、起こりやすい状況ごとに分けて整理します。整理を繰り返すと頭のなかにある種のテンプレートができます。このテンプレートはスキーマと呼ばれます。

私たちの日常だと、「朝ごはん」と聞いて、「ご飯、味噌汁、焼鮭」のようなイメージが浮かぶとしたら、頭のなかで和食朝ごはんスキーマが働いています。和食朝ごはんスキーマがある人は、「ご飯、味噌汁、焼鮭」がテーブルに並んでいたら、説明されなくても「朝ごはんかな?」と思い浮かびます。

失敗の対処も同じです。失敗が起こってもスキーマが働き、瞬時に「どんな種類の失敗でどういう対処が適切か」判断できるようになります。メモリをあまり消費しないため、メモリに余裕が残り、冷静な対処が可能になります。

一方、スキーマが不十分だと、まず「何がおこったんだ」を理解するためにメモリを大量に消費します。良い対応を考える余裕がないまま、「とにかくなんとかしないと」と焦って思いつきで対応し、結果的に事態を悪化させることもあるのです。

いろいろな負荷のコントロール

優れた選手ほど、普通の人は運で片付けるようなことの中にある些細な変化、小さな負荷もコントロールします。ライトの違いによる見え方の変化などの身体の反応の負荷、焦りや不安といったストレス反応の負荷など、作業に間接的に影響するものも含め、負荷を最小限にする工夫が、いたるところに見られます。小さな違いが大きな違いを作ると知っているのでしょう。

頭のメモリに影響する負荷を認知負荷と呼びます。技能五輪の選手は、ただがむしゃらに訓練するのではありません。認知負荷まで考えこまれた訓練を繰り返し、手の技と同時に頭の技も磨いていくのです。こうした訓練を繰り返した技能五輪の選手は、「作業全体の輪郭を早くつかめる」(トヨタ自動車 鳥飼主査:日刊工業新聞)ようになります。

その結果、桁外れのプレッシャーがかかる中、正確な判断を長時間繰り返せるようになるのです。機械よりも正確に、そして機械よりもはるかに柔軟に作業する選手の職人技の背後には、このような目には見えない頭の技があるのです。

技能五輪は一般公開されています。もし職種や作業のことを知らなくても問題ありません。例年、「この選手はすごい」という選手の周りには、周知していなくても、自然と人が集まります。一流の技は、理解を超えて人を惹きつけるのだと思います。

(※)世界大会は2年に一度で、世界大会の前年に開催された国内大会の金メダリストが日本代表となります。次回は2017年、アブダビで開催されます。