5月18日、山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4630万円を誤って1世帯に振り込んだ問題で、同県警萩署は、振り込みを受けた田口翔容疑者を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕した。

逮捕容疑は、

自分名義の銀行口座に町から入金された4630万円が町のミスで誤って入金されたものと知りながら、4月12日に自分のスマートフォンを操作してオンライン決済サービスを利用。決済代行業者の口座に400万円を振り替えて財産上不法の利益を得た

ということのようだ。

この事件は、阿武町が誤送金の事実を公表した時点からマスコミで大きく取り上げられ、ワイドショーでも話題の中心になっていた。同町は、田口容疑者が一旦は返金に応じようとしていたのに態度を翻して返金を拒絶し、代理人弁護士がすべて費消してしまったことを明らかにしたことを受けて、不当利得返還請求の民事訴訟を提起したが、勝訴判決を受けても回収できる見込みはほとんどなく、犯罪の成否や処罰についての議論が、マスコミでもネット上でも盛り上がっている。

弁護士コメンテーターの意見で最も多いのが、「電子計算機使用詐欺罪」であり、今回の山口県警の逮捕容疑は、この「多数説」を採用したように見えるが、この見解は、重要な問題点を見過ごしているのではないか。

電子計算機使用詐欺罪の逮捕容疑のまま起訴するのは「無理筋」であり、まともな弁護士が担当すれば無罪となる可能性が強い。まさか検察官が、「素人レベルの弁護士見解」に惑わされることはないと思うが、社会的影響も大きい事件だけに、検察の「鼎の軽重」が問われる場面と言える。

本件に、詐欺罪の一形態としての電子計算機使用詐欺罪を適用することの最大の支障となるのは、誤振込による預金債権の有効性に関する平成8年の最高裁の民事判例だ。

振込依頼人が、振込先の口座を誤って名前の似た別の口座に送金してしまったところ、振り込まれた口座の名義人が、誤入金分を口座から出金した場合について、かつての下級審民事判例は、

「誤振込による預金債権は無効であり、口座名義人の債権者が誤振込預金を強制執行によって差し押さえることはできない」

という立場を採っていた。これに従えば、刑事においても、誤振込により無効である預金債権を、誤振込であることを秘して払戻請求する行為は、銀行員に対する詐欺行為にあたると解することが可能であった。

ところが、平成8年4月26日の最高裁判決は、従来の下級審判例を覆し、誤振込による預金債権の成立を肯定して、口座名義人の預金に対する債権者の差押えを認め、強制執行に対する振込依頼人の第三者異議の訴えを退けた。

「誤振込による預金債権が有効」なのであれば、誤振込による預金債権の払戻請求(口座名義人による預金の出金)は、有効な預金債権の正当な権利者による払戻請求ということになるので、銀行に対する詐欺行為とは言えないことになる。

しかし、その後の刑事判例では、上記最高裁民事判決後も、誤入金分の預金の払戻しについてかなり「強引な理屈」で詐欺罪の成立を認めている。

平成10年3月18日の大阪高裁判決は、誤振込による預金債権の成立を肯定する最高裁平成8年民事判決を引用した上で、

「誤振込による入金の払戻をしても、銀行との間では有効な払戻となり、民事上は、そこには何ら問題を生じないのであるが、刑法上の問題は別である」

として、

「払戻に応じた場合、銀行として、そのことで法律上責任を問われないにせよ、振込依頼人と受取人との間での紛争に事実上巻き込まれるおそれがあることなどに照らすと、払戻請求を受けた銀行としては、当該預金が誤振込による入金であるということは看過できない事柄というべき」

であるとして1項詐欺罪の成立を認め、その上告審である平成15年3月12日最高裁判決も、最高裁平成8年民事判決と同様に誤振込による預金債権の成立を認めながら、

「銀行にとって、払戻請求を受けた預金が誤った振込みによるものか否かは、直ちにその支払に応ずるか否かを決する上で重要な事柄であるといわなければならない。これを受取人の立場から見れば、受取人においても、銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている者として、自己の口座に誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される。社会生活上の条理からしても、誤った振込みについては、受取人において、これを振込依頼人等に返還しなければならず、誤った振込金相当分を最終的に自己の物とすべき実質的な権利はないのであるから、上記の告知義務があることは当然というべきである。そうすると、誤った振込みがあることを知った受取人が、その情を秘して預金の払戻しを請求することは、詐欺罪の欺罔行為に当たり、また、誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たる」

として1項詐欺罪の成立を認めている。

しかし、この平成15年の最高裁刑事判例は、平成8年民事判例にもかかわらず何とかして詐欺罪での有罪結論を導くために、苦し紛れの理屈を述べたに過ぎない(いわゆる「救済判例」)。 

平成15年判例は、「誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たる」と述べているが、仮に、口座名義人に、「誤振込を銀行に告知すべき信義則上の義務」があると解したところで、誤振込であることを明かした上で払戻請求された場合でも銀行は支払を拒絶できないのであるから、銀行には「詐欺罪の錯誤」などない。また、誤振込を告知しなかった場合でも、「銀行から払い戻しは受けたが、誤振込をした人には別途弁済するつもりだった。」との弁解が否定できなければ、詐欺罪の成立は認められないはずだ。実際に、田口容疑者は、逮捕直前に、弁護士を通じて「お金を使ったことは大変申し訳なく思っています。少しずつでも返していきたいと思っています」と語ったと報じられている。

このように、銀行の窓口で預金を払い戻した場合の1項詐欺の成立にも重大な疑問があるが、本件では、銀行の窓口での払戻ではなく、電子データの送信によって、誤送金口座からの振替が行われており、逮捕事実は、「人」を被欺罔者とする「詐欺罪」ではなく、電子計算機使用詐欺罪だ。その点が、犯罪の成否に関して致命的だ。

電子計算機使用詐欺罪は、「人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作」った場合に成立する。銀行預金の振替の指示に応じるのが「人」ではなく、「銀行システム」なので、行為者側の真意や事情に関する「被害者の錯誤」ということは基本的に問題になる余地がない。田口容疑者の意図や内心がどうであれ、誤振込による預金債権の振替が、有効な預金債権の正当な権利者による振替として行われたのであれば、「電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて」ということにはならない。上記の平成15年最高裁刑事判例のような理屈は、少なくとも電子計算機使用詐欺罪に適用できないことは明らかだ。

このように、田口容疑者の逮捕事実の電子計算機使用詐欺罪では、犯罪の立証は困難だと言わざるを得ない。いくら田口容疑者が事実関係を認めていると言っても、上記のような法律上の問題を主張することは、弁護人として当然であり、それに対して、まともな裁判所が判断すれば、無罪判決は避けられない。検察が、上記の平成15年最高裁刑事判決のような「救済判決」が出ることを期待して起訴するのであれば、ギャンブルそのものだ。

とは言え、誤振込された4600万円を超える町民の財産を、それを知りながらネットカジノで全額費消したと述べている「悪辣な輩」に対して、刑事処罰ができないというのは、あまりにも社会常識に反することは確かだ。何らかの犯罪が成立し得るのであれば、その可能性を最大限に模索すべきであろう。

この事例について成立する可能性のある犯罪として、2011年に改正された刑法96条の 2の「強制執行妨害目的財産損壊等罪(強制執行妨害罪)」が考えられる。

町から返金を求められたのに、返金を渋り、その後、再三にわたって返金の要請を拒絶して、ネットカジノの資金に振り替えたということだが、その時点で弁護士に相談しているようなので、弁護士からは、「仮差押を受ける可能性が高い」と言われているはずだ。とすれば、誤振込された口座からネットカジノの決済代行業者の口座に振替えたことについて、「強制執行を妨害する目的」があったことは認定できるように思える(ネットカジノ業者の口座に振り替えた後は、仮差押は困難だったはずだ)。もっとも、振替後の資金がほとんど即時にカジノで費消されるなどしていて「隠匿した」と言えるような状況でない場合には、同罪は成立しないことになる。

検察官は、本件の田口容疑者の行為が、同条1号の「強制執行を妨害する目的で、強制執行を受け、若しくは受けるべき財産を隠匿し」と規定する強制執行に該当する可能性を念頭に、誤振込口座からの資金の振替の目的などについて事実関係を明らかにした上、同罪の成否について、法律面、事実面両方から、検討する必要があるのではないか。