デジタル世代と非デジタル世代の断絶、「常識」の明文化の必要性

↑ 「自分が知ってるそのことを 相手が知っているとは限らない」

距離を超えて情報の不特定多数へのやり取りを可能にしたデジタル、特にインターネット技術の普及により、(大げさではあるが)人類はこれまでに無い情報伝達の手段を手に入れ、新たなステージに歩みを進めている。特に携帯電話、中でもスマートフォンの普及はその大きな歩みの中では記録すべき段階的な進歩といえる。

一方この流れがあまりにも加速度的で急なため、新しい時代の常識、ルール、不文律的な決まりに追いつけない人も少なくない。いわゆるデジタルギャップと呼ばれるものの存在だ。デジタルネイティブと呼ばれることもあるデジタル世代にとっては当たり前の、本能的に認知していることも、それより上の世代ではあずかり知らぬことである場合も多い。先日の某地方自治体における「某OSが期限切れとなるが、サイバー攻撃は滅多に無い」とする発言報道が良い例だ。

そのギャップを埋めるための手法としては、「当たり前のこと」の明文化が必要となる。例えば千葉市職員のソーシャルメディアの利用に関するガイドラインについてを読むと、ソーシャルメディアを日常的に使っている若年層は「何を当たり前の事をわざわざ」と思うに違いない。まるで小学生の道徳の教科書のようだ、と。

4 ソーシャルメディア利用に当たっての基本原則

(1)職員がソーシャルメディアを利用して情報を発信する場合には、職員であることの自覚と責任を持たなければなりません。

(2)地方公務員法をはじめとする関係法令及び職員の服務や情報の取扱いに関する規程等を遵守しなければなりません。

(3)基本的人権、肖像権、プライバシー権、著作権等に関して十分留意しなければなりません。

(4)発信する情報は正確に記述するとともに、その内容について誤解を招かぬよう留意する必要があります。一度ネットワーク上に公開された情報は完全には削除できないことを理解しておく必要があります。

(5)意図せずして自らが発信した情報により他者を傷つけたり、誤解を生じさせた場合には、誠実に対応するとともに、正しく理解されるよう努めなければなりません。また、自らが発信した情報に関し攻撃的な反応があった場合には、冷静に対応し無用な議論となることは避けなければなりません。

(6)次に掲げる情報は発信してはなりません。

1. 不敬な言い方を含む情報

2. 人種、思想、信条等の差別、又は差別を助長させる情報

3. 違法行為又は違法行為を煽る情報

4. 単なる噂や噂を助長させる情報

5. わいせつな内容を含むホームページへのリンク

6. その他公序良俗に反する一切の情報

(以上、一部抜粋)

しかし「何を当たり前の事を」と考える人のその思いは、インターネット上で長い時間を経て色々な経験を得て、ソーシャルメディアを使いこなしているからこその意見である。例えば「小学校の道徳の時間に授業を受け、教科書を何度も読み、社会生活上で保護者や先輩、先生、近所の人や友達から『して良い事』『してはいけない事』を教わり、学んでいる」から、「道徳の教科書の内容」を「当たり前のこと」と認識できるわけだ。

ところが少なからぬ大人、特に中堅層から高齢者にとって、インターネットのサービスは初めての事柄ばかり。しかも自分の常識が通用せず、過去の知識や情報の蓄積も役立たない。「道徳の教科書に目を通しておらず、授業も受けず、周囲の人から道徳倫理も学んでいない」状態で世の中に放り出されてしまうのと同じ。

さらに大抵において「新しい技術」のサービスは、分厚いマニュアルの購読を強要され、読む気が失せる。学校のような「優しく実践しながら説明してもらえる」機会も用意されず、周囲の人が手ほどきしながら教えてくれる「好機」に恵まれない限り、「別にいいや、覚えなくても」と投げだしてしまう。そして「ソーシャルメディア」をはじめとしたインターネットの新しいサービスも、このパターンを経ることが多い。「使っているうちに覚えるだろう」。一般家電と同じような考えに至る。

ここに「暗黙の了解」に関する情報の断絶が生まれる事になる。昔からインターネットのサービスになじんできた人たち、デジタル世代は、ソーシャルメディアのような新しいサービスも「これまでの発展系」として、低いステップの飛び越えで習得できる。「暗黙の了解」も既知のものに追加するだけで済むので容易に会得が可能となる。

ところが中堅層から高齢者には、いきなり「ソーシャルメディアを使いなさい」と言われても右往左往するばかり。何の前提となる知識も無いのだから、焦って当然。必然的に「暗黙の了解」を知っていれば起こすはずのないミスをして、色々とトラブルを巻き起こすことになる。

↑ 元々の情報・ルールの蓄積が少ないと、新しいモノの利用を要求されても難儀する
↑ 元々の情報・ルールの蓄積が少ないと、新しいモノの利用を要求されても難儀する

だからこそ、その「暗黙の了解」のギャップを埋めるため、上記に例として挙げた千葉市が提示したような「明文化」が必要になる。自分が「当たり前だ」と思っていることが、すべての人にとって「当たり前」とは限らない。特に「当たり前で無い」と思われる人たちが多いことが想定される場合、「明文化」は非常に重要な作業・工程になる。それは先の例でいえば、「道徳の教科書」であり「保護者や先輩、近所の人たちの教え」の構築に他ならない。

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インターネットに代表されるデジタル関連技術は、これまでの技術と比べて進化速度が非常に高速であり、情報の流れに追いつけない人が多い。そしてそれらの「新しい情報メディア・サービス」について、正しい使い方・暗黙の了解・知っておくべきルールを教えてくれる学校や教習所の類は、それほど多くない。またその必要性も軽視され、リソースも分配されない。形に見えないものだからだ。教育課程ではようやくパソコンやインターネットの使い方を学ぶ時間を設けるようになったが、すでに学校を卒業した大人には、その機会も無い。

自治体や民間団体、そして社会のコミュニティ単位で、社会生活の上で欠かせないインターネットやその関連サービスの概念、使い方、注意事項など、知っている人なら「わざわざ教えなくても済む、と考えるくらいの”暗黙の了解”」をしっかりと啓蒙していく姿勢が切に求められる。そしてそれが叶うまでは、今回の千葉市の事例にもあるように明文化するなど「誰もがすぐに取得できる、理解できる方法」で、ネット上の「暗黙の了解」の明文化を積み重ねていくことが求められる。

創り手側からすれば、すでに知っていることに過ぎないとして、馬鹿馬鹿しさを覚えるかもしれない。しかしそれは多くの人にとって、とても大切なこと。なぜなら「自分が知ってるそのことを 相手が知っているとは限らない」のだから。

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