映画『デトロイト』が「白人視点で黒人を描く」ことの問題点

2013年に破産したデトロイト。(写真:ロイター/アフロ)

映画『デトロイト』の日本での日本公開が始まりました。

日本では「黒人差別を描いた映画」などと安易に賛美する論調が見られますが、この映画は黒人差別を描いた映画などではありません。

むしろ、黒人差別を助長する映画です。

デトロイトの歴史、アメリカ公民権運動の歴史は、日本ではほとんど知られていません。

だからこそ、中途半端に白人の視点から公民権運動やデトロイト「暴動」を描いた映画は、日本人が持つ黒人のイメージを悪化し、さらに公民権運動にまで偏見を持たせかねない危険なものなのです。

この記事では1967年8月にデトロイトで起きた事件を「暴動」ではなく、白人社会の圧政に対する「反乱」であったと考え、デトロイト反乱と表記します。

デトロイト反乱は単なる暴力事件ではなく、アメリカ公民権運動史の重要な出来事でもあります。

1967年7月23日、警察は営業許可時間外に違法営業している「ブラインド・ピッグ」と呼ばれる地下バーを摘発することを決めました。

通常は数人のオーナーや客を逮捕し警告する程度ですが、この日は85人もの関係者を逮捕することを決めました。

警察が逮捕に必要な人員を確保するまで、85人は外で拘束されました。

警察の横暴・暴力を叫ぶ声がどこからともなく上がり、空きビンを投げる者、警官に石を投げつける者などが出てきて、一気に緊張が高まります。

街では怒った人々、混乱に便乗した人々(白人も含む)による暴行や窃盗が起こりました。

そして、25日にアルジャーモーテルで警察官が十代の黒人の少年三人を殺害(映画ではこの経緯が描かれています)したことで、デトロイトの黒人民衆の怒りは頂点に達しました。

警察、行政、そして白人による黒人への圧政、差別、排除はそれまでもデトロイトの黒人市民を苦しめ続けてきたからです。

そして、デトロイト反乱が本格化しました。

約17,000人の警官、国民衛兵、連邦軍が動員されました。

デトロイト反乱では7231人の市民が反乱に関係したとして逮捕されました。

反乱の中で43人が殺害されましたが、そのうちの30人は警官たちによるものでした。

2,509の建物が燃やされ、36百万ドルの不動産被害が出ました。

そのほかの暴力や破壊による経済的損失、行き場を失い、生活を失った市民の生活が受けた打撃も計り知れませんでした。

しかし、そもそもなぜこのような反乱がおきたのか、その歴史的経緯について映画「デトロイト」は説明していません。

1940年代までデトロイトは「民主主義の火薬庫」と呼ばれるほど、爆発的な経済成長を遂げる大都市でした。

しかし、1950年代に入るとデトロイトは徐々に人口減少、経済縮小、貧困問題、失業者問題などに直面し、2013年代にはとうとう破産してしまいました。

まずデトロイト反乱の前提となるアメリカ都市部の黒人の歴史を振り返ってみましょう。

1865年に奴隷制が廃止されると、解放奴隷・自由黒人の多くが北部の都市に逃れました。

また、その後「グレートミグレーション」と呼ばれる南部の黒人の大移動が起こります。

まず第一波が1916年から1930年、そして第二波が1940年から1970年です。

黒人奴隷に頼り切ったプランテーション農場が衰退した南部から、第一次世界大戦、鉄道事業、第二次大戦で好景気の北部へと多くの黒人が移住しました。

しかし、北部の都市で彼らを待っていたのも差別、排除、搾取でした。

黒人は事実上、白人が住む地域に住むことはできず、白人と同じような仕事に就くこともできませんでした。

高技術労働者への道も閉ざされ、労働組合にも加盟できませんでした。

どんなに一生懸命働いても低賃金の補助的な仕事しかさせてもらえず、何かあればすぐに解雇されました。

当時の不動産売買や銀行での貸し出しの差別的仕組みにより、お金や仕事があっても白人が住む地域に家を買うことはできませんでした。

黒人の多くはスラム街での貧困生活を余儀なくされました。

そして、1940年代後半からアメリカで政策的に進められた「郊外化」が白人と黒人の格差を決定的なものにしました。

デトロイトを含む都市部の貧困問題やそれに関連する犯罪の増加(食べるものに困る人が増えれば窃盗や強盗が増えます)や都市部の衛生問題の解決策として、アメリカでは中流層の郊外移住が推進されました。

この政策自体は黒人を排除するものではありませんでしたが、上記の差別的仕組みにより、黒人は事実上、郊外に家を買うことも、郊外で仕事を見つけることもできませんでした。

「郊外化」「郊外移住の推進」は初めから、黒人が都市部に取り残されることを想定していたのです。

つまり都市部の貧困問題は、それを問題視する人々が都市部から逃げれば解決、とされたわけです。

1950年から2000年代までに、百万人の人々がデトロイトを去り、数十万の仕事が失われました。

デトロイトは空き家だらけの、危険な街として人々から捨てられましたが、どこにも移動できない貧困の黒人はそこに住み続けるしかありませんでした。

事実、デトロイトの住人の三分の一以上は貧困線以下の生活を強いられています。

政治や行政は取り残された黒人や貧困層を省みることはありませんでした。

こうした都市部の貧困や犯罪を、奴隷制、人種分離政策、郊外移住推進による更なる白人・黒人の分離推進、郊外化による都市部の衰退など、白人(白人主体の社会、政府)が引き起こした問題ではなく、「黒人の問題」として放置したのです。

映画「デトロイト」の監督・製作者は白人ですが、1967年のデトロイトの反乱は白人たちが自ら種を撒いた問題であり、決して「白人視点から見たデトロイト暴動」として扱うべき問題ではありません。

この映画の一番の問題は、デトロイト反乱は暴力ばかりではなく、正義と人権を求めるための公民権運動の一部でもあった事実を全く描いていない点です。

たとえば、1967年8月31日にデトロイトの黒人教会に二千人もの人々が集まりました。

モーテルで黒人の少年の3人を殺した警官に対して、公正な裁判を求めるための平和的運動でした。

警察はこの警官の詳細を公表せず、メディアもこの事件について報道することを拒みました。

そこで、黒人たちは自ら「人民裁判」をすることで、この事件の人種差別、警察の暴力といった問題を訴えかけようとしました。

黒人も白人も参加した平和的な公民権運動の一つですが、これは映画「デトロイト」では描かれていません。

この部分を飛ばして、2年後に開かれた白人裁判員のみで構成された州の裁判の「無罪」という結果だけを描いています。

しかしこの人民裁判がなければ、州の裁判が開かれること自体ありえなかったのです。

1967年の黒人が直面していた人種差別や、警察を含む行政の直接的、間接的暴力は、現代まで続く黒人差別そのものです。

だからこそ今でもアメリカの黒人は #BlackLivesMatter などの運動で警察の暴力、白人による差別を訴え、戦い続けているのです。

こうした背景を十分に描かずに、「デトロイト暴動」の暴力性に焦点を当て、白人視点で人種差別を見て「黒人かわいそう」「煽られたら暴力振るっちゃうのも仕方ないよね」程度にしかこの事件を描かないのでは、むしろ「黒人は暴力的」「黒人は貧乏」という黒人に対するネガティブなイメージの再生産になりかねません。

白人社会による人種差別、差別的政策の実態を描かずに「差別はよくないね」程度の薄いメッセージしか流さないのは、白人製作者による白人の責任の相対化であり希薄化です。

これが、現代まで続く「白人が起こした黒人(とそのほかのマイノリティ)に対する差別構造」そのものであることをしっかり伝えないのでは「人種差別という悪者に苦しめられる黒人」を見て楽しむ、白人向けホラー映画でしかありません。

参考

Thomas J. Sugrue, "The Origins of the Urban Crisis-Race and Inequality in Postwar Detroit" 1998, Princeton University Press

Zeba Blay"‘Detroit’ And The Problem With Watching Black Pain Through A White Lens"

Mary Phillips"‘Detroit’ Is The Most Irresponsible And Dangerous Movie Of The Year"