グローバリゼーションの時代に求められているキャリア形成とは?

「自由」によって自由が奪われる。(写真:アフロ)

よく「将来はどうするの?」というのを、漠然とではなく、「キャリアはどうするの?これまで何をしてきたの?」という意味で、質問する人がいます。よくある挨拶程度の質問として聞いているのでしょう。

私自身も、転職や大学院受験の相談を受けているときにはそういった質問をします。

これは、いかに現代人が「キャリア」「キャリア形成」といったものを自明のものと考えているかを表していると思います。そこで、今回は「キャリア」「キャリア形成」というものについて考察し、今後どうなっていくのか分析してみます。

まず「キャリア」「キャリア形成」「やりがい」など、現代的なキャリアをめぐる言葉が普及していった背景には、経済構造の変化があります。

第三の資本主義

キャリアをめぐる言説について、フランスの著名な社会学者リュック・ボルタンスキーの理論を借りて分析してみましょう。

彼は、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にもじって「資本主義の新たな精神」と呼んで、世界的な経済構造の変化について分析しています。

彼によれば、

第一の資本主義の精神は、商業的精神であり、これらはそれまでの家庭、地域などといった価値観とぶつかるもの(近代初期)

第二の資本主義の精神は、産業的精神であり、これらは家庭、地域などといった価値観とぶつかるのみならず、民主的価値観とより大きくぶつかるもの(80年代くらいまでの日本)

第三の資本主義の精神は、これまでの商業的、産業的精神を乗り越えて、自由や独立といった一見すると「解放的」な価値観を打ち出しながら、平等や公平性といった民主的価値観を打ち崩し、家庭、地域といった価値観を一気に崩す、ネットワークとプロジェクトを基本としたもの

そしてこの第三の資本主義が今の経済・社会のあり方なのです。

ネットワークとプロジェクトがあれば自由をつかめる?

ノマドワーカーであったり、ワークライフバランスであったり、一見すると個人の自由や独立、私生活の充実を担保するかに聞こえる魅力的キーワードは新自由主義の台頭とともに、グローバル規模でエリート(ホワイトカラー専門職)層の間に広まり、共用されていった価値観です。

しかし、それは同時に、 どこにいても、どのような状況でも動き続けなければならないということでもあるのです。

私たちは、全てが個人の責任に帰される世界で、独立した個人、独立した労働者として生きていかなければならないのです。もはや立ち止まることは許されないのです。そして、独立した責任ある個人労働者としてサバイバルするにはネットワークを持っているかどうかが重要になります。様々なプロジェクトを渡り歩いて仕事をこなし、個人的なネットワークによって転職活動や次のプロジェクトを探すために、「キャリア形成」を意識することが重要になってきます。

ネットワーク化する社会における「与える側」「与えられる側」「勝者」「敗者」はネットワークへの繋がり具合とプロジェクトで生かせるスキルを持っているか否かで決まります。したがって、この新たな経済構造を「階級」という視点から考えた場合、より多くの人とネットワークを持ち、そこで生み出されるプロジェクトに人を加えていく人が「上流階級」であり、ネットワークに加えてもらう側、プロジェクトを渡り歩く側がそのコネクションの量や影響力に応じて「中流〜労働者階級」となるわけです。

各種プロジェクトに生かせるスキルがない人たちは、この新たな資本主義の構造から取り残されてしまう敗者、落伍者となっていきます。

もはや、国とか地域、家族などというものはプロジェクトを中心としたネットワークの資本主義では問題になりません。家族、地域、コミュニティなどといったものは急速にその意味を失っていきます。

だからこそ、個人が「キャリア形成」を意識してネットワークとプロジェクトにつながっていくことを考える必要があるのです。

公務員でさえネットワークとプロジェクトで繋がり始めている

国に関しては、ネットワークを広げ、繋げるハブとしての機能がある限り、資本主義にとって利用価値のあるものとして存在し続けるでしょう。実際、国家間の条約によって貿易や投資を促進させる動きなど、国家の役割はグローバリゼーションにとって必要不可欠な側面があります。

しかし、国家とそこで働く公務員もまた、ネットワークによって様々なプロジェクトに関わっています。

国家公務員や法律家でさえ、もはや一国内だけで活動するのではなく、他国の公務員や法律家とのネットワークなどを広げ、国際条約や国際的枠組の構築などに関わっています。

個人レベルでも、国際公務員となったり、海外に就職していく公務員がいることを考えれば、この傾向はわかりやすいのではないでしょうか。

第三の資本主義をどうサバイバルするか?

さて、第三の資本主義に生きる私たちにとって「どうやって生かせるスキルを身に付けるか」というのは、死活問題です。

「上流階級」はそこで働く人たちが仕事を通じてスキルを磨けるようなプロジェクトを提供し続けることで階級を維持するわけですが、「労働者階級」の側は、様々なプロジェクトを渡り歩きながら、スキルを磨き続ける必要があります。

「スキルを磨き続ける」ことは、これまでの第二の資本主義世界では、例えば日本の終身雇用に象徴されるようなシステムの元、一つの企業・業界で働き続けることによって可能でした。

しかし、プロジェクトを基本とするネットワークの世界では、一つの企業・業界で働き続けることだけでスキルを磨き続けることはできませんし、職にありつける保証が担保されません。

仕事そのものがプロジェクトベースで生み出され、ネットワークによって仕事の機会が供給されているからです。

したがって、いかに身軽にプロジェクトを渡り歩くことができるか、いかに他のネットワークとつながっていくか、ということで自分の身分を維持していく必要があります。これが、第3の資本主義をサバイバルするための「キャリア形成」なのです。

一箇所にとどまっていては「中間層」としての身分は保証されない

今後、この潮流が進めば、ネットワークとスキルのある人は、日本だけではなく、発展途上国、先進国関係なく、世界中の「自分のスキルがより磨ける」プロジェクトを渡り歩いていくことになります。これまでは国内だけで捉えられていた社会階級が、今後はグローバルに上層階級、中間階級、下層階級に分かれていくでしょう。

日本は、これまでの第二の資本主義の下では、グローバル上層階級に位置し、そこに住む日本の人々は自動的にグローバル上位層でいることができました。

しかし、多国籍企業やシリコンバレーやデリーのベンチャーとそれに投資するベンチャーキャピタルなどを見ていればわかるように、もはや企業活動と資本主義の広がりを一国主義的な視点で捉えることはできなくなっているのです。

日本に住む多くの人は、日本で終身雇用制に頼っていたら、今の生活水準は維持できなくなるでしょう。

世界とつながる個人的なネットワークを軸にプロジェクトを渡り歩ける人とそうでない人で、分化が起こっていくはずです。

第3の資本主義では「キャリア」を意識することでしかサバイバルできない

「将来はどうするの?」ということを漠然と質問してくる人は、キャリア形成という言葉の意味も、プロジェクトを渡り歩く時代が来ているということについても、この新たな資本主義との関わりとして意識してはいないでしょう。「キャリア」というものの存在を、まるで当たり前のように考えてしまっていて、そこに疑問を挟まないでいるのです。

とはいえ、そうした新たな資本主義の潮流を意識しているからといって、即座にプロジェクトを渡り歩くスキルを身につけられるわけではありません。また、そういう新たな潮流に批判的だからといって「キャリア」と無縁でいられるわけでもありません。

新たな資本主義の潮流を意識した上で、ネットワークを広げ、スキルを磨く努力をし続けなければ、そこから取り残され、グローバル上層階級の地位から転落していくことになります。国や企業が育ててくれる、守ってくれる時代ではなくなったからこそ、個人が自分の進む道を意識して生きていかなければいかないのです。これは、過酷な戦いであり、弱い者は自滅せざるをえない、残酷な世界です。

こうした分化は実際、すでに始まっています。

「自由」によって本当の自由を奪われる世界

私は第三の資本主義の潮流に賛成しているわけでも、「キャリア形成」のような思想を推し進めたいわけでもありません。

むしろそれをどのように和らげればよいか、スピードを緩めることができるか、というのを考えています。

第二の資本主義に比べて、第三の資本主義では、働き方も仕事も選べてはるかに自由度が上がったように感じられます。しかし、第二の資本主義においては、「与えられた仕事をやらなければならない」という強制的な働き方・仕事に対して、「反感を持つ」ということができました。しかし、第三の資本主義においては「反感を持つ」どころか、身も心も資本主義に投げ出しているのです。

第三の資本主義で生き残るためには、どうしても「キャリア形成」と「プロジェクト的に見て生かせるスキル」を選び取る必要があります。就職しやすさ、仕事に使えそうなスキルを習得すべきだという思考が私達を支配していき、自分の仕事や働き方も純粋に「やりたいこと」ではなく「稼げそうなこと」にシフトしていってしまうのです。自分の価値を「労働市場」「お金」で測るという、「ネットワークとプロジェクトを持つ人の視点」つまり「支配者の作り出している構造」に、身も心も差し出しているのです。

こういった第三の資本主義が私たちに提供する「自由」がいかに私たちの自由を奪うものであるか、それを認識したうえで「キャリア」と向き合う必要があるように思います。